しっぽや2(ニャン)

□再生の旅
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しっぽやから私が帰ると、マリさんは寝室のベッドの上で丸くなっていた。
体重が往年の半分近くに落ちてしまったその姿は、驚くほど小さくなっている。
「ただいま、マリさん」
私が声をかけても、彼女は耳を傾けもしなかった。
不安になって近寄ると、彼女の体が緩く上下し息をしていることが判明する。
『生きてる…』
ホッとしたのもつかの間で、彼女の目を見て私は慄然とした。
彼女の目からは、すでに光が消えていたのだ。

「マリさん!マリさん!」
その体を揺すると、彼女は弱々しく前足を動かした。
しかしそれは単なる反射のようで、意味のある動きではなかった。
「待って、待ってください!今、ゲンを呼びますから!」
携帯を取り出そうとする私に
『見られたくない…』
微かな想念が届いてくる。
『逝くとこ、ゲンちゃんに見られたくないの…』
それは、彼女の最後の切実な訴えであった。
「だから、逝く日に今日を選んだのですね」
私は涙を流しながら、彼女の前足をそっと握りしめた。

『でも、独りで逝くのは怖い…』
そんな彼女の訴えに
「私がいます、独りじゃない」
安心させるよう、私はマリさんに顔を近づけた。
「化生、なさいますか?」
私の問いかけに彼女は不愉快げに尻尾をピクリと動かし、否定の意を表した。
『ゲンちゃんにはアンタがいるもの…』
マリさんの絶望的な呟きが、私の胸に突き刺さった。
やはり彼女はこの家で孤独を感じていたのかと、切ない気持ちを覚えてしまう。
それからの数十分、私は弱くなっていくマリさんの呼吸を感じながら、小さな前足をずっと握りしめていた。

『暗い…怖い…怖いよ…』
マリさんがブルッと痙攣する。
「マリさん、私がいます、私がいますから」
必死に呼びかける私に
『アンタの事は好きじゃないけど…
 最後の時に…居てくれて良かった… 
 ゲンちゃんを…お願い…ね…』
彼女は魂の抜けかかった状態で、最後の力を振り絞るような想念を送ってきた。
『バイバイ…ながとろ…』
マリさんが私のことを名前で呼んでくれたのは、後にも先にもそれっきりだった。
すうっと、マリさんの気配が消える。
何の未練も残さずに、彼女はこの部屋から旅立ってしまったのだ。

温もりの残るその小さな亡骸を抱きしめながら、ゲンが帰ってくるまでの間、私は独り涙を流すことしかできなかった。




「ナガト、ナガト?大丈夫か?ナガト!」
焦ったようなゲンの声で、私の意識が覚醒する。
私は寝ながら涙を流していた。
寝室は薄明かりに包まれて、外からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。
明け方のようであった。
「すみません、起こしてしまいましたか?
 昔の夢を見てしまって…私なら大丈夫ですから」
涙を拭いながら安心させるように笑顔を向けると、ゲンは私の体を強く抱きしめてくれた。
「マリちゃんの最後の時、一緒に居てやれなくてごめん」
聡いゲンには、私がどんな夢を見たのかお見通しのようであった。
私は小さく首を振り
「ゲンに見られたくないと望んだのは、マリさんです
 貴方が気に病む必要はありません」
そう言って彼の胸に頬をすり寄せた。
そんな私の髪を、ゲンは何も言わず優しく撫でてくれる。
『愛してる、俺がいるから大丈夫だよ』
そう伝えるように、優しく、優しく、何度も撫でてくれた。

私の体から、悲しみの緊張がほぐされていった。
あまりに優しく撫でられるその感触が心地よくて、体の方が勝手に反応してしまう。
「……まだ時間早いし、するか?」
私の体の変化に気が付いたゲンが、耳元で悪戯っぽく囁いた。
「…はい」
朝からゲンに無理をさせたくはなかったけれど、私はすぐにでも彼を感じたくなっていたので素直に頷いた。
「頑張らしていただきますか」
ゲンが体を入れ替え私にのしかかりながら、ヘヘヘッっと笑ってキスをしてくれる。
「今夜は、精の付くメニューにいたしますよ」
私はそう言って微笑み、ゲンのもたらす刺激に酔いしれるのであった。
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