しっぽや1(ワン)

□2人のD〈3〉
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side〈CHICHIBU〉

「先生、どうなさったんですの?そのお顔!」
出勤してきた看護婦の靖代(やすよ)さんに、僕は昨夜のことを説明した。
「ほら、以前うちにシャブは無いのかって言いがかりつけてきたヤクザ者がいただろ?
 あいつがまた来てさ
 危機一髪、ハナちゃんに助けられたんだ
 事情聴取やら診察室の片付けやらで、遅くまで大変だったよ
 ああ、何か無くなったり壊れたりしてる物があるかも
 昨日はあんまり確認できなかったからさ」
肩を竦める僕に
「まあ!ハナちゃんお手柄じゃない
 用心棒として雇いなさい、って言った私の言葉、正しかったでしょう」
靖代さんは胸を張る。

「先生が無事で、何よりです」
そう言って嬉しそうに微笑む親鼻の顔を見て、僕はドキリとしてしまう。
何だか昨夜はやたらと親鼻に抱きついてしまったし、今朝も起きたら彼に抱かれるかたちで寝ていて焦ってしまった。
夢かもしれないが、殴られた頬に親鼻が優しく口付けてくれた気がする。
『いや、診察室で実際に口付けされたっけ
 口付けっていうか、腫れてたから冷やしてくれようとしたのかな?
 いやいや…』
混乱しそうになる頭を振って
「今日はみっともない顔で診察することになってごめんね
 患者さんには転んでブツケた、って言っといて
 ヤクザが来た、なんて知られたら怖がられちゃうから」
僕はそう頼んだ。
「こないだは付けヒゲで鼻の下赤くして
 今日は青あざなんて、先生、男前が台無しですよ」
事務員の清美(きよみ)さんがクスクスと笑う。
「え…?ヒゲ…バレてたの?」
親鼻を見ると、彼は慌てて首を振っている。
彼がバラした訳ではなさそうだ。
「あんなわざとらしいヒゲ、誰だってわかりますって」
女性陣2人に笑われ
「参ったな…」
僕は頭を掻くしか無かった。


数日後、親鼻と用心棒代の話をしようと、休診日の診療所に来てもらった。
自室にしている2階に上げてお茶を出すと
「ごめんね、休みの日にわざわざ来てもらって
 それで、この前は本当にありがとう」
僕はまずそう言って頭を下げた。
親鼻は首を振り
「先生のお役に立てたのなら嬉しいです」
嬉しそうな顔で微笑んだ。
彼は自分の容姿に無頓着だが、かなり端正な顔をしている。
長身で均整のとれた肉体の持ち主でもあった。
肉体労働などやらずとも、役者にでもなれるのではないかと思っていた。
笑うと、こちらがドキドキするほど男前に見えるのだ。
見とれかけていた自分に気が付き、僕は慌てて気持ちを切り替える。

「それで、用心棒代のことだけど…」
僕が話を持ち出すと、彼は僕の顔をジッと見つめ
「お給料はいりません、と最初に申し上げました
 先生、診察代をもらっていない患者さんがいるでしょう?
 診療所の経営は楽ではないはずです
 私のために使うお金があるのなら、診療所の経営に当ててください」
キッパリとそう言い放つ。
僕は黙り込んでしまった。
この国は戦後豊かになったとはいえ、まだまだ貧しい者も多い。
そんな人たちの力になりたくて、僕はこの診療所を開いたのだ。
診察代をまけることもしばしばあり、確かに経営は苦しかった。

「でも、それじゃ僕が心苦しいよ…
 ハナちゃんを危険な目にあわせたのに
 何か、して欲しいこととか無い?
 あ、君の仲間って人たちの健康診断とかしようか?」
僕の言葉に彼は少し躊躇った後
「それなら、私を飼っていただけないでしょうか
 私を、貴方の飼い犬にしていただきたいのです」
そんな事を言い出した。
僕は絶句してしまう。
そういえば親鼻は自分のことを『番犬』と言っていた。
それが何の比喩なのか、僕にはさっぱりわからなかった。
「ハナちゃん…だから、自分のことを犬だなんて…」
言いよどむ僕に
「先生は、犬はお嫌いですか?」
親鼻は大きな体を縮こませるように聞いてくる。
「子供の頃飼ってたことあるし、犬は好きだけどさ
 ハナちゃんは人間だろ?
 人間を犬扱いするなんて、僕はごめんだよ」
思わず声を荒げると、彼はますます身を縮めた。

どうしたものかとため息をつく僕に
「それならば…
 私と…契ってください」
親鼻はそう言って僕に近寄り、抱きしめてきた。
『契る…?』
古風な言い回しのため、僕には一瞬何を言われているのか理解できなかった。
その端正な顔が近寄り唇を重ねられ、押し倒される。
その段になって初めて、彼が何を欲しているか察しが付いた。
以前、彼に抱きしめられた際、彼の身体が反応していたように感じたのは気のせいではなかったのだ。
「ハナ…ちゃ…」
僕がもがくと彼はハッとした顔になり、身体を放してくれた。
「申し訳ございません、忘れてください
 飼っていただけるわけでもないのに、このようなこと許されるはずは…」

僕は、彼が泣いているのかと思った。
あまりにも寂しそうで、悲しそうな顔をしていたからだ。
それは、孤独を感じている顔だった。
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