しっぽや1(ワン)

□芝桜1
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「新郷、僕たちは気配でわかるけど、日野たちがビックリするだろ?
 ちゃんとノックして入ってよ」
お茶を煎れて戻ってきた黒谷が、ため息と共に注意する。
「いやー、初対面のインパクトは大事かなー、と思ってさ」
新郷さんは子供のように笑う。
その顔に、先ほどの冷たい印象は感じられなかった。
この陽気さは、ゲンさんを彷彿(ほうふつ)とさせる。
「さっきのあれ、俺の大事な飼い主、桜ちゃんの真似
 この眼鏡も真似っこなんだ、伊達眼鏡ってやつ
 頭良さそうに見えんだろ?」
新郷さんは指の先で眼鏡をクイッと持ち上げて見せた。
「桜ちゃんは本当に目が悪くて眼鏡着用してるんだけどな
 そんで、頭良さそう、じゃなくて頭良いの!
 なのに桜ちゃんって、可愛いツンデレなんだぜ
 ツンデレ、なんて言葉がない時代からあんななの
 やっと時代が桜ちゃんに追いついた、って感じ」
新郷さんは胸を張って言う。
「ああ、桜ちゃんって『桜沢 慎吾(さくらざわ しんご)』って言うんだ
 うちの会計事務所のボス
 って、俺と桜ちゃん2人でやってる事務所だけど
 だから忙しくって、お茶する時間もなかなか無いんだよ
 ここはヒマそうだなー」
事務所内を見回す新郷さんに
「今日はたまたま依頼が少ないだけです」
白久が苦笑した。

「会計事務所勤務って…
 しっぽやでは働いてないの?」
日野が控えめに問いかけると
「以前はここで働いてたけどさ、俺は飼い主の仕事を手伝う事に決めたんだ
 だから影森の名から外れたの
 桜ちゃんの家で暮らしてるから、影森マンションにいないしね
 なかなか挨拶に来れなくてごめんな」
新郷さんはすまなそうに頭を下げる。

「新郷さんって、柴犬ですか?」
そんな彼に俺は気になっていたことを聞いてみた。
彼の明るい茶髪と茶のスーツが、それを連想させたのだ。
「ご名答、さすが高校生名探偵!
 ああ、俺の事は新郷でいいぜ、荒木」
彼は悪戯っぽく笑ってウインクした。
その言葉で、新郷がゲンさんとも親交があることが伺えた。
「白久に飼い主が出来たのはありがたいことだ
 こいつは俺よりも長く独りだったからな
 荒木に飼ってもらってから、こいつ本当に嬉しそうに笑うようになった
 白久のこと、可愛がってくれ」
ペコリと頭を下げる彼に
「もちろんです」
俺は大きく頷いて見せた。

「和銅…今は日野だっけ
 微かに気配に覚えがあるよ
 戻ってきてくれてありがとう、素晴らしい奇跡だね
 今度こそ、黒谷と幸せになってくれ」
新郷は真剣な顔で日野にそう頼む。
日野はコクリと頷いて、黒谷の手を握りしめた。

「しかし、飼い主との出会いってやつはいつだって奇跡的で、運命的だ
 まあ、俺と桜ちゃんは、出会いよりも飼ってもらうまでが大変だったんだけどな
 すんごい障害があったのさ
 なんと、桜ちゃん犬嫌いだったの!」
新郷はオーバーアクションで説明する。
「子供の頃近所の柴犬に噛まれて、犬、大嫌いになったんだよね
 だから、ここの事務所にもあんまり来たがらないんだ
 ここ大型犬多いから、桜ちゃんには怖いんだよ」
その言葉に
「柴犬って…まさに新郷じゃん」
俺は呆然と呟いた。
「そ、俺だけを彼の特別な犬にしてもらうため、頑張ったんだぜ
 聞きたい?聞きたいよな、俺たちの愛の物語」
彼はそう言うと
「それではしばし、ご静聴のほどを」
大仰に頭を下げてお辞儀をし、自らを語り始める。


こうして俺たちは、新郷から長い物語を聞くことになったのであった。
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