しっぽや1(ワン)

□2人の秩父
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高校生になっても、僕の秩父診療所通いは続いていた。
秩父診療所は大きなスポンサーを得たとかで、大きく建て替えられていた。
「年が明けたら医大の入試だろ?
 浪人なんかするなよ」
診療所のお茶の時間、タカ叔父さんがニヤニヤしながらそう言ってきた。
「カズ君は優秀な方ですので大丈夫ですよ」
ハナちゃんはボクを励ますように微笑んでくれる。
カステラを口にしながら
「ヒロ兄にも勉強教えてもらってるし、バッチリだよ!」
ボクは強がってそう言ってみた。
「あー、弘樹は一発合格だったもんな
 姉貴も鼻が高いだろ」
タカ叔父さんは腕を組んで頷いた。
「カズ君だって、一発合格とやらになりますよ」
ハナちゃんが力強く頷いてくれるので
「頑張ります!」
ボクは頬が赤くなってしまった。

「カズ、お前、ハナちゃんには素直なのな
 チビの頃は僕に懐いてたのに」
タカ叔父さんは少し顔をしかめた。
「カズ君はきっと、犬が好きなのではないでしょうか
 犬、特に大型犬、お好きではないですか?」
ハナちゃんに聞かれ、ボクはビックリしてしまった。
「うん!好き!前にヒロ兄が秋田犬飼ってたの、すごく羨ましかったんだ
 よく触らせてもらいに行ってたよ
 何で分かるの?」
診療所ではそんな話、したことなかったのに、と不思議に思ってしまう。
「何となく、わかりますよ」
優しく笑うハナちゃんの笑顔に
『ボクのこと分かってくれるんだ!』
自分の中で、彼に対する想いが強まっていくのを感じていた。


医大合格の報告を胸に、ボクは秩父診療所を訪れた。
いきなり切り出して驚かせてやろうと、タカ叔父さんとハナちゃんの姿を求めてこっそりと診療所内を移動する。
ドアの隙間からの微かな気配に覗いてみると、2人は人気のない資料室にいた。
とても親密な雰囲気でピッタリと寄り添っていたため、ボクは声をかけそびれてしまう。

「ん…ハナ…ちゃ…」
チュッと湿った音とともに、タカ叔父さんの甘やかな息遣いが聞こえた。
『え?!もしかして、キス、してるの?』
テレビの中でしか見たことのないシーンに、ボクの鼓動は一気に速まった。
「秩父…先生…」
ハナちゃんがこれ以上ないほど優しく、愛おしそうにタカ叔父さんを呼ぶ。
その間も、ピチャピチャという淫靡で湿った音が続いていた。

「これ以上は帰ってから、今はお預け」
タカ叔父さんがクスリと笑いながら言うと
「かしこまりました」
ハナちゃんは名残惜しそうに唇を離した。
「愛しております、秩父先生…」
全ての想いがこもったハナちゃんの言葉を受け
「僕も愛してる、親鼻…」
タカ叔父さんがもう一度、ハナちゃんに軽くキスをする。
ボクは居たたまれない思いを感じ、その場から足早に立ち去った。

何故、今まで気が付かなかったのか、自分のバカさ加減が嫌になる。
2人は、診療所を建て直す前から一緒に暮らすようになっていた。
その頃からタカ叔父さんは何だかキレイになってたし、ハナちゃんはボクに向けるものより遙かに優しい瞳でタカ叔父さんを見ていた。

ボクは、これ以上ないくらい、完璧にハナちゃんに失恋したのだ。



学業が忙しい、という理由を付け、ボクは秩父診療所にあまり顔を出さなくなった。
中核派だ内ゲバだと騒がしくなっていく校内を余所に、ボクは研究に没頭する。
何かに集中していないと、2人の事を思い出してしまい気分が沈んでしまうのだ。
おかげで成績も良く、博士論文の評価は上々だった。
「さすが、秩父君の息子さんだ」
教授の中には父と共に学んだ者もいたので、ボクは大学に残り研究をする事を勧められた。
いっそ、そうして教授職を目指すのも悪くないと思ったが、ボクの根底には

『お金のない人にも医療の恩恵を受けてもらいたい』

そんなタカ叔父さんの思想が流れていたのだ。


結局ボクは医者になり、秩父診療所で働く道を選んでしまった。
祖父にも父にも散々反対されたが、秩父総合病院はヒロ兄に継いでもらうことで決着がついた。


「カズ君が秩父診療所で働いてくれる日を、心待ちにしておりましたよ」
久しぶりに会ったハナちゃんは、以前と変わらない笑顔でボクを迎え入れてくれた。
「ご無沙汰しております」
ボクが頭を下げると
「カズ、よく来てくれたな
 親父も兄貴も、カンカンだったろ
 ありがと、ありがとな」
タカ叔父さんは涙を溜めた瞳でボクを見て、抱きしめてくれた。

2人に対する嫉妬の念が消えた訳ではない。
それでもボクは、純粋にこの診療所で働けることが嬉しいと感じられた。
未練がましくはあったが、ハナちゃんの側で働くことは、ボクの夢だったのだ。
それに、昔ながらの地域の人に必要とされる診療所勤務に、総合病院では味わえない満足感も感じることが出来ていた。
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