しっぽや5(go)

□これから始まる物語〈7〉
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side<NOSAKA>

学園祭からの帰り道、伊古田と別れがたかった僕は駅まで一緒に歩くことにした。
僕にとっては遠回りになってしまうが、次にいつ会えるか分からない伊古田と少しでも一緒に居たいと思ったからだ。
僕にとっては奇跡のような良いことずくめの1日は、無事に終わってはくれなかった。
2人で歩く道の向かいから、大きなシェパードが1頭だけでフラフラと近付いてきた。
大きな犬が怖い僕達にとって、それは地獄の使者のように感じられた。


『どうしよう』
この場をどう切り抜けようか、僕はなけなしの犬について知っていることを思い出してみる。
『確か、背中を見せたり走って逃げようとするのは、かえって危ないんだよね
 死んだふりは熊か、そもそも今はそれはやっちゃダメなことだった』
全くもって頭が働かず、僕は伊古田の手を握ることしか出来なかった。
パニックに陥っている時、本で読んだ知識は役に立たない事を痛感してしまう。
僕が伊古田の手を強く握ると、彼の手の震えは徐々に治まっていった。
横目で見ると、さっきまで真っ青な顔をして脂汗を流していたのに、今は毅然とした顔になっていた。
ブツブツと小さく何かを呟いている。
「僕がやらなきゃ、僕が野坂を守らなきゃ、いつまでも弱虫のままじゃ野坂に会えた意味がない」
伊古田は強く僕の手を握り返すとその手をそっと離し、犬に向かってゆっくり歩き出した。


犬と伊古田の距離が縮まっていく。
犬は長身の伊古田に怯むことなく近寄ってきた。
「ん…?何だろう…?」
伊古田は訝しげな声を出し
「ねえ野坂、『クウセンセ』って何だか分かる?」
そんなことを聞いてきた。
突然すぎる問いかけの上、意味がさっぱり分からない。
「あ、あー、そうか、空先生だ、空と先生って言葉が全くつながらなくて分からなかった」
伊古田は一人で納得すると
「ちょっと失礼」
そう言って犬の首輪をいじりだした。
驚いた事に、シェパードはいきなり触ってきた人間を警戒するでもなく大人しく座っていた。

「野坂、大丈夫、この人うちのしつけ教室の生徒さんだよ
 ほら、初級コース卒業のメダルを首輪に付けてる
 今度から中級コースに通うんだって
 この卒業メダル最近配り始めたんだよ、早速役に立った」
伊古田に頭を撫でられて、犬は嬉しそうに尻尾を振っていた。
「まだ若い人だから、きちんと勉強してても少し注意力が散漫になっちゃう時もあるんだ
 今日は鳥に気を取られて門を飛び越えちゃったみたい
 飼い主やうちの講師に怒られないか気にしてる
 誰も傷つけてないし大丈夫だよ、飼い主さんには僕が事情を説明してあげるから」
感謝を表すように、犬は伊古田の手を舐めた。
「野坂も触らせてもらう?大人しい人だから大丈夫だよ
 野坂にも犬は怖いだけじゃないって知って欲しいんだ」
最初は僕よりも犬を怖がっていた伊古田の言葉に、ちょっと笑ってしまった。

「せっかくだから触らせてもらおうかな
 警察犬と同じ犬なんて、めったに触れないもんね」
僕はそっと犬の頭を撫でてみた。
思っていたよりもフワフワで毛がサラサラしていて
「犬ってこんなに触り心地良いんだ」
と驚いてしまう。
「昨日、シャンプーしてもらったんだって」
伊古田が言うとシェパードは誇らしそうな顔になった。
飼い主の話題の時にはバツの悪そうな顔、撫でられると嬉しそうな顔。
最初は怖いばかりだと思っていた犬の顔が、色んな表情になることに気が付いた。
『何か伊古田みたい、見た目の先入観に捕らわれちゃダメってことか』
今まで動物と触れ合う機会が無かった僕は、新鮮な驚きを感じていた。


「ちょっと事務所に電話してみるね」
伊古田はスマホを取り出してタドタドしくいじり始めた。
「あ、黒谷?伊古田です
 今帰る途中なんだけど、しつけ教室の生徒さんが1人でウロウロしてるの見つけたから送っていきたくて
 飼い主さんに取りなす約束したんだ、どうしたらいい?
 え?住所?ここの?」
伊古田は困った顔になり助けを求めるように僕を見た。
それは先ほどシェパードに向かっていくときの毅然とした顔とは大違いで、そのギャップが可愛らしかった。

「僕が出るよ」
僕は伊古田のスマホを受け取り、自分のスマホでマップを開く。
「お電話代わりました、学園祭でお会いした野坂です
 現在地は□□□市○○○町3丁目17番地」
『ああ、野坂さん、伊古田がお世話になってます
 □□□市の○○○町、っと、何?ふかや
 え?ああ、そうなの?じゃあナリに送ってもらうか』
黒谷さんは電話の向こうで誰かと少し話し、弾んだ声で
『ちょうど今、関係者が車でそちらの近くまで配達に出てるんです
 今日はそのまま直帰なので、彼に送ってもらうよう連絡します
 犬を送り届けたら、野坂さんも送ってもらうよう伝えておきますね
 今からだと帰るのが遅くなってしまうでしょう』
信じられないくらいタイミングが良すぎる事を言っていた。
こんな展開の小説を書いたら『リアリティがなさ過ぎる』と批判されるだろう。
それとも運の良い人にとっては、こんな展開も日常茶飯事なのだろうか。

不運に自信のある僕の人生には絶対的にあり得ない展開だった。
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