しっぽや4(アラシ)

□一過
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「僕はね、化生って、盲導犬みたいなところがあるな、って思ってたんです」
カズハさんは、急にそんなことを言い出した。
「荒木君、盲導犬って、どんな風に訓練するか知ってますか?」
カズハさんが優しく話しかけてくれるが、俺は盲導犬のことはよく知らないので首を振るしかなかった。
「盲導犬は子犬の頃『パピーウォーカー』というボランティアの方々の元で、愛されて愛されて1年を過ごすんです
 もちろん、盲導犬になったときのために基本的な躾もされます
 1年経つと、彼らは盲導犬協会で盲導犬に適しているかどうかの試験を受けます
 全ての犬が受かるわけではありません
 人の命を預かる仕事をするのですから、適正は慎重に見極められます
 合格した子たちはパピーウォーカーの元から離れ、盲導犬になるための厳しい訓練を受けるんです」
カズハさんの言葉に
「1年…」
俺は思わず呟いていた。

「そうです、その1年間、愛されていたという記憶があるから、彼らは人を愛し、人のために働けるんです
 その1年の愛の記憶、2度と戻れない場所のために彼らは頑張れるのです」
「戻れない…場所?」
その大げさな言葉に、俺は訝しい顔になる。
「盲導犬になったら、育ててくれたパピーウォーカーには絶対に会ってはいけないんですよ
 目の不自由な方のために働く彼らには、動揺は許されません
 何があっても、新たな飼い主を守らなければいけないのです
 以前の飼い主に心を動かされないよう、彼らは愛の根元である者たちには2度と会えないのです」
カズハさんの言葉が、胸に刺さった。
盲導犬でのたとえ話が、白久の姿にダブって見える。
化生を決心するほど愛していた元の飼い主…
本来なら、白久は死に別れた彼とは2度と会えないはずだったのだ。

「白久は、その会ってはいけない者に会ってしまったのですね」
悲しそうなカズハさんに、俺は頷いてみせる。
「以前の飼い主、現在の飼い主、盲導犬にとってはどちらも心から大切な存在なんです
 どちらをより愛しているか、決められないと思います
 それでも、きっと盲導犬は現在の飼い主の安全を優先するんじゃないでしょうか
 彼らにとって、それは誇るべき仕事でもあるのですから」
カズハさんの言葉で、俺はあのとき白久が言っていった事を思い出していた。
『荒木と共に、今生を生きていきます!』
あれは、白久の心からの叫びだったのだ。

「ああ、ごめんなさい、辛いことを思い出させてしまいましたか」
慌てるカズハさんの声で、俺は自分が泣いていることに気が付いた。
首を振って
「いえ、俺も白久と一緒に生きていきたいって、改めて思ったんです
 俺、犬のことちゃんと勉強して、カズハさんみたいに犬が安心できる飼い主目指します」
涙を拭いそう伝えると、カズハさんは目を反らしてしまった。
「僕は…全然良い飼い主じゃありません…」
カズハさんは俯いてポツリと呟いた。
「僕は、ズルい飼い主ですから…」
カズハさんは辛そうに言葉を続ける。
「え?でも、カズハさんって犬のことに詳しいし、きちんと空が安心できるような態度をとってるし
 空はカズハさんに飼ってもらえて、凄く幸せそうですよ
 俺と白久もそうなりたいな、ってちょっと理想なんですけど」
俺はいつも、カズハさんと空に感じていた事を伝えてみた。
カズハさんは、ますます辛そうな顔をしてしまった。
「僕たちは…お互いズルい飼い主と飼い犬です…
 僕たちの関係は、まだ欺瞞に満ちているんですよ」
カズハさんは自嘲気味に笑う。
「だから、真っ直ぐな荒木君と白久が、ちょっと羨ましいです」
カズハさんに眩しそうな目で見られ、俺は驚いてしまった。

「少し前から、空の態度がおかしかったんです
 何というか、妙におどおどしてて
 それで問いつめたら白久の事件が発覚してね
 でも、それだけじゃなかったんです
 空は、今でも以前の飼い主が生きてるんじゃないか、って微かな希望を持っていたんですよ
 僕という新たな飼い主がいるにもかかわらず、以前の飼い主に恋いこがれていたんです」
カズハさんの言葉は、驚くべきものであった。
「それは、白久の状態に…」
言いよどむ俺に
「はい、今回の件に似ていると思います」
カズハさんは寂しそうに微笑んだ。
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