しっぽや2(ニャン)

□捜索依頼〈マリ〉
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凪いだ意識の海の中で、微かなさざ波が起こっている箇所があった。
『無い、無い…』
意識をそこに集中させると、物凄い喪失感が襲ってくる。
『無い、無い、あたしのお家が無い…』
絶望的な虚無感に呆然となっている気配。
依頼のあった迷子猫のものに間違いなさそうだ。
偶然なのか、この辺にいるという飼い主の勘とやらは当たっていたようだ。
キャッチしたその感覚を離さないよう、私は早足で歩き出した。
いきなり歩調を早めた私に
「おい、どこ行くんだよ」
依頼人が慌てたようについて来る。
私はそれを無視して、ひたすらその虚無感に向かい歩いて行った。

しっぽやの事務所から30分近く歩いたろうか、駅から離れた住宅街の真ん中に空き地があった。
真新しく掘り返された土を見るところ、つい最近空き地になったようであり雑草もほとんど生えていなかった。
この近くから虚無感が漂ってくる。
私は邪魔な荷物である傘を畳むと、雨の中を歩き回り始めた。
水に濡れるのは嫌いであるが、きっと相手もずぶ濡れになっているであろう事を思うと、そうも言っていられない。
程なく、空き地が見える家の生け垣の奥に、澄んだ水色の目を見つけた。

私は這いつくばってなるべく彼女と視線の高さを合わせ、しかし敵意が無いことを示すため目はそらし気味にし
『こんにちは、マリさん?
 貴女の飼い主が探していますよ
 随分遠くから来ましたね、お家はここから離れています
 一緒に帰りましょう』
優しくそう語りかけてみる。
長い毛が雨でベッタリと体に張り付き、みすぼらしい姿になったマリさんは私の言葉に耳を貸そうとはせず、虚ろに
『無いの、あたしのお家が無いの…』
そう、想いの淵に沈んでいた。

『そうです、貴女のお家はここから離れた所にありますよ
 大野様もいらしてます
 どうぞ、こちらにお越しください』
私は根気強く語りかけた。
それでも彼女は呆然とするばかりであった。
『大野 原様が貴女の事を心配しておられますよ』
私は再度、飼い主の名前を告げてみた。
『………
 ゲンちゃん?
 ゲンちゃん…あたしのお家…』
彼女の心に、やっと私の言葉が届く。

『そうです、ゲン様が貴女を心配していらしているのですよ
 大丈夫、手荒な事はいたしません
 私の元においでください』
手を伸ばすと彼女はゆっくりと立ち上がり、私に向かって歩いてきてくれた。
私はそんな彼女をそっと抱き上げる。
彼女は大人しく私に抱かれていた。

ずぶ濡れの私と彼女を、大野様が呆然と見ている。
私が無言で彼女を差し出すと、大野様は傘を投げ捨てて
「マリちゃん、やっぱりここにいたんだね」
そう言って、優しく彼女を抱き締めた。
『ゲンちゃん…』
マリさんは、微かにノドを鳴らし始めた。
いい加減な人間に見えたが、彼女にとっては良い飼い主のようだ。
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