しっぽや1(ワン)

□芝桜1
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side〈ARAKI〉

俺はいつものように、週末をバイト先のしっぽやで過ごしていた。
「今日は暇だな…」
同じくバイトに来ている日野が、ソファーに座って所在なく扉を見つめている。
整理する書類も底を尽き、俺たちは手持ちぶさたもいいところだった。
今日はまだ俺たちが事務所に来てから、1件の依頼も来ていない。
「ま、こんな日もあるでしょ」
黒谷はノンビリした感じで言うと椅子から立ち上がり
「3時前だけど、お茶にしよ」
所長自らお茶を煎れる準備を始める。
「俺も手伝うよ」
慌てて日野が黒谷を追って立ち上がった。
「では日野はお茶菓子を用意してください
 日野のお婆様にお土産でいただいたカリントウでも出しましょうか」
黒谷と日野がお茶を煎れている間、俺は白久と並んでソファーに座り、まったりとしていた。

カリントウが入った小鉢を持った日野が戻ってきて、俺の向かいのソファーに座る。
「荒木、こんなの食べる?
 婆ちゃんの土産だから、センスが古いというか…」
日野がどこかモジモジと言うので
「うん、俺最近、渋めのお茶菓子好きになったんだ」
俺はヘヘッと笑って見せた。
白久と付き合うようになってから、日本茶に合うお茶請けをよく食べるようになっていたのだ。
日野はホッとした顔をして
「これ、口当たり軽いし、色んな味が入ってるから美味しいぜ
 紅茶やコーヒーにも合って、俺、好きなんだ
 だから婆ちゃん、出かけるとよく買ってきてくれてさ」
そう説明してくれる。
「お祖母さん、具合良くなってよかったな」
俺の言葉に
「うん、もうすっかり元通り、元気だよ
 荒木にも会いたがってるから、また遊びに来て」
日野は爽やかな笑顔で答えた。

「お待たせ、今日はほうじ茶にしてみたよ」
黒谷が湯飲みののったお盆を持って戻ってくる。
テーブルに湯飲みを置くと、そのまま日野の隣に腰掛けた。
事務所にほうじ茶の良い香りが広がった。
「いただきます」
俺たちはカリントウに手を伸ばし、お茶の時間を満喫する。
暫くはどのカリントウの味が美味しいかなど、たわいもない話に花を咲かせていた。

ふと会話がとぎれた時
「お茶菓子食べながらお茶飲めるなんて、平和な時代になったよな…」
日野がぽつりと口にする。
「あなた方が作ってくださった時代です」
黒谷が日野の手を握り、労るようにそう言った。
日野は少し微笑むと気を取り直したように
「そういえばあの時代、他にも2人、犬の化生がいたよね
 彼ら、どうしてるの?」
過去世の記憶とやらに基づく問いかけをした。

黒谷と白久は顔を見合わせる。
「親鼻(おやはな)は消滅しました」
黒谷のその言葉に、俺と日野は衝撃を受けた。
「飼い主を得て、満足のいく生を謳歌(おうか)したのです
 安らかな消滅でした
 私たち、皆で見送りましたよ」
白久がやんわり微笑みながら教えてくれた。
「じゃあ、もう1人も…」
日野がゴクリと唾を飲んで聞くと
「新郷(しんごう)は上だ」
黒谷が上を指さして答える。
『上って、天?そうか、消滅しなくても事故とかで亡くなる化生がいても不思議じゃないんだ…』
俺はそう思い至りシンミリとした気持ちになる。
日野も同じ思いなのか、場がシーンと静まりかえった。

そんな時、ノックも無しにいきなり事務所の扉が『バンッ!』と開けられた。
俺と日野は驚いて、飛び上がりそうになる。
入ってきたのは茶のスーツを隙なく着こなし、細縁の眼鏡をかけた20代後半に見える青年だった。
背はそんなに高くなく、黒谷よりは低そうだ。
端正な顔に似合った明るい茶髪なのに、役人のような冷たくお堅い感じが漂っている。
「なんだね君たちは、こんな時間に若い子を侍(はべ)らせてお茶とは
 いかがわしい店じゃあるまいし、節度をわきまえたまえ」
その人は事務所内を一瞥(いちべつ)し、冷たい声で言い放った。
俺も日野も慌てまくってオロオロするが、黒谷と白久はすました顔でお茶を飲んでいた。
「食べる?」
黒谷がカリントウを指さしながら、場違いとも言える発言をする。
『こーゆーの、火に油を注ぐって言うんじゃ…』
俺は彼が怒り出すのではないかと首を竦めてしまう。

「食べるー!」
彼は今までの冷たい表情を一変させ、ドカッと白久の隣に腰掛けた。
「黒谷、お茶煎れて、これ水分無しで食べたら死ぬ系じゃん」
彼はそう言いながら、既にボリボリとカリントウをかじっていた。
「はい、はい」
黒谷が立ち上がると
「『はい』は1回!桜ちゃん、そーゆーとこ厳しいんだから、キチンとした日本語使ってよ」
彼はビシッと指摘する。
「あ、どーも、俺、こーゆー者ですー」
それから彼は呆気にとられる俺と日野に、名刺を渡してきた。
そこには
『芝桜会計事務所
 芝 新郷(しば しんごう)』
そんな文字が書かれている。
「新郷って…」
呆然と呟く俺の言葉を受け
「新郷は、この事務所の上の階に入っている会計事務所に勤めてるんですよ」
白久が笑って教えてくれた。
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