しっぽや1(ワン)

□芝桜2
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しっぽやでの業務の後、俺は初めて1人で桜ちゃんの家に行ってみた。
途中でスーパーに寄って、おかずを色々物色する。
長瀞が
『ゲンに何を食べてもらうか考えるのが楽しい』
と言っていた気持ちが、今の俺にはとてもよくわかった。
桜ちゃんが好きだと言っていた魚は、やはりスーパーでは入手出来なかったので、魚の定番、塩鮭の切り身を選んでみた。
それとコロッケや切り干し大根の煮物、といった総菜のパックを選ぶ。
『桜ちゃんがどんな物を好きか、もっとちゃんと聞いとけばよかった』
俺はそう考えながら、彼の家のチャイムを押した。
しばらく待つと、桜ちゃんがドアを開けてくれる。
今日訪ねていくことは、ゲンに連絡しておいてもらったのだ。

「本当に来たのか」
桜ちゃんは嫌そうな顔で、俺を家に入れてくれた。
俺から一定の距離を保つよう、離れて台所に案内してくれる。
「あの、俺、桜ちゃんのこと襲わないから、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?」
俺が言うと
「別に、緊張はしていない、変なことをされないか警戒しているだけだ」
桜ちゃんはフンッと鼻を鳴らして答えた。

「ゲンの頼みじゃなければ、知らない人間を家に上げたりしないんだからな」
そう言う桜ちゃんの言葉から、俺に対する怯えが伝わってきた。
やはり怖がられているようで、俺は悲しくなる。
しかしそれを悟られないよう
「おかず、色々買ってきてみたよ、ご飯は炊けてる?
 鮭、焼いて良い?
 桜ちゃんの好きな物、もっと教えて?俺、覚えてちゃんと買ってくるから
 一緒にご飯食べようね」
俺は明るく聞いてみた。
「ご飯は炊けている、うちはグリルなんてシャレた物はないから鮭は網で焼いてくれ
 買い物の代金は割り勘で払う
 基本、和食が好きだが洋食も嫌いではない
 食事をしたら、今日はもう帰って良いからな」
桜ちゃんは事務的に一気に返事をしてくれた。

居間にある年季の入った卓袱台に、ご飯の用意をする。
ほとんど出来合いの総菜ばかりの夕食が始まった。
「いただきます」
桜ちゃんはきちんと手を合わせ挨拶をしてから箸を取った。
俺もそれに習って手を合わせてみた。
「誰かと一緒に食事をするの、久しぶりかも」
俺が笑うと、桜ちゃんは複雑な顔をする。
「家族は…?」
躊躇いがちに聞いてくる言葉に、俺は首を振って答えた。
桜ちゃんは目を伏せて、それ以上聞いてはこなかった。
「職場の仲間が家族みたいなもんかな、付き合い長い奴多いし
 たまには他の奴と一緒にご飯食べるよ
 こないだ皆で初めて『コンビニのおにぎり』食べたんだ
 海苔の包み方がわかんなくて、その時まで誰もチャレンジしたことなかったからさ
 で、結局、ビニールビリビリにして中身全部取り出して、普通に包んで食べた」
照れ笑いを浮かべる俺に、桜ちゃんは少し顔を和ませてくれた。
「楽しそうだな」
「うん、同じような仲間が居るの楽しいよ
 でも、今は桜ちゃんと一緒に食事できて楽しい」
俺の言葉に桜ちゃんは盛大なため息をついた。

「君の感覚はよくわからん、俺のどこが良いんだか
 会ったばかりで、何も知らないじゃないか」
不審な瞳を向けてくる彼に
「自分でもよくわからない
 でも、桜ちゃんのこと、すごく可愛いと思うんだ
 名前もきれいだよね、俺、桜って大好き
 優しくて儚くて、それでいて艶やかな存在感
 月に映え、白く輝く夜桜とか、最高に神秘的じゃない?
 桜ちゃんもそんな感じ」
俺はそう答える。
桜ちゃんはポカンとした顔で俺を見ると
「気障だな…バカバカしい殺し文句だ
 悪いが俺にはきかん」
呆れたように鮭の切り身に箸を入れた。

それから、ほとんど俺が一方的にしゃべりながら食事をする。
桜ちゃんの好きな食べ物の情報を、俺は自分の脳に刻みつけた。

「次に来るときはもう少し出来合いじゃないの用意するね
 家で調理しといて、タッパーに入れて持ってくるよ
 明後日、また来るから」
俺の言葉に
「君も仕事があるから大変だろう?
 そんなにしょっちゅう来なくて良いから」
桜ちゃんは、やんわりと拒否の言葉を口にする。
「桜ちゃんのために何か出来るのうれしいから平気
 それにうちの職場、こーゆー時、かなり融通きかしてくれるから大丈夫」
桜ちゃんは諦めたようにため息を付き
「好きにしろ」
ぶっきらぼうにそう言った。

「『君』じゃなく『新郷』って呼んでくれると嬉しいな」
俺が頼むと
「年上の人を、いきなり名前で呼び捨てになんて出来ないだろう」
桜ちゃんは渋面(じゅうめん)を見せる。
「呼んでくれたら、今日はもう大人しく帰るから
 お願い」
俺が笑って頼むと桜ちゃんはかなり躊躇った後
「新郷…」
小さな声でそう呼んでくれた。
その瞬間、俺の胸に何とも言えない歓喜がわき上がる。
名前を呼んでもらえるだけで、泣きたくなるほどの喜びに包まれた。


家に帰ってベッドに入っても、俺の中でその声はいつまでもこだましているのであった。
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