しっぽや5(go)

□新たな物語
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飼い主が側に居るという事、お母さんが僕に贈り物をしてくれたという事、僕が死んだ後のこの国の情報を教えてもらった事、それらが重なったからだろうか僕は久しぶりにあのお方の夢を見た。

いつもは起こったことの再確認のような夢だったが、今回は違う。
僕が死んだ後のあのお方の姿が夢に出てきたのだ。
夢の中のあのお方は、僕の死骸にとりすがって激しく泣いていた。
『コータ、コータ、僕を置いていかないで、コータ
 僕達、ずっとずっと一緒だったじゃないか
 コータが居なかったら、僕、もう頑張れないよ
 お母さんのところに行きたいよ』

いけない、僕はこんなところでなにをやっているんだろう、あのお方の側を離れないと誓ったのに、あのお方を守りたいとあんなに強く思ったのに
ごめんなさい、ごめんなさい、僕だけ先にあの生活から逃げ出してごめんなさい
あの犬に立ち向かえなくてごめんなさい、置いていってしまってごめんなさい


「……い、……さい、ごめ……」
激しく揺り動かされて意識が浮上する。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
僕はそれでも譫(うわ)言のように謝り続け、涙を流していた。
「伊古田、伊古田大丈夫?落ち着いて、それは夢だよ
 もう過ぎてしまった昔の夢だ
 前の飼い主の夢を見ていたんだね」
野坂が僕の頭を自分の胸に抱きかかえ、優しく撫でてくれた。
飼い主からの優しい愛撫に次第に心が落ち着いてくる。
と同時に、今の飼い主に過去の飼い主を恋しがっていることを知られ、再び動転してしまった。

「野坂、あの、ごめんなさい、僕、本当に野坂が好きで
 本当の本当に今の僕は野坂のことが1番好きで…
 なのに、なのにごめんなさい」
夢の中でも現実でも、謝ることしかできない自分が情けなかった。


「ううん、僕もごめん、結果的に伊古田の愛を疑っていた部分があったというか
 気になるよね、あんな生活をしていた前の飼い主が、自分が居なくなった後どうなったか
 僕がもっと早く教えていたら、伊古田をこんなに悲しませることはなかったのに」
野坂は僕を撫でながら不思議なことを言っていた。
「伊古田が僕に過去を打ち明けるのを迷っていたの、わかる気がする
 もし、事実を知ったら離れていってしまうんじゃないかって
 怖いね、この気持ち
 乗り越えられた伊古田は勇気がある、僕も伊古田のその勇気をもらうときがきたんだ」
野坂は何かを決心した瞳で僕を見ると起きあがってベッドから出て行った。
野坂の温もりが消えたベッドの中は、驚くほど寒々としていた。


スマホを持った野坂がすぐに戻ってきてくれて、僕は心底ホッとする。
暫く俯いてスマホを操作していた野坂が顔を上げ
「これ、伊古田の前の飼い主だよ
 伊古田を失った後のケン坊君のことが書いてあるから、読んでみて
 わからない言葉や字があったら言って、教えるから」
震える手で差し出されたスマホを僕も震える手で受け取った。
画面には文章とともに見知らぬお爺さんの写真が写っている。
気配も臭いも声もないから、最初は誰だか全くわからなかった。
文を読んで初めて、それが成長したあのお方の姿であることに思い至ったのだ。


幼い頃闘犬の噛ませ犬の世話をしていたこと、1番可愛がっていた犬がかみ殺されたとき、この風習を終わらせたいと思ったこと、父親が死んだこと、叔父の養子になったこと。
僕が知らなかったあのお方の人生が、その文には詰め込まれていた。
僕の目から、涙が止めどなくあふれ出す。
あのお方が今はもう鬼籍に入っていて、本当に2度と会えない存在になったからではない。
闘犬存続の是非を問う愛護団体を立ち上げられたからでもない。
あのお方が、夢を叶えたのを知ることが出来たからだ。

『春子叔母さんが、お母さんだったら良かったのに…』

叶えられないと思っていた子供にとっての切実な願い。
それをあのお方は叶えることが出来たのだ。
分けてもらうおにぎりはいつも優しい味がして、作り主があのお方を気にかけていたことが伺えた。
僕を失った代わりに、あのお方は母親を手にすることが出来ていた。
その事実は何物にも代え難く、先に死んでしまった僕の後悔を癒していった。


僕が野坂にスマホを返すと
「コータはケン坊君の犬だけど、伊古田は僕の犬だよね」
伏し目がちにそう問いかけてくる。
それで、あのお方のその後を知った僕が自分から離れてしまうことを恐れていたのだと気が付いた。
僕は野坂に側にいるよう強く求められている。
それはとても嬉しい事だった。

「犬だったコータは、あのお方とともに旅立ちました
 伊古田である僕は、貴方の犬です
 貴方だけの飼い犬です」
自分が2人いるような不思議な感覚だけど、そうとしか言えない気持ちになっていた。

あのお方との物語はコータと共に終わりを迎えた。
今の僕は最初に出会った瞬間から、野坂との物語を始めている。
それにやっと気付けた気がした。
まだまだ続いていく物語の途中に、僕と野坂はいるのだ。

物語の今日の最初の書き出しは、まだ真夜中ではあるけれど
「野坂、しても良い?」
だった。
ずっと頭を撫でてもらっていたので、僕の飼い主に対する想いが高ぶっていた。


愛しい飼い主からの返事は
「うん、朝までしちゃおうか」
そんな喜ばしくも大胆なものになるのだった。


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