しっぽや2(ニャン)

□幸福の在り処(ありか)
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「日野、僕は何をすればよいでしょう?」
黒谷が所在なさげに日野に問いかけている。
「黒谷には、電球の交換頼みたいんだ
 いつも使ってる高い踏み台、こないだ天板踏み抜いちゃってさ
 低い踏み台しかなくて、俺じゃ届かないんだよ
 天板踏み抜くとか、俺、太ったのかな…」
ションボリする日野に
「高いところの作業なら、お任せください!
 大丈夫、日野はちっとも太ってません」
黒谷は頼もしく頷いてみせていた。
「わざわざ来ていただいて、申し訳ありません
 ヒーちゃん、あの踏み台、貴方が生まれる前から使ってる物だし、寿命だったのよ」
今度は奥から電球を持った女の人が現れた。
『奈緒ちゃん…』
それは、お嫁に行かれたあのお方の娘さんと同じくらいの女の人であった。
日野のような大きな子供がいるようには見えない、若々しい方だ。
『奈緒ちゃんが家に来ると、ネコジャラシでいつまでも遊んでくれたっけ』
私はそれを懐かしく思い出す。
日野の家は、私が無くしてしまったもので満ちていた。


「どうぞ、狭いけれど台所に来てちょうだい」
お婆様の声で私は自分の思考から我に返る。
「若い方のお口に合う物を教えてあげられると良いのだけど」
「あのカボチャの煮物の挽き肉あん、とても美味しかったです」
2人のやりとりを聞いていた私は
「カボチャ、小豆と煮たりはなさらないのですか?」
つい、そう問いかけてしまう。
「あら、よく知ってるわね
 カボチャと小豆を煮るの『いとこ煮』って言うのよ
 家庭によって具は色々変わるみたいだけど、私が母に教わったのはカボチャと小豆だったわ
 そういえば、久しく作ってないわね
 今度作ったら、日野に持たせるわ」
少し驚いた顔のお婆様の言葉を、私は小さく復唱する。
「いとこ煮…」
あのお方の作っていた料理の名前を、初めて知った。
私も明戸も猫だったときはカボチャなど好きではなかったが、小豆は美味しいと思っていた。
あのお方は私達用に、ほんの少しだけ小豆を小皿に取り分けてくれたものだ。
ここに来てから、私は失った幸福を次々と思い出していた。

「挽き肉あんに使うのは、どんなお肉でも良いのよ
 あの時は、前日に作った鶏唐用のもも肉が残ってたから、包丁で叩いてミンチにしたの
 私の料理って、安い材料を適当に色々買ってきて何となく組み合わせて作ってるから、本当は人様に教えられる物じゃないのよね」
お婆様は私達に悪戯っぽい笑顔を向ける。
「経済的で、とても良いことだと思います
 やはり特売品はチェックしないと」
「あるもので工夫出来るのは、凄いことですよ
 メニューにも幅がでる」
私と長瀞の言葉に
「ありがとう
 貴方達、アイドルみたいにキラキラしいのに、落ち着いてるのね
 何だか一緒にいるとホッとするわ」
お婆様はそう言ってくださった。

買ってきた材料を持ち、私達は台所に移動する。
「最近はレンジや圧力鍋を使って時短して料理してるの
 今はストーブとかで暖をとりながら長時間煮炊きしないから、ガス代節約しないと」
その言葉で、私はあのお方がストーブを利用して、豆を煮ていたことを思い出した。
豆だけではなく、根菜の煮物やシチュー、カレーの下拵えも行っていた。
冬でも暖かな部屋に、コトコトと何かの煮える音が優しく響いていたものだ。

「そうですね、煮物は時間がかかりますものね
 私は大豆などは、水煮になっている物を買って楽しています」
苦笑気味に告げると
「あら、大豆を使った料理なんて作るの?」
お婆様は驚いた顔を見せる。
「ひじきと炒めたり、コンソメスープや挽き肉のカレーに入れたりします」
「キュウリやタマネギ、ボイルたこと一緒にドレッシングに漬けておいても、マリネ風で美味しいサラダになりますよね」
私や長瀞が答えると
「和風の煮物や炒め物以外に、麻婆系の炒め物に入れても美味しいのよ
 やだ、男の子と大豆料理の話が出来るなんて、可笑しい」
朗らかに笑い出したお婆様の笑顔は、やはりあのお方を思い起こさせた。

それから私達は夕飯作りのお手伝いをしながら、色々なことを教わった。
『2人とも手際が良いのね、普段からやっている証拠よ』
お婆様に誉められると、私の鼓動は速まった。
それを感じ取ったのだろう。
彼女が席を外したとき、長瀞に
「あの方に、飼っていただきたいのですか?」
そう問われた。
しかし私には、飼って欲しいという感覚とは別な気がしていた。
「そうではないと思います…
 ただ、お婆様といると、あのお方を思い出して暖かな気持ちになるのです
 仮初めとわかっていても、失った場所に帰ったような気がして
 ああ、波久礼が猫と居たがるのも、こんな気持ちなのかもしれませんね
 少しでも、生前の生活を追体験したいのです」
そんな私の言葉に、長瀞は『そうですか』と少し悲しげに微笑んだ。
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