しっぽや1(ワン)

□心の距離
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「そっか、空はランウェア持ってないか
 せめてジャージかなんか持ってない?
 シューズはスニーカーでも大丈夫だよ」
日野君に聞かれても、空は首を傾げている。
日野君に困った顔を向けられ
「スニーカーはあるけど、空のクローゼットの中には運動着に出来そうな物は無いかも…」
僕は小さな声で、そう告げた。
「じゃ、経費で落としてあげるから買ってきて
 今すぐ
 空は今日はもう上がって良いよ
 この時間だし、依頼はこないだろ」
黒谷がきっぱりと口にしても
「何、買えば良いの…?」
空は困惑した顔を僕に向けている。
「この辺、衣類の量販店あったよね
 本格的にランニングするんじゃないし、ジャージで十分だから一緒に買いに行こうか」
日野君はそう言った後、僕を見て
「良かったらカズハさんも一緒に来てください
 空に似合う色を選んであげて」
ニッコリ笑った。

その後、僕たちはしっぽや事務所を後にして連れだってお店に移動した。
「おっと、秋の大感謝セールなんてやってる
 良いタイミングだったね」
日野君が弾んだ声を上げる。
セール中のせいか、店内は閉店が近い時間であるのに込み合っていた。
急いで空に似合いそうな紺色のジャージを選ぶ。
「シモムラ安心価格、上下セット1980円
 さらに、レジにて2割引きだって!
 良い買い物できたな
 空、精算してきて、領収書もらえよ」
日野君がテキパキと空に命令する。
空は素直にレジ待ちの列の最後尾についた。
「俺たちは外で待ってましょう」
日野君に言われ、僕たちは混雑している店内を後にした。

「付き合わせちゃってすいません
 飲み物くらい奢りますよ、何が良いですか?」
日野君は笑顔で聞いてくれるけど、僕は年下の子に奢ってもらうことに抵抗を感じていた。
「いや、いいですよ、そんな」
あわあわと首を振る僕に
「それくらいは、させてください
 無理なお願いしたのはこっちなんだから」
日野君は笑顔を崩さなかった。
「あの、じゃあ、アイスカフェオレを」
後から空にも分けるつもりで、僕はそう答える。
日野君は近くにあった自販機からアイスカフェオレを買って、僕に手渡してくれた。
自分用にはコーラを買って、すぐに飲み始める。
「暑いと炭酸が美味しくて」
日野君は僕を見て、可愛い顔で無邪気に笑った。
しかし、急に真顔になり
「やっぱり、警戒しますよね、俺のこと」
ポツリとそんな事を言う。
僕は心を見透かされたようで、ドキリとした。

「自分が化生の飼い主にとって危惧すべき存在である事は、わかってます
 俺だって自分じゃなくて他の奴が憑依されやすい体質だ、なんてわかったら良い気持ちしないし、黒谷には近づけたくない
 いつ、『あのお方』ってやつに憑依されて自分の化生を盗られるかわかったもんじゃないからさ」
日野君は顔を歪めて言い放った。
日野君と白久の騒動は空に聞いて知っている。
その時、僕と空は自分たちの心の中の暗い陰に気が付いてしまったのだ。
空は以前の飼い主が今も生きているんじゃないかと、心の片隅で期待していた。
しかし僕は、空の記憶の転写を見ている。
あの人は、確実に死んでいた。
だからこそ、日野君に憑依して空の前に現れるんじゃないか、と危惧しているのだ。
正直、空と日野君を2人っきりにさせたくなかった。

「カズハさんも、俺が憑依されやすい事を心配するんじゃないかと思いました
 だから、ボディガードの件はカズハさんの了承を得てからじゃないと、話を進めないつもりだったんです
 でも今は俺、ミイちゃんに貰った数珠のおかげで変なもの見えませんから
 もう、あんな事にはならないと思います
 荒木と白久には、本当に悪いことをした…」
悲しそうな日野君の言葉が、胸に突き刺さる。
日野君も苦しかったんだと僕はこの時、初めて気が付いた。

「あの、聞いても良い?
 どうして黒谷じゃなく、空をボディガードに選んだの?
 ランニングなら黒谷と一緒にすれば良いのに」
僕が戸惑いがちに尋ねると、日野君はばつの悪そうな顔になる。
「それは…、空の顔が怖いから…
 ちょっと脅してもらいたい奴らがいたんです
 迫力ある人に協力して欲しかったんです」
日野君の返事は、思いもよらないものであった。
「え?空はあんなに可愛いのに?
 朗らかだし、人間を脅すなんて出来ないよ?」
本気で驚く僕に、日野君は困った笑顔を向ける。

「あー、まあ、空は付き合ってみれば愛嬌のある奴だけど
 その、ぱっと見はかなりの迫力かと…
 実際、うまいことあいつら脅してくれたし」
日野君はモゴモゴと呟いた。
「黒谷とは一緒に走りたかったけど、荒木が…」
俯いた日野君は、中々次の言葉を言い出さなかった。
「荒木君がどうかしたの?」
そっと続きを促すと
「だって、荒木が
 俺と黒谷が並んでると、黒谷が犯罪者に間違われるって言うんです」
かなり言いにくそうに、日野君が答えた。
それを聞いて、失礼ながら僕は納得してしまった。
日野君は中学生に見える幼い顔立ちで、確かに三十代半ばに見える黒谷と並ぶと兄弟や親子には見えないだろう。
下品な妄想を働かせれば、援交しているように見えなくもない。
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