しっぽや5(go)

□I(アイ)の形
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現場は周りの家からは少し離れている戸建てだった。
何人もの人間が出入りしている。
外からでも糞尿の刺激臭がわかり、室内の壮絶さを伺わせた。
「石間 碧の代理で来ました」
和泉が家の敷地内で陣頭指揮をとっている女性に声をかける。
「ミドリ先生から話は聞いてます
 すいません、まだ保護出来てないんですよ
 母犬と子犬4匹なんですが、急に人間が大勢来たから母犬の気が立っちゃって」
話している間にも、ケージに入れられた猫が運ばれていた。
何かがこびりついているようなペッタリとした毛、顔は目やにと鼻水で覆われ、立ち上がる力もないのかケージの中で力なくうずくまっている。
ちらりと見ただけでも、胸が痛くなる光景だった。

「久那を置いてきたのは失敗だったな」
和泉の言葉で我にかえった。
他の人がいる状態で詳しいことは話せないが、和泉が母犬を久那に説得してもらうことを期待しての言葉だということが直ぐに分かった。
ここにいる人達はそれなりに場数を踏んでいるのだろうけれど、それは動物を扱うプロの人間ではあっても犬ではない。
私も犬でないけれど、タケぽんに付き合ってアニマルコミュニケーションを学んでいる最中だ。
気が立っている母犬に通じるかは微妙であったが、私もこの場で何かを手伝いたくてたまらなかった。

「和泉、ちょっと良い?」
私は和泉に声をかけ少し離れた場所で自分の現状を説明した。
「アニマルコミュニケーター?」
驚く和泉に
「まだまだ勉強中の上、タケぽんに付き合ってるから猫の方が得意なんだ
 でも、ふかやと居るからタケぽんより犬と通じあえるかも
 未知数の賭で、かえって母犬を興奮させる危険性もあるけど試させて欲しい
 ダメかな」
私は真剣に頼み込んだ。
一刻も早く、この劣悪な環境から親子を出してあげたかった。
「何もしないより良いと思う、俺たちも捕獲に参加するって言って入れてもらおう
 人手は多い方が良いはずだから」
案の定、和泉の申し出はすんなり受け入れられ、私たちは件の屋敷に立ち入ることになった。


屋敷の中は薄暗く、申し訳ないけど土足でないと上がれないような状態だった。
カーテンが閉まっているなら良い方で、段ボールがガムテープで窓に張り付けられていた。
「この様子だと近所から苦情は来てたんだな、隠そうとしたんだろう
 目をやられている子がいるかもしれないから、今は最低限の明るさにしてあるみたいだ」
和泉は冷静に分析する。
「あそこです」
案内してくれたボランティアさんが指を指している方向を見ると、ガリガリに痩せているのに乳房が目立つ中型犬がこちらにむかって唸りながら歯をむいていた。
足下は暗くて判別しにくいが、小さな物が頼り無くうごめいているようだった。
「まだ、乳飲み子だ」
和泉の囁きに悲痛なものが混じる。
私は意識を母犬に集中させた。

怒り、戸惑い、混乱、恐怖、飢え、不審、母犬の中はあらゆる混沌で満たされているようだった。
それでも彼女がこの場を離れようとしないのは、足下の子犬を守ろうとする使命感にも似た感情によるものだけだった。
飼い主に対する愛情は薄い、飼われているという認識すら曖昧なのだろう。
それでも何とか意志疎通を図れないかと試みる。
警戒も露わな彼女の心に何が届くだろう。
私はいつもふかやと交わす『愛』の感情を送ってみた。
しかし、彼女の感情が動いたようには感じられなかった。

私はふと、先ほどのミドリ先生のふかやに対する眼差しを思い出し、それを真似た感情で母犬を包み込んだ。
ミドリ先生がふかやに向けた眼差しには、我が子に向けるような慈しみが溢れていた。
この母犬も子犬だったときには親犬に愛されていただろう。
それを思い出して共通概念としてもらえれば、もう少しこちらのことが伝えられるかもしれないと思ったのだ。
戸惑っていた母犬の心に、かすかな明かりが射したような手応えを感じた。
頑なだった母犬のうなり声がやんでいた。
疲れすぎていて限界だったのだろう、母犬がへたり込む。
「毛布を」
小声で囁いて用意された毛布に母犬と子犬達を乗せ、何とかクレートの中に運び込むことが出来た。
彼女を驚かせないようゆっくり少しずつ移動したので、1時間近くかかっただろうか。
和泉もボランティアさんも犬の扱いになれていて、無言で通じあえたからこそなせる技だった。


親子犬の負担にならないよう、いつもより丁寧な運転を心がけ、ミドリ先生の犬舎に向かう。
「ナリって凄いね、本物の能力者だ!」
和泉に大絶賛され、さすがに照れくさくなる。
「ミドリ先生の真似してみただけ」
「?あの人にはそんな能力無いけど?」
私の言葉がよほど意外だったらしく、和泉は首をひねっていた。
「ふかやのこと、凄く優しい目で見てくれた
 きっと以前飼ってたって言うプードルは、彼女にとって子供みたいなものだったんじゃない?」
「ああ、そうかも、俺にとっては妹だったから…」
和泉は寂しそうな表情を見せた。

「愛って感情は動物達に伝わりやすいと思うんだ
 でも、その『愛』にも様々な形がある
 今回は親の愛で上手くいったよ
 ふかやへの愛は、また別の形だね」
愛犬の笑顔を思い出し、思わず微笑んでしまった私に
「ごちそうさま
 俺の久那への愛も、ダブルベリーへの愛とは別物だな
 別物って言うか別格か、もちろん久那の俺への愛も別格だけど」
和泉は悪戯っぽい表情を向ける。

「はいはい、こっちこそごちそうさま
 ふかやだって他の犬や人間にフレンドリーだけど、私への愛は…」
私たちはどちらがより飼い犬を愛し、飼い犬に愛されているか幸せな口論を続けるのだった。


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