しっぽや1(ワン)

□捜索依頼〈クロスケ〉
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ビルの1階に着くと、やっと俺は解放される。
「何でわざわざ、お前の部屋に行かなきゃいけないんだよ!」
いきり立つ俺に白久はキョトンとした瞳を向け
「荒木様、お金が無いようでしたので
 喫茶店などで打ち合わせると、余計な料金が発生してしまいますよ?
 私の部屋なら、お茶くらい無料でお出しいたしますが」
そう言われると、俺も強く言い返せなかった。
そのまま引きずられるように道を歩くと、テナントビルから5分とかからない場所に、平屋の多いこの辺には不似合いな豪華な高層マンションが現れる。
真新しい表示板を見ると『影森マンション』と書かれてあった。

「え、ここって…?」
思わず白久を見上げると
「ここの最上階は社員寮、という取扱いになっております
 最上階以外にも、うちの所員が住んでいますけれど」
白久はにこやかに答えた。
『こんなでかいマンション持ってるなら、きちんとした企業なのかな…
 小さい事務所に見えたけど、所員の数、けっこー居るんだ』
正面玄関のキーロックに数字を打ち込んでいる白久を見て、そんな事を考える。
庭も無い、小さな戸建て住宅に住んでいる俺は、何となく腰が引けていた。

「こちらです」
エレベーター(何と、最上階直通!)に乗り、そう案内されて入った部屋は、12畳程のワンルームであった。
生活するのに必要最低限の家具しかない部屋は、住人の個性を感じさせない。
「どうぞ、座ってくつろいでください」
ガラステーブルの前に置いてあるクッションに座り所在なく辺りを見回していると、程なく白久がトレイを持ってやってきた。
「お茶うけは、あられでよろしいですか?
 甘味がお好みなら、甘納豆もありますが」
そう言って、焙じ茶の入った湯飲みを俺の前に置く。
「お構いなく」
俺は恐縮しながらも
『本当にお茶…しかも、あられ…
 祖母ちゃん家だって、ポテチとかクッキー出してくれるよ』
豪奢なマンションでもてなされているとは思えないラインナップに、俺は何だかおかしくなってきた。

お茶を飲んで一息つくと
「お探しなのは猫との事でしたね
 名前や年齢、毛色、いなくなった時の状況を教えてください」
白久がそう切り出した。
「あ、はい、猫の名前は『クロスケ』
 俺が生まれた日に生後1ヶ月くらいのクロスケを親父が拾ったって言ってたから、多分17歳過ぎかな
 黒猫だけど、歳とって白毛が少し混じってきてるんだ
 目は金色、首輪は赤、尻尾が10cm弱って中途半端な長さが特徴かな
 雄で去勢してあります
 暑くなってきたから窓を開けて網戸にしてたら、網戸を押したみたいで…
 物音に気が付いて見に行くと網戸が外れてて、クロスケが居なくなってたんです
 今まで脱走なんてしたの1回も無かったのに…
 あいつ、完全室内飼いで外になんて出たことないし、土地勘無いから自分じゃ帰って来れないよ」
俺は言ってて、不覚にも涙が出てしまった。
猫1匹のために泣いている俺を、白久は微笑んで見ていた。

「クロスケ殿の事を、とても愛しているのですね」
何だか微妙な言い回しだけど、それに揶揄の響きは感じられない。
「物心付いた時からずっと一緒にいたし、俺一人っ子だから弟みたいに思ってるんだ」
俺の言葉を、白久は優しい顔をして聞いている。

「いなくなったのは何日前ですか?」
「一昨日です
 昨日、親と一緒に近所を探し回ったけど、発見出来なくて…
 それで、プロに頼んでみようって、しっぽやに行ってみました
 あ、迷子猫のポスターって作ったりしますか?
 俺、クロスケの写真持ってきました」
慌ててアルバムを出そうとする俺を、白久はやんわりと制した。
「いえ、うちは聞き込みがメインの捜索方法をとっていますので大丈夫ですよ
 荒木様、猫の行動範囲は狭いのです
 街を流れ歩くほど移動するのは、繁殖期の雄以外あまりみられません
 クロスケ殿は去勢済みとのこと
 ならば家の近くにいるはずです
 ほとんどの場合、失踪から1週間以内に発見出来ますので、契約捜索期限は明日から4日にいたしましょう
 ご自宅の近辺で聞き込みをいたします
 よろしければ、学校が終わってからでもご同行願えませんでしょうか?
 私だけより、クロスケ殿も荒木様の声を聞いた方が、安心すると思いますよ」
専門的な感じで言われると、俺の心に安堵が広がった。
「よろしくお願いします!」
頭を下げる俺に
「必ずや、荒木様のお役に立ってみせます」
白久は頼もしく約束してくれた。

「その、荒木様っての止めてくださいよ
 荒木でいいです、白久さん」
俺はさっきから気になっていた事を思い切って言ってみた。
「そうですか、それでは私の事も、どうか白久とお呼びください」
年上の人を名前で呼び捨てにするのは気が引けたが、これ以上話をややこしくさせたくなくて、俺は素直に頷いた。
「さっき黒谷さんが言ってたけど、料金って日払いなんですか?
 今日は、どれくらい払えば良いのかな…」
これも、気になっていた事である。

白久は少し考えると
「そうですね、それなら頭を撫でていただけないでしょうか」
あまりに予想外の答えが返ってきたため、俺は上手くその意味が飲み込めず黙り込んだ。
「それだと、高過ぎますか?」
白久は首を竦めてオズオズと問いかけてきた。
『高いって、1円もかからないじゃん!
 でも、特殊性癖のお兄さんの相手をするのはちょっと…』
俺はかなり躊躇するものの、懐事情と目の前で首を竦める白久の縋るような瞳に負けて
「ちょっとだけなら…」
と答えてしまった。
「ありがとうございます」
俺の答えに、白久パアっと明るい表情になり頭を下げる。

『この人、マジメそうに見えたけど変態なんだ…』
ガッカリしながら、俺は下げられている白久の頭を撫でた。
驚いたことに白久の髪は柔らかく、とても触り心地が良い。
撫でていると、何だか大きな動物を触っている気になってくる。
白だと思った髪は薄い茶が混じり、ミルク入れ過ぎカフェオレのようであった。
『近所にこんな毛色の犬がいたっけ…』
俺はボンヤリとそんなことを考えた。
『それより、喫茶店とか行かないで本当に良かった
 人前でこんなこと出来ないから、初回料金(?)踏み倒すとこだったもんな』
高校生に頭を撫でさせる大人…端から見たら、通報されかねない気がする。

「あの、もう良いですか?」
いつまでも制止の声をかけない白久に痺れを切らし俺が言うと、白久はハッとして
「はい、ありがとうございます」
と顔を上げる。
その頬はほんのり赤く染まっていた。
『ひー、やっぱ、危ない人だ!』
俺は悲鳴を飲み込んで、作り笑いを顔に浮かべ
「明日から探してもらえるんですよね」
確認するように質問する。
「はい、明日、荒木の自宅近辺の聞き込みに参りますので、こちらの駅まで迎えに来ていただけると幸いです」
「じゃあ学校の帰り、4時頃に駅に行くようにするよ」
そんなやり取りを交わし、俺はマンションを後にした。
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