しっぽや5(go)

□これから始まる物語〈7〉
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「お腹一杯!野坂と食べるといつもより美味しくて一杯食べちゃった」
ペットボトルのお茶を飲みながら、伊古田は満足げな吐息をはいた。
確かに、知り合ってから1番食べていたかもしれない。
かく言う僕も、いつもより多く食べてしまった。
お腹が満たされたせいか、伊古田の目がトロンとしてきて首が揺れ始めた。
緊張の糸が解け、眠気におそわれているようだ。
「伊古田、少し寝なよ、今日は活躍して疲れたでしょ」
僕がそう言っても
「でも、せっかく野坂が来てくれたのに」
伊古田はショボショボの目で頑張っていた。
「90分サイクルの睡眠が良いらしいから、3時間寝るとスッキリするんじゃない?」
僕は無理矢理伊古田をベッドに押し込んだ。
「退屈すぎて、このまま帰っちゃわない?起きたとき、まだ居てくれる?」
不安そうな彼に
「駅までの道が分からないよ、読みかけの本を持ってきてるから僕のことは気にしないで
 3時間経ったら起こすね」
僕の言葉で安心したのか疲れがピークに達したのか、伊古田は直ぐに寝息を立て始めた。

僕はその隙にスマホを取り出して、荒木に電話をかける。
しっぽやのアットホームさから考えて、荒木には既に話が行ってると思ったからだ。
「もしもし、荒木?その、白久さん辺りから聞いてる…?」
直ぐに電話に出た荒木に怖ず怖ずと問いかけると
『ああ、伊古田の部屋に行ってくれてるんだろ?
 ありがとう、野坂ってわがままかと思いきや実は良い奴なんだな』
ビミョーに失礼な答えが返ってきた。
「実はってなんだよ、まあ今、伊古田の部屋に居るけど
 何て言うか、間を持たせるために僕どうしたら良いんだろうと思って」
僕の質問に
『伊古田と寝たら?』
荒木は大胆な答えを返してきた。

「え?いや、そんな、知り合ったばかりだし…いやいや、そんな…」
驚きのあまりスマホを取り落としそうになるし、同じ言葉しか口から出てこなかった。
『学園祭で伊古田、凄く頑張ってたと思うんだ
 彼、まだ体調とか本調子じゃなくて、疲れやすくてさ
 お前の側で寝かせて、ちょっと休ませてもらえると助かる』
荒木の言葉に『紛らわしい言い方するな』と心の中でイラつきつつ
「伊古田は今寝てる、一応3時間後に起こす約束でね
 あまりにも疲れてそうだったら、そのまま朝まで寝かせるよ
 読みかけの本持ってきてるし、僕は何時間でも時間を潰せるんで退屈じゃないから」
僕はそう答えた。
『そっか、本…
 あ、明日って大学来る?俺と近戸で適当に誤魔化すから休んでも良いよ
 必要あれば親御さんにも電話するし、泊まりがけで俺のレポート手伝って貰ってる、とか
 野坂には伊古田と居てもらえた方が安心というか、嬉しい
 まあ、今日はゆっくりして明日の朝にでも連絡してよ』
荒木は今までにないくらい僕に気を使って通話を終了した。
電話での声が眠りを遮ってしまったのではないかと気になって伊古田を見ると、安らかに寝ている。
その寝顔は安心しきっていて、遊び疲れて眠る子犬を思わせた。


鞄から読みかけの文庫本を取り出して読んでいたら、チャイムが鳴った。
伊古田は起きる気配を見せなかったので
「どうぞ、鍵はかかってませんので」
また差し入れかな、と思い僕は声をかけた。
入ってきたのは刑事を思わせる凄みのある、何故か先ほど見たシェパードを連想させる人だった。
「夜分に失礼いたします」
彼は丁寧に頭を下げた。
疚(やま)しいことをしていないはずなのに、家宅捜査されたらどうしようという居たたまれなさを感じてしまう。
「先ほど荒木から連絡いただきまして、こちらをお持ちしてみたのですが」
彼はお菓子のロゴが入っている小さな紙袋を手渡してきた。
受け取るとずしっと重く、中を見たら文庫本が数冊入っていた。
「お手持ちの本を読み切ってしまった後に読むものとして、どうかと思いまして
 ミステリーや推理物がお好きとのこと、古い本ですがお読みになってみますか?」
タイトルを読むと確かに古い本ではあるが、古典として押さえておいた方がよい名作ばかりだった。

「お借りしちゃって良いんですか?」
驚いて聞くと
「どうぞ、同じ作品について語り合える同士が増えるのは喜ばしいことです」
彼は頷きながらそう答えた。
それは読書が好きな人の答えであり、それだけで信頼できる人のように感じられた。
「でも、さすがに一気に読み切れそうにないかな」
迷う僕に
「家にお持ちになっても結構ですよ、それを返しにまたここに来て、伊古田に会ってやってください
 ついでに本の感想やお勧めの本など教えていただけると嬉しいですが
 若い方の意見も気になるところですので
 申し遅れました、自分は伊古田の同僚の大麻生と申します」
彼が厳めしい顔を崩して微笑むと、笑った顔のシェパードを思い出した。
しっぽやの人達は無駄にキラキラしていたり強面だったり本当に不思議な人ばかりだけど、その芯には『可愛らしさ』が隠されている。

『でも1番ギャップが大きくて1番可愛いのは伊古田だよね』
そんな自分の考えに驚きつつも、僕は伊古田のことを想う気持ちを止められないのだった。


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