しっぽや1(ワン)

□2人のD〈4〉
1ページ/6ページ

side〈OYAHANA〉

秩父先生に正式に飼っていただけることになった私は、程なく彼と一緒に診療所で暮らし始めることになった。
今まで同様昼は診療所で働き、夕方からは工事現場に出かけていた。
忙しくはあったが仲間には会えるし、何より秩父先生と一緒に居られる時間が増えたことが嬉しかった。


秩父先生は休診日に、私たち化生の健康診断をしてくれた。
「多分、体の作りは人と変わらないと思うよ
 体から汗かいてるし、やはり犬とは違っている
 人と同じ物を食べても、中毒症状おこしてないでしょ」
秩父先生の言葉に、皆、曖昧に頷いている。
自分たちの体と人間の体、犬であったときの体の違いが、今一つわからないのだ。
「玉ネギ入ったメンチ食べたり、焼き鳥のネギマ食べても大丈夫だろ?
 犬だったら玉ネギ中毒起こして、死んじゃうこともあるんだから
 ハンバーグとか、犬には毒物なんだよ」
先生の言葉を、私たちは真剣に聞き入った。
今まで、そんなことを気にしたことはなかったからだ。
「戦後、この国の食生活は大きく変わったからねー
 君たちが生きていた時代にはあまり犬の口に入らなかった物も、今は巷に溢れてるから
 僕も、ハナちゃんを飼うまでは気にしたことなかったけどさ」
先生は苦笑する。

「戦時中は芋や雑穀、野草、野ウサギ等を食べていました
 タマネギやネギなどは手に入らなかったのですが、逆によかったのですね」
黒谷が真剣な顔で頷いた。
「今なら、食べても大丈夫だよ」
先生は優しく笑う。
「時々、岩さん達と焼き鳥食べに行くんだ
 酒、ってのは好きじゃないけど
 レバーとか、モモとか美味しくて
 ネギマも…食べちゃった」
新郷がばつの悪そうな顔になる。
「レバーは体に良いんだよ、健康的な食生活だ
 君たち、工事現場で働く人たちに、ちゃんと溶け込んでいるんだね
 彼らに、人の世を教えてもらうと良いよ
 この国はどんどん変わっていく
 いつまでも戦時中の生活を引きずっていては、飼い主が出来たとき戸惑うばかりだぞ」
先生の言葉に、皆は真剣に頷いた。

「ハナちゃんに最新の生活をさせたい、ってのを建前に、今度奮発してテレビ買おうと思ってるんだ
 奮発と言っても白黒テレビなんだけどさ
 買ったら皆も見においで
 オリンピックも中継するんだよ
 君たち、そのための道路整備でかり出されてるんだろ?
 間接的とは言え、君たちの仕事の成果だね
 君たちは、時代を作るのを多少なりとも担(にな)っているんだ」
秩父先生の言葉は、思いもよらないものであった。
「僕たちが…あのお方の作ってくれた時代を担う…」
黒谷の目に涙がにじむ。
彼の新たな飼い主は、先の戦争で命を落としていた。
「秩父先生、どうか僕たちに今の時代を教えてください
 飼い主のお役に立てる知識を教えてください」
頭を下げる黒谷に
「うん、大したことは教えられないけど
 新しい時代を、共に楽しもう」
秩父先生は優しく微笑んだ。
私たち化生に優しくしてくれる先生は、私の自慢の飼い主であった。

「あの、先生」
白久がおずおずと話しかける。
「私は、人間の病気について知りたいのです
 以前の飼い主は体の弱い方でしたが、犬である私には何もしてさしあげることが出来なかった
 今度は、飼い主を病で苦しませたくありません」
必死に言う白久に
「字は読める?僕の持ってる医学書、自由に読んで良いからね
 内容、難しいかな?
 辞書があるし、時間があったら僕にわからないとこ聞いて」
先生は頷いた。
「私の飼い主は、大量に血を吐いてお亡くなりになりました…」
白久が暗い顔になる。
「うーん、肺を病んでおられたか、白血病かな…
 鼻血は?」
「わかりません…縁側からチラリと見ただけなので
 ただ、あの方の口周りが不吉に染まっていたとしか」
俯く白久に
「そうか、それらしいページに栞を挟んでおくよ
 飼い主の命を奪ったかもしれない病のこと、詳しく知りたいだろ」
先生は優しく言ってくれた。
「ありがとうございます」
白久は黒谷同様、秩父先生に深々と頭を下げる。

「何というか…
 化生という存在は、本当に不思議だね
 とても健気で、いじらしい
 僕に出来ることがあったら、何でも言って
 僕も君たちの力になりたいよ」
先生はそう言って、皆の頭を優しく撫でた。
その光景に嫉妬を感じてしまうものの、久しぶりに人間に犬として扱われた皆の嬉しそうな顔を見ると何も言えなくなる。
この時代、秩父先生という良き理解者に飼っていただけたことがどれほどの幸運なのか、自分の幸せを噛みしめずにはいられなかった。


今までは飼い主が出来た仲間とは別れ別れになっていため、化生として直に人に教えを請うことなど無かったのだ。
通信網が発達していなかった時代のこと、定住地をもたず点々と居場所を変えていた私たちは飼い主を得た仲間がその後どうなったか、知りようがなかった。

秩父先生のおかげで、私のみならず仲間達の知識も飛躍的に増えていった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ