しっぽや5(go)

□新たな物語
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side<IKOTA>

化生してからの僕の人(犬)生は良いことばかりだった。
大きな犬に噛まれることもないし、お腹いっぱい食べられる。
すきま風の入ってこない部屋で、柔らかな布団にくるまって眠ることが出来た。
初めて『仲間』と呼べるような犬や猫に囲まれ、やるべき仕事を与えられ、犬の時のように漫然と過ごすこともなかった。
何より、新しい飼い主が出来たのだ。
犬の時の飼い主だったあのお方は、自分のもてる全てを使って僕達の面倒を見てくれていた。
野坂もあのお方と同じように、僕の事を考えてくれる。
僕が健康であるように、僕が寂しくないように、僕が幸せであるように。
今の野坂が出来る範囲で、精一杯愛情を注いでくれた。
彼の愛を感じるたび僕の心は温かく満たされていく。
彼が教えてくれるから、僕は自分が生きていた時代とはかけ離れた異郷の地のような現代でも生きていこうと思えるのだった。




「伊古田、お疲れさま!凄く格好良かったよ
 誰よりもステージを引き立ててた」
和泉のショーが終わり控え室に戻った僕を、興奮して頬を赤らめた野坂が出迎えてくれた。
僕はこのショーに久那と一緒に『オブジェモデル』とかいう役で出演していたのだ。
何度か着替え、その都度違うポーズでしかつめらしい顔で立っていなくてはならない。
本物のモデルの人達みたいに歩いてポーズを取って見せたりしなくていいけれど、長時間同じポーズで立ち続けるのは中々疲れるものだった。

「野坂の居る場所を見つけて、嬉しくて笑いそうになっちゃった
 笑ったら久那に怒られるんで我慢してたから、顔も身体みたいにバキバキする」
僕は腕や肩を動かし、腰に手を当てて伸びをした。
野坂に会えた喜びで、顔の方はとっくに笑顔になっていた。
「伊古田は笑うと可愛くなり過ぎちゃうからね
 黒シリーズのモデルだから、キリッとした顔してなきゃ
 モデルするのに体力必要だ、って筋トレも始めてたでしょ
 短期間で体つきも随分逞しくなってきて、伊古田は本当に格好良いなって改めて思ったというか」
野坂は先ほどとは違う興奮で頬を赤らめていた。

「野坂だって、どんどん可愛くなってきてるよ」
僕は野坂を抱きしめてその髪に顔を埋めた。
「勉強もサークル活動も頑張ってるんでしょ?
 いつか僕も野坂の書いた話を読んでみたい、架空の物語がわかるようになりたい」
「うん、僕も伊古田に読んでもらいたい、伊古田に理解できるように書くにはどう表現すれば良いんだろうって、自分の文章を客観視できるようになってきた
 サークルの人達には、以前の文章よりわかりやすくて読みやすいって言われたよ
 そこに自分なりの味を付けるバランスが難しいんだけどね」
僕の胸に頬を押しつける飼い主が愛おしくてたまらなかった。
「野坂なら出来るよ、僕も、僕だから出来る何かを探したい」
僕達は見つめ合い、その唇が自然に合わさろうとした瞬間。

「はいはい、そーゆーのは後々、家に帰ってからにして」
控え室の扉がいきなり開いて、紙袋を持った久那が現れた。
野坂の存在に夢中になりすぎていたため、久那の気配を嗅ぎ取れ無かったのだ。
驚いて固まる僕達に久那は近づいてきた。
「まあ、何はともあれ、今日はお疲れさま
 中々様になってたよ、後半ちょっと身体が揺れてたから体幹もっと鍛えないとな
 俺達のオブジェ、神秘的だって高評価だったからまた頼むかも
 その時までに、もっと体力付けて体鍛えておけ」
久那はすました顔をしていたが、声の調子で機嫌が良いことが伺えた。
彼なりに今日の僕の頑張りを誉めてくれたのだ。

「これは今日着てた服、モデル料として持って帰って良いって和泉がくれたから、後でお礼を言っとけよ
 かなり破格な扱いだ、普通はモデル料は別だが3割引での買い取りになるんだから
 まあ、これは伊古田サイズの服を返却されても困るってのもあるけどな」
久那はそう言って、紙袋を僕に手渡した。
「伊古田、今日は3回着替えたよね
 今着てるのも併せて4着!ダブルアイの黒シリーズ4着って、かなりの金額になるんじゃ」
野坂の驚き顔を見て、久那は満足げに微笑んだ。
「和泉の服の価値がわかる飼い主で良かったよ
 伊古田に和泉の素晴らしさを教えてやってください」
久那はそう言うと僕を見て
「伊古田、汚すなよ」
笑ってそう言ったが、目は笑っていなかった。

ガクガクと首を振って頷く僕に
「今日着てたのって、どれも伊古田に似合ってて格好良い服だった
 伊古田、良かったね、デートの時に着てくれると嬉しいな」
野坂が紙袋の中を確認しながら声をかけてくる。
満足げな飼い主に僕も心が高揚してきた。
『まずはこれが、僕に出来る仕事の第一歩かな』
そう考えると、疲れた身体に誇らかな気持ちが満ちていった。


それから僕達は影森マンションに帰って、2人っきりの甘いご褒美時間を堪能したのだった。
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