しっぽや5(go)

□里帰り〈 川に触れる 〉・中編
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お屋敷に戻ると
「こいつらは明日の昼にでも囲炉裏で焼くよ
 荒木、囲炉裏で焼きながら魚を食ったことないだろ」
「囲炉裏って実物見たことないや
 お婆ちゃん家とか普通に住宅街にあるし」
「なら今晩は囲炉裏で鍋にするか、炊事係に伝えとく」
海はそう言い残し、捕った魚を生け簀に放しに行った。

「荒木、川の水に浸かっていたので体が冷えてきたのではないですか
 日も陰ってきましたし
 座敷で温かいお茶をいただきましょう」
白久が俺の手を握り促すような視線を屋敷に向ける。
確かに先ほどより寒く感じていた。
「まだ明るいのに、もう夕方っぽくなるんだね
 上着持ってきて良かった、蒔田の助言に感謝だ」
「冬よりはマシですが、山は冷えますから
 その代わり夏は快適です
 人里に降りてから、私達犬の化生は夏に辟易しております
 エアコンの存在がどれほどありがたいと思ったことか
 今となっては、扇風機だけで乗り切れた夏があった昔の町が夢のようです」
玄関で靴を脱ぎながら白久が力説していた。


「白久ー!」
襖を開ける前に飛び出してきた陸(りく)が白久に抱きついた。
「ゲペー、ゲペー、ウメー、アニキニー、ミセーミセー」
興奮しすぎて何語を話しているのかよくわからない。
「月餅が美味しくて気に入ったので、波久礼に売っている店を教えて欲しいそうですよ
 猫カフェに行ったときに、お土産に買ってきて欲しいと」
後に続いて出てきたミイちゃんがクスクス笑いながら訳すと、陸はブンブンと頭を振った。
「わかりました、後で波久礼に伝えておきます
 陸、麓のスーパーでも似たような物を取り扱っているかもしれません
 『月餅』
 この字が書いてあるお菓子を探してみてください
 パンのコーナーの側にあったりしますよ
 作るお店によって中身が若干違うので、食べ比べるのも良いかと」
陸は白久にメモを手渡され、字を覚えようと頑張っていた。
「ハスキーと話すときは、メモ用紙が必須なんです
 字を覚えさせないと、間違えて栗饅頭(くりまんじゅう)辺りを買いそうで」
苦笑する白久につられ、俺もちょっと笑ってしまった。


ミイちゃんに案内され、客間のような座敷に通された。
「海の漁を手伝ってくれたとか、ありがとうございます
 川の水で身体が冷えたでしょう
 栗善哉を作りましたので温まってください」
座って待っていると、直ぐにお盆を持ったミイちゃんが戻ってきた。
「どうぞ」
卓(たく)の上に、お茶と湯気が出ているお椀と木のスプーンを置いてくれる。
白久と自分の座る場所にも置いていた。
「いただきます」
俺はスプーンを手にして小豆をすくい、フーフーと息を吹きかけてから口にする。
温かく甘い小豆が体に染み渡っていく。
自分で思っていたより、体が冷えていたようだ。
「美味しい」
思わず声が出てしまった俺に
「お気に召していただけて良かったです
 去年収穫した栗を、甘露煮にしておいたの
 皆、山菜よりは熱心に栗拾いをしてくれるから助かるわ
 栗ご飯を秋にしか炊かないのが秘訣」
ミイちゃんはクスクス笑っていた。

「夕飯まで自由にしていてくださいな
 白久は飼い主を皆に自慢したいのではなくて?」
ミイちゃんに言われ
「そうなのですが、他の者が荒木の魅力に気が付いてしまうかも」
白久は真剣に悩んでいた。
「大丈夫よ、皆、今は荒木より月餅やマーラーカオに夢中だから
 珍しいお土産をありがとう」
「月餅より、荒木の方が素晴らしいではないですか
 それは皆にわからせないと」
白久の悩みは尽きなかった。


それから夕飯まで白久に屋敷の中を案内してもらい、陸や海以外の武衆も紹介してもらった。
しっぽやに来ない犬の集団なのでちょっと身構えてしまったが、彼らは俺に対して礼儀正しく振る舞ってくれた。
その多くが和犬で彼らは一様に『あのお方がまだ心の大半を占めているので、新たな飼い主と出会うための気持ちの整理がつかない』と言っていた。
それは忠義心あふれる和犬の心のありようのように思え、切なくなる。
「私も、長き孤独の果てに荒木に巡り会えました
 きっと皆にも、そのような時が訪れます」
そんな白久の言葉を聞く彼らの瞳に、希望の光が射したように感じられた。


夕飯は海の提案の通り、囲炉裏での鍋になった。
囲炉裏があるのは大広間より狭い部屋なので、昼ご飯に来た半数以下での食事となる。
「交代制で食べるので、お先にどうぞ
 夜には近辺を見回りに出てもらっているの」
ミイちゃんがお椀に具をよそって手渡してくれる。
夜になると更に冷え込んできたため、温かい鍋が身体に染みるようだった。

「寝る前に、温泉で温まってくださいね
 他の者も利用するので、ちょっとやかましいかもしれませんが」
「個人宅に温泉…凄いね、ここ」
ミイちゃんの言葉に驚いてしまう。
「山の中ですからね」
悪戯っぽそうに笑う顔を見て
『この山の恵み、全部ミイちゃんのパワーだったりして』
俺はそんな途方もないことを考えてしまうのであった。
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