しっぽや5(go)

□これから始まる物語〈9〉
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side<NOSAKA>

僕にとって人間関係を作るには『時間』が、相性と同じくらい重要だった。
話が合いそうな人とでも会ったばかりでは何となく身構えてしまう。
何週間もかけて、やっと『友達』という感覚になるのだ。
なのに、知り合ってまだ1週間と経っていない伊古田に『付き合おう』と言ってしまった。
自分の心境の変化に1番驚いていたのは、自分だった。

伊古田は僕に一目惚れして『好きだ』と言ってくれた。
そんな物語みたいな展開が自分の人生に訪れるとは露ほども考えたことの無かった僕は、告白された瞬間、感情が状況に付いてこなかった。
しかし短い付き合いの中でも、伊古田がそんな冗談を言う相手ではないと分かっていた。
彼が真剣に僕のことが好きなのだと気が付くと、自分も伊古田に惹かれていることを自覚してしまう。
今まで見せてくれた彼の真摯な態度は、僕の心を動かすのには十分すぎるものだった。
彼の前では強がらなくてもいい、絶対に彼は僕を軽んじたりはしない、伊古田の側では僕は素直な自分をさらけ出すことが出来る。
伊古田の胸の中は、とても心休まる場所になっていた。

感情が高ぶって思わず出てしまった涙を、伊古田は優しく拭ってくれた。
彼の大きな手の優しい指が愛しくて、その指にそっと口付けする。
彼の唇が僕の唇をふさぎ、僕達は抱き合ったまま熱い吐息を交換し合った。
僕の腹部に彼の熱く堅い感触が触れていた。
初めての行為に恐怖はあるけれど、伊古田なら無茶なことはしないだろうと思うと、このまま流されても良いかという気持ちになった。

が、彼はいつまで経ってもそれ以上の行為に及ぶ気配をみせなかった。
僕を抱きしめながら耐えるように押し黙っている。
真面目な伊古田のことだから、どさくさ紛れみたいな状態ですることに抵抗があるのだろうと気が付いた。
その愚直ともいえる彼の行動に、また愛おしさが湧いてくる。
『伊古田が過去のことを打ち明けてくれて、心や体の傷を癒す手伝いがしたい
 きちんと彼の事を知ってから結ばれた方が、僕達らしいよね
 ここまでの自分は珍しくスピード展開だったけど、ちゃんと納得できる付き合い方をしよう』
そう心に決めた。
伊古田は僕が迷っても待っていてくれるだろうし、僕も伊古田が迷っていたら待っていようと思った。

「告白されたのもしたのも初めてだよ
 その、…、キスしたのも」
僕の言葉で伊古田の体に緊張が走った。
「僕も、この姿では初めて…、あ、いや、その」
意味深なその言葉に
「この姿?」
つい反応してしまう。
「ごめんなさい、まだ上手く言葉で説明出来ない
 皆、どうやって伝えたんだろう
 あの、皆に聞いてみるから、もう少し待っててください
 でも、僕が野坂を好きな気持ちは本当だから」
伊古田は叱られた犬のようにシュンとしてしまった。
「うん、待ってるよ
 無理に過去のこと思い出してPTSD発症しても困るからね」
「PTSD?」
「心的外傷症候群、辛い思いや大きなショックを受けたりすると心が傷ついちゃうんだ
 伊古田の人生、壮絶そうだもの」
僕は彼の大きな背中をそっと撫でる。
「野坂は本当に優しいね」
伊古田は優しくキスしてくれた。


彼と付き合うことになったので、ここにしょっちゅう来ることになるかもしれない。
そう思うと、この辺の地理をある程度把握しておいた方が良さそうに思われた。
『来るたびに駅まで迎えに来てもらう訳にはいかないもんね
 エレベーターの動かし方とかも覚えなきゃ』
そのことを伊古田に伝えると
「じゃあ、この辺を一緒に散歩しよう
 野坂とお散歩、嬉しいな」
伊古田は満面の笑みで答えてくれた。
『デート』じゃなく『散歩』と言って喜ぶ辺りが彼らしくて可愛らしい。
『伊古田にとっては近所だから、デートって気分にならないか
 僕は何か、ちょっとデート気分なんだけど』
照れくさい気持ちで僕は伊古田と共にマンションを後にした。


まずは駅まで行ってみる。
そんなに複雑な道じゃないし遠くもないので、僕でも何とか覚えられそうだ。
暗くなると雰囲気が変わるから、お店以外で目印になりそうなものも覚えておく。
住宅街の中の高層マンションで建物自体が目立っているため、ある程度近くに来れば辿り着けそうだった。
「大丈夫そう?連絡くれれば、直ぐ迎えに行くからね」
心配そうな伊古田に
「帰りにもう一度辿れば覚えるかな、多分
 ダメだったら連絡するよ」
ちょっと弱気な返事を返す。
伊古田の前では強がらなくて良いから気が楽だった。

「駅前の商店街のお肉屋さん、メンチが美味しいの
 お茶屋さんはアイスが美味しいよ
 コンビニの限定アイスも美味しいんだ」
伊古田は小食だけど食べること自体は好きなようで、彼が案内してくれる場所は食べ物屋さんばかりだ。
「今度来たときは、一緒にご近所食べ歩きしようか」
そう誘うと
「うん」
彼は輝く笑顔を見せるのだった。
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