しっぽや5(go)

□これから始まる物語〈3〉
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<side IKOTA>

『………タ、……ータ、おいで』

あのお方が呼んでいる。
何と呼ばれているか上手く聞き取れなかったけど、僕を呼んでいるのは間違いなかった。
あのお方に何と呼ばれていたか、思い出せない自分が情けなかった。
『おいで』
と言われてるのに身体が動かせず、意識は闇に沈んでいった。


『おう、ケン坊元気か?』
『リュウイチおじさん!来てくれたんだ』
『ああ、可愛い甥っ子の顔を見たくなってな
 ほら、これ、春子オバチャンがケン坊に食わせてやれって、作ってくれた弁当だ
 たんと食べな』

『リュウ兄貴、いつも悪いな
 春子義姉さんの具合どうだ?』
『身体は快復したんだが、子供欲しがってただけに気落ちしててな
 あいつはケン坊のこと気に入ってるから、たまには遊びに来させろよ
 少しは気が晴れるだろう』

『おじさん、このオニギリ、ちょっとだけ犬にもあげて良い?』
『ケン、せっかく義姉さんが作ってくれたモンを犬になんてやるな』
『まあまあ、良いじゃないか
 犬ってあのデカいグレート・デーンだろ?ちゃんと面倒見てて偉いな
 傷が化膿しないよう、薬も塗ってやりな』
『いいの?』
『ああ、ほらこれ、うちの犬にも使ってるやつだ』
『りがとう、すぐ行ってくる!』

『リュウ兄貴、甘やかさんといてくださいよ
 子供はすぐ図に乗る』
『あの犬は、すぐに死なせるには惜しい優秀な噛ませ犬だ
 アイツを噛んだ犬の顔、自信が漲ってるじゃあないか
 あれで訓練して良い結果出てんだろ
 うちの噛ませ犬、1日で3匹ヤられちまってな
 強い犬を手に入れたんよ
 そのうち、あの犬にお世話になりたいって思ってるから、そんときは頼むぞ
 それまで生かしとけ』
『まあ、そう言うことなら』
『よし、今日は俺の奢りで飲み行くか』



あの時、あのお方と食べたオニギリは、とてもとても美味しかった。
あのお方と居られた時間が、闇の中で宝石のようにキラキラ輝いて蘇っていた。




ピーピーピー

鳥の声とは違う音で目が覚めた。
「スマホのアラーム、どうやって止めるんだっけ
 今止めないと、また鳴っちゃう」
僕はサイドテーブルに置いてあるスマホの画面を、慌ててあちこち触ってみる。
音は何とか鳴り止んでくれた。

起きあがろうとするとポツリと目から涙がこぼれ落ちた。
見ていた夢が流させた涙だ。
涙を拭ってくれる海(かい)はここにはいないので、自分で拭うしかなかった。
涙を振り払うよう
「今日は荒木の大学のお祭りに行く日だから、大麻生の飼い主に服を選んでもらいに行かなきゃ
 すぐ食べられるようオニギリ作っておいて正解だったな
 着替えたら白久と明戸と合流して、出発だ」
僕は声を出して確認するとお湯を沸かしてインスタントの味噌汁を作る。
具の入っていない冷たい塩オニギリだけど、あのお方と食べたオニギリを思い出させるこれが僕にとってのご馳走だった。



「えっと、大麻生の部屋はここだよね」
大麻生は怖い顔のシェパードだけど、元警察犬なので正義感に溢れていて優しいかった。
僕の過去を知ると『児童虐待に動物愛護法違反ではないか』と怒ってくれたのだ。
自分のことを誰かが代わりに怒ってくれる、上手く怒れない僕にはそれがとても嬉しかった。

チャイムを鳴らす前に大麻生が出迎えてくれる。
部屋に通されると髪が金色の人間がいた。
大麻生の飼い主の『ウラ』と言う人間だ。
「すげー!グレート・デーンなんて初めて見たぜ
 ダルメシアンっぽいのかと思ったら、もっとデカくて格好いいじゃん
 ここまで短毛の化生も初めてだし、こりゃイジリ甲斐あんなー
 ソウちゃんの服は似合いそうだけど、裾がちょっと足りないか
 んー、でもワザと踝(くるぶし)の上辺りまで見せるのも面白いな
 背の割にウエスト細!ベルトでムリクリ結ぶか、サスペンダー?」
彼は僕の身体をペタペタ触りながらあれこれ考えているようだった。

ふと、彼の手が止まる。
「荒木に聞いたけど、この痣みたいなの生前の傷跡なんだって?」
「そうみたい、でももう痛くも何ともないよ」
「ソウちゃんは老衰だったから何もないし、交通事故死したって空(くう)も痣なんて無かった
 この、首にあるやつが1番色が濃くて目立つな、死因だったのかな…
 腕の痣はまだしも、首のはチョーカーで隠し気味にしてみるか」
彼は優しく喉を撫でてくれた。
大麻生が嫉妬するんじゃないかと思ったが、チラリと見た彼も飼い主と同じように痛々しいものを見る目をしていた。
睨まれてなくてホッとする。

やはり大麻生は正義の警察犬なんだな、と頼もしく思うのだった。
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