しっぽや1(ワン)

□夏の空 1
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side〈KUU〉

三峰様からお暇をいただいた波久礼の兄貴がしっぽや事務所に行くと言うので、俺(武州1トレンディーなハスキーの化生の空・くう)も付いていく事にした。
「空、遊びに行くのではないのだぞ?
 私は荒木に用事があるのだ」
兄貴はもっともらしくそう言うが、自分が拾った子猫がその後どう育っているか荒木に話を聞きたいだけなのが見え見えだ。
実は2度と兄貴が子猫を拾わないよう見張っていろと、黒谷の旦那から俺達ハスキー軍団に極秘指令が出ているのである。
流石にそれを言うことはヤバい気がして
「俺、中川先生に『あいうえお』全部書き取り出来るようになったご褒美に貰ったメンチが忘れられなくてさー
 あれの中身、ちょっとだけど懐かしい松阪牛が入ってるからよ
 しっぽや最寄り駅の肉屋で売ってんだろ?
 兄貴、帰りで良いから一緒に買いに行こうぜ」
そう言って注意を逸らす。
「む、メンチ…、まあ、悪くはない提案だな」
兄貴は渋々ながら、俺の同行を許してくれた。

「すっかり夏だなー!
 俺、夏って苦手、あっちー!
 この時期あのお方は、1日中俺のためにクーラー入れっぱなしにしといてくれたもんよ
 三峰様んとこは山ん中だからこっちよりマシだけど、つか、あちー
 このスーツ、上着も着てなきゃダメ?」
ダラける俺に
「日本には『心頭滅却すれば、火もまた涼し』という言葉があるのだ
 少しは耐えろ!」
兄貴はブツブツ文句を言う。
でも、その顔は汗まみれだった。
「…兄貴だって、暑いんじゃん
 化生したのはいいけど、人間のこの『汗』ってやつは、ほんと鬱陶しいな」
俺はハンカチを取り出して、乱暴に汗を拭う。
「うむ、我らのように寒い国が原産の犬には、この国の夏は少々堪えるな」
流石に兄貴も同意する。

「あれ、そこ入るんスか?
 そーゆー店、好きじゃないって言ってなかったっけ?」
兄貴は日頃あまり良く思ってないペットショップに足を向けている。
「手ぶらで行く訳にもいくまい、あの子に何かお土産を買わねば
 それにこの店は管理が行き届いていて、店員も皆親切な人間ばかりなのだ
 このような店にしては、嫌な思いをしなくて済む」
「ふーん」
化生は大抵ペットショップが好きじゃないらしい。
でも俺は、化生前はペットショップで売られていたのだ。
そこで、あのお方に見初められた。
この店が出会いの場であることを知っている俺には、悪い思い出のない場所である。

「おー、生き返る!」
クーラーの効いた店内でひんやりとした空気を満喫する。
とても晴れ晴れとした気持ちになっていた。
『何か、すげー気持ちいい店じゃん!』
俺はキョロキョロしながら売られている子供達を見て回った。
兄貴が、猫用オモチャ売り場の前から暫く動きそうになかったからだ。

子供達は皆、瞳を輝かせ、毛艶も良く、ケージ内は清潔であった。
「良い人と巡り会えよ!」
親切に話しかけると、子供達は俺にビビってキャンキャン泣き始めた。
「ちぇっ、弱虫め、ハスキーが珍しいのかよ
 あれ、でもハスキー1匹もいないじゃん、ミニチュアダックスばっか
 何だ、お前が今のトレンディーか?」
俺はクリーム色のミニチュアダックスのケージを覗き込む。
「あ…」
その子は恐怖のあまりか、そこでオシッコをしてしまった。
「や、やべーって、ちゃんとシーツの上でしろって言われてんだろ?
 躾が入ってないと、良い人に買ってもらえないって」
人事ながら、俺は慌ててしまう。
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