しっぽや1(ワン)

□心の距離
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side〈KAZUHA〉

「ボディガード…ですか?」
黒谷から相談したいことがある、とメールをもらった僕はペットショップでの仕事を終えた後、しっぽや事務所に顔を出した。
相談内容は、黒谷の飼い主の日野君の事であった。
「うん、学校が始まって暫く休んでいた部活を始めたいらしいんだけど
 勘を取り戻すため自主トレをしたい、って言っててね
 夕方に公園をランニングするんだって
 努力家なんだよ、日野は」
黒谷は腕組みをして感に堪えない、と言った風情で頷いた。
「日野は見ての通り、大変可愛らしいでしょう?
 あんなに可愛らしい方が独りでランニングなんてしていたら、不埒な輩に目をつけられてしまうかもしれない
 僕が一緒に走ろうかと言ったんだけど、もっと強面の方がボディガードには向いてるって言われてさ
 そこで、見た目の厳つい空に一緒に走ってもらうのはどうか、って話になったんだ
 空には1度、日野のボディガードをしてもらってるしね」
黒谷に視線を向けられ
「ボディガード?
 俺は日野と友達の仲をエンジェルスマイルで取り持ってやっただけだけど?」
空が首を捻る。
夏休み中、空が日野君と一緒に出かけて、パンをいっぱい買ってもらった時の事を僕は思いだしていた。

「まあでもさ、俺、こっちに来るとき波久礼の兄貴に
 『お前は体力有り余ってるから、仕事の後にでも少し走っとけ』
 とか言われてたんだ
 だから、日野と一緒に走るのもいいな
 今まで暑いんで、そんな気おきなかったからさー
 俺、三峰様のとこに居た時は、山の中を1日30キロくらい鍛錬で走らされてたんだよな
 陸なんて体力バカだから、50キロは走ってたっけ
 人間の体で獣道走るのって、けっこーシンドいのな」
空は当時を思い出したのか、しみじみとそんな事を言う。
「飼い主の許可を取ってから決めた方が良いって、日野が言っててね
 それで、カズハ君に来てもらったんだ
 どうかな、少し空を貸してもらっていいかな?」
黒谷にそう問われ、僕は一瞬躊躇(ちゅうちょ)してしまった。
多分、ボディガードの相手が荒木君だったら素直に頷けたと思い、そんな自分が嫌になる。

心の闇を見せないよう、僕は努めて明るい感じで
「良いですよ、確かに日野君可愛いですからね
 独りでランニングって不用心かも
 空、一緒に走って守ってあげて」
そう返事をした。
不自然に声が固くなってしまわなかったか心配したけど、黒谷は
「そうですか、ありがとうございます
 助かりますよ」
何も気づかず朗らかな声を上げた。
しかし空は僕の態度に何か感じたらしく、そっと僕を抱きしめて
「俺は、日野よりカズハの方が可愛いと思うからな」
そう囁いてくれる。
「飼い主バカだね、空は」
僕はそう言いながらも、空の気遣いが嬉しかった。

コンコン

業務終了が近い時間のしっぽやに、ノックが響く。
黒谷が顔を輝かせたので、ノックの主が事務所に入ってくる前にその正体がわかった。
ドアを開けて入ってきたのは、制服姿の日野君だった。
「日野、今日は部活だと言っていたのに、どうしたんですか?」
黒谷がすぐに日野君に近づいた。
「今日は顔見せくらいにして、練習には参加しなかったよ
 ササミフライの新しい味が出てたから、黒谷に食べてみてもらおうと思って持ってきたんだ」
日野君が差し出した袋を受け取った黒谷は、さらに顔を輝かせる。
「わざわざ僕のために…」
「いいの、理由をつけて黒谷に会いたかっただけだから」
日野君はそう言うと、黒谷にそっとキスをした。
僕はビックリして目のやり場に困ってしまう。

「そうそう、ボディガードの件、カズハ君に了承とれましたよ
 日野の走る日に空を連れ出してください」
黒谷がそう言うと日野君は僕に向き直り
「ありがとうございます
 助かります、変なこと頼んじゃってすいません」
丁寧に頭を下げるので、慌ててしまった。
「あ、いえ、あの、空も体を動かしたがってるし、一緒に走ってあげてください
 僕は運動苦手で、一緒に走ってあげるのは無理だから」
つい、そんな自虐的な言葉が口をついて出てしまう。

「今日、これから走るか?
 日が暮れれば、暑さもちっとはマシだからよ」
空が笑顔で日野君に話しかけた。
「いや、今、ウェアとシューズ持ってないし
 って、空だって持ってないだろ?」
日野君に問われ、空はキョトントした顔になる。
「このまま走っちゃダメなの?」
これには僕も驚いた。
空は今日、スーツに革靴で出勤しているのだ。
「「ダメだよ」」
僕と日野君は、同時に否定の言葉を叫んでしまった。
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