しっぽや5(go)

□秋を走る
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side<HINO>

「おっはよーございまーす」
そんな脳天気な挨拶をしながら荒木がしっぽや事務所に出勤してきたのは、昼の時間を大幅に過ぎてからだった。
「早くないだろ、おそよーの時間だ
 とっくに昼飯食った後だぜ
 野坂と伊古田は定時に顔出して、昨日の土産だってシャインマスカット置いてってくれたから、きっちりデザートとして堪能させてもらった」
俺が指摘すると荒木は『エヘヘ』といった風情で舌を出していた。
「じゃあ、これはお土産第2弾のシャインマスカット
 飼い主に持ってってもらっても良いかな、とか思ってさ」
荒木と白久は持っていた大量のビニール袋を応接セットのテーブルの上に山積みにする。
早速、控え室にいた化生達がやってきて
「サトシにも食べてもらいたい、さっきのすごく美味しかったもん」
「では私はゲンの分を、ビタミンを取ってもらいたいですからね」
「ウラにも秋を感じてもらおう
 空は出ているから、カズハの分も別にしておくか」
山積みのシャインマスカットが複数の化生によって整理されていった。

「日野も家に持って帰ってよ、お婆さんへのお土産
 高校の頃、よく美味しい手作り弁当くれたから、その時のお礼」
荒木に手渡された袋を受け取って
「サンキュー、荒木が採った土産って聞けば、婆ちゃん喜ぶよ
 採りたて新鮮で、さっき食ったのも美味かったしさ」
そうお礼を言った。
「次は日野と黒谷も車でデート行ってきたら?
 まだフルーツ狩りやってる農園あるだろうし
 昨日休ませてもらった分、俺と白久が頑張るからさ
 車あると荷物気にしなくて良いから楽だぜ、人を乗せて走るの緊張するけどな」
荒木に言われて
「フルーツ狩りか、この時期のデートとして悪くないな」
俺は黒谷に視線を向ける。
飼い主と何か狩りにいける期待で彼の瞳は輝いていた。

「どうぞ、何か良いものがあるかお調べください」
業務中にも関わらず、上司自らが私的な調べ物を勧めてきた。
「入力する書類無いなら、今、調べちゃえば?」
荒木にも言われ
「じゃあ、ちょっとだけ」
俺は検索を開始する。
「ブドウ、は荒木達に貰って堪能したからパスかな
 巨峰とマスカットじゃ、また違うけどさ
 リンゴは行ったことあるし
 他に何か秋っぽい果物で狩れそうなもの…あ、梨とか良さそう
 場所もそんなに遠くないや」
そんな感じで調べていくと、関連記事としてフルーツマラソンが出てきた。
興味はあったけど今まで参加したことが無かったので、ついそれをクリックしてしまう。
上位入賞品がフルーツだったり、給水所にフルーツが置いてあったり、かなり興味をそそられる催しだった。

「最近走ってないし、運動も兼ねてて良さそうだな」
俺が見つめる画面を、荒木がのぞき込んでくる。
「ゲッ、けっこーな距離走らないとダメじゃん
 俺には無理、食べるだけの食欲の秋で十分だ」
荒木は露骨に顔をしかめていた。
「じゃ、俺と黒谷はスポーツの秋で爽やかにいこうかな
 黒谷、こーゆーのどう?」
俺が画面を指し示すと
「飼い主と一緒に走って美味しい物を堪能する、素晴らしいですね
 こんな催しがあるなんて、全然知りませんでした」
近寄ってきた黒谷がウキウキした声で答え、画面に見入っていた。


「そうだ、せっかくだから近戸と遠野も誘ったら?
 あいつらも陸上やってたんだろ?
 今は2人ともバイト三昧だから、たまには走りたいんじゃない?」
荒木がさらっと、とんでもないことを言い出した。
「陸上やってたって、あの2人は高校生レベルのお遊びじゃなく実業団入りも確実視されてた本格的な選手なんだぜ
 俺なんかとは全然レベルが違うと言うか、そんな軽々しく一般参加でマラソン大会とか出る身分じゃ無いと言うか」
俺の言葉は
「でも、2人とも今は陸上やってないじゃん」
と言う荒木の一言に一蹴(いっしゅう)された。
「そう、なんだよな…」
大滝兄弟は同世代の俺達にとっては陸上界の期待の星であり、憧れの的だったのだ。
化生の飼い主同士としては親しく付き合えるけど、陸上選手としては恐れ多くて軽々しく口を利くような心持ちにはならなかった。

「スーパーとコンビニバイトだと日曜に休むの難しいかも知れないけど、誘うだけ誘ってみれば?」
そんな荒木の言葉に背中を押されて、俺は勇気を出して近戸にメールを送ってみた。


その夜、近戸から電話がかかってきた。
『陸上系の誘いは迷惑だって言われたらどうしよう』
居たたまれない気分で通話に出ると
『誘ってくれてありがとう、フルーツマラソンって、俺もトノも興味あったんだ
 前は監督とかに止められてたんだけど、今は自由だ
 俺もトノもバイトの休みは何とかするから、一緒に参加しよう
 荒木とか野坂からはマラソン系は絶対に誘われないだろうから、日野がいてくれて良かった』
近戸に気さくにそう言われ、俺は心底ホッとした。

こうして俺は、憧れの選手と共にマラソン大会に出場する事になったのだった。
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