しっぽや1(ワン)

□芝桜3
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お目当てのアジがポツリポツリと釣れていく。
「干物にしたら、ゲンのお父さんにもお裾分けするよ
 オジサン、アジ好きだからさ
 新郷、帰りに家でご飯食べてくか?
 大きいのが釣れたら刺身にしよう
 捌くときウロコが散るのが難だが、釣りたての魚は新鮮で美味いからな」
桜ちゃんはいつになく饒舌だった。
「ゲンにさ、釣りを教えるって約束してたんだ
 色々あって、未だに叶ってないけど…」
彼はポツリと呟くと
「誰かと一緒に釣るのは久しぶりなんだ
 ここ、父さんが見つけた穴場だったんだ
 今日は一緒に来てくれてありがとう」
そう言って優しく微笑んだ。
「桜ちゃんと一緒に居られるの、楽しいよ」
俺も笑うと、彼は複雑な顔をする。

「俺、新郷の気持ちに全然応えてやってないのに…
 新郷は優しすぎるよ」
彼はうつむいてしまった。
「桜ちゃんだって優しいよ
 俺、あれから前ほど雷怖くなくなったんだ
 雷鳴ったら、桜ちゃんの鼓動を思い出すようにしてるから
 雷克服できたの、桜ちゃんのおかげ」
俺がへヘッと笑ってみせると、彼の顔に笑みが戻り
「良かったな」
そう言ってくれた。

「おっと、引いてるぞ」
彼の指摘で、竿が微かに揺れていることに気が付いた俺は、慎重に竿を引いてみる。
確かに、何かがかかっている手応えを感じた。
糸を巻いていくと手応えがどんどん重くなる。
「大物だ!」
俺は張り切って糸を巻いていった。
が、釣り上げてみると俺の期待より遙かに小さいアジが姿を現した。
「40cm超の大物だと思ったのに半分くらいか…」
ガックリとうなだれる俺を
「真アジでそのサイズなら立派なものだよ」
桜ちゃんは慰めてくれた。

それからも、桜ちゃんとのゆったりとした時間が流れていく。
電灯が無いため辺りは真っ暗だが、月明かりとランプや懐中電灯の明かりで周りを認識することは可能だった。
『桜ちゃんと一緒なら、釣りって楽しいな』
獲物を捕る、という行為の興奮も相まって、俺はすっかり釣りが気に入ってしまった。
「釣りって楽しいね、また連れてきて」
俺が頼むと
「そうだな」
彼は笑って答えてくれた。

「デカい」
糸を巻いていた桜ちゃんが緊張した声を上げる。
「かなりの手応えだ、流木じゃないだろうな
 竿が折れてしまう」
糸の先を確かめるように竿を動かす桜ちゃんを、俺はハラハラしながら見守った。
ツツツっと糸が動いていく。
それは生き物が抵抗する動きに他ならなかった。
「こんどこそ本当の大物だ!」
俺はゴクリと唾を飲む。
桜ちゃんと魚、無言の戦いが始まった。

糸を巻いては抵抗され戻される。
その地道な戦いが30分以上続いていた。
俺はそれを見守ることしか出来なかった。
それでもジリジリと糸が近付いてくる。
魚が疲れ始めている事が伺えた。
『タモですくえないか』
俺がそれを試そうと網を探すため桜ちゃんから目を離した瞬間、ザザッと何かが滑る音に続きドボンと重い物が水に落ちる音がした。
振り返ると、桜ちゃんの姿がどこにもなかった。
桜ちゃんの立っていた場所が大きくえぐれている。
ここは台風で崖が抉れたと、先ほど彼が言っていた。
『足場がモロくなってたんだ!』
俺はすぐさま、桜ちゃんを追って暗い海に飛び込んだ。

夜の海は真っ暗で、何が何だかわからなかった。
それでも俺は、彼の気配をキャッチする。
『くそっ、服ってやつは泳ぐのには邪魔だ』
水を吸った衣服が、重く俺の体にまとわりついた。
犬だったときは、よく川に連れて行ってもらい泳いだものだ。
『シンは泳ぐのが上手だな』
あのお方は、いつも俺のことを誉めてくださった。
『そうだ、俺は泳ぐのが上手いんだ!』
自分を奮い立たせると、俺は桜ちゃんの気配に向かい懸命に泳ぎ始める。
気配は水中に没していた。
暗すぎて、自分がどこに向かい泳いでいるのか定かでなくなってくる。
しかし、桜ちゃんの気配は微かな明かりのように、俺の心に届いていた。
指先に桜ちゃんの衣服が触れる。
俺はそれを必死で自分の方に引き寄せた。
月明かりに向かい、俺は上昇する。
海面から顔を出すと、今度はランプの明かりを目指して泳いでいく。
俺は、何とか桜ちゃんを元居た場所に引き上げることが出来た。

桜ちゃんはゲホゲホと咽せながら海水を吐き出した。
奇跡のように、耳には彼の眼鏡が引っかかっていた。
意識があるようなので、俺はホッとする。
「桜ちゃん、大丈夫?」
俺が聞くと彼はギクシャクと頷いて
「しん…ご…、ありが…と…」
何とか言葉を発しようとしていた。
大丈夫そうな彼の様子を確認すると
「俺、ちょっと行ってくるわ」
そう言い残し、俺は再び暗い海に舞い戻る。
桜ちゃんを海に引きずり込んだ魚に一撃くれてやらないことには、腹の虫が収まらなかったのだ。
海に飛び込んだ俺の耳に
「新郷…?新郷!
 行かないでくれ!新郷ー!!」
桜ちゃんの絶叫が響きわたっていた。
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