しっぽや5(go)

□これから始まる物語〈1〉
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「引っ越し荷物は?もう部屋に運んじゃった?」
伊古田の足下には、大きめのボストンバッグが1個置かれているだけだった。
「これが荷物だよ、白久が部屋に置いていってくれた物は何でも使って良いって言われてるから、持ってくる物はそんなに無かったんだ
 犬だったとき、俺の物なんて何も持って無かったし
 俺が持ってたのは、あのお方からの愛だけだった」
切なげに微笑む伊古田を見て、俺も近戸も言葉を詰まらせてしまう。
「じゃ、部屋に行こう、元々白久の部屋だったから置いてある物全部把握してるんだ
 使い方とか教えてあげる」
「荷物は俺が持つよ、貸して」
俺達はこの『優しい巨人』に何かしてやりたくてたまらなくなっていた。
部屋のドアに鍵をかけ、慣れ親しんだ元白久の部屋に向かう。
そこは同じ階にあるので直ぐに到着する、超ご近所さんだ。
「同じ扉が並んでる、あ、隣は黒谷なんだ」
伊古田は物珍しそうに辺りを見渡していた。


「鍵って受け取ってる?」
引っ越したとき、俺が持ってたこの部屋の鍵はゲンさんに返している。
「うん、貰ってきた、グレート・デーンが手に入らなくてごめんって言われたよ」
伊古田が持っていた鍵には、100匹以上いる有名ダルメシアンのマスコットが付いていた。
「流石にグレート・デーンは無いか、でも伊古田とは柄が一緒だからこれでも良いね
 鍵はこの穴に差し込んで、そう、それで回してみて」
伊古田はおっかなびっくりと言った体(てい)で鍵を回している。

カチャリ

鍵の外れる小さな音がした。
「今日からここが君の居場所だよ、安心して良い場所、くつろいで良い場所だからね」
ドアを開けて中に入った俺は、そう言って伊古田を部屋に誘(いざな)った。
「僕の居場所、居て良い場所」
伊古田は不思議なものでも見るような目で室内を見ていたが、その顔に徐々に喜びの表情がわいてきた。
「三峰様や武衆の皆に守られなくても、誰にも攻撃されない場所?」
「うん、ここには君に危害を加える奴なんて居ないよ
 それに冷蔵庫に食べ物入れておけば、いつだって好きな物を食べられる
 もうお腹が空くこともない
 ベッドマットも新しいのに変えてあるから、フカフカのところで寝られるからね」
「安全な場所!好きな食べ物!乾いた寝床!」
想像が追いつかないのだろう、伊古田は忙しなく首を動かして辺りを確認していた。

「冷蔵庫のコンセントを入れて、っと
 中が冷えるまで何も入れられないんだ、夜には使えるようになるよ
 買い物の仕方はわかる?今晩、夕飯の後にコンビニにでも行ってみようか?」
「ここに来る前、波久礼と一緒にお店に入ってみたよ
 犬とか猫とか売られてた、あんなお店あるんだね
 そこで猫のおやつを買ったんだ
 その後、猫カフェってお店に行って買ってきたおやつを猫にあげるの
 皆、喜んでたよ、波久礼って人気者で優しい良い犬だね
 猫、可愛かった」
やはり、ここに来る前に猫カフェに寄ってきていたらしい。

「猫の化生は見た?」
「事務所でひろせに会ったよ、フワフワしてた
 自分で作ったお菓子をくれたんだ、凄く美味しかった
 猫は尊い存在だから守らなきゃダメだ、って波久礼が言ってたよ
 僕はしっぽやで困ってる猫を助ければ良いの?僕に出来るかな」
波久礼に余計なことを吹き込まれた彼に
「飼い主とはぐれて迷子になっている犬や猫を見つけて、家に返してあげるのが仕事だよ
 暫くは誰かと組んで仕事を覚えてね」
俺はそう教えてやった。

「コンロはここをヒネると火がつくよ、ガスも水道もゲンさんが使えるようにしといてくれたから
 これは洗濯機、全自動で汚れた服を入れておけば勝手に洗ってくれる
 干すときはこれを使ってここに吊り下げるんだ
 こっちはシャワールーム、ここからお湯が出るけど温かくなるまで少し時間がかかるかな
 湯船にお湯を溜めて浸かっても気持ちいいよ、お屋敷の温泉の小さいやつって感じ
 使ってみて分からないことがあったら、白久や黒谷に聞いて教えて貰うと良いよ」
一気に人間の部屋での暮らしを覚えきれそうにない伊古田に、俺はそう言った。
「お屋敷で色々教わってきたけど、実際に自分が使うとなると難しそう」
少し怯えた表情をする彼に
「少しずつ覚えればいいんだよ、間違ったことをしても誰も叱らないから
 あ、でも、濡れた手でコンセントを触っちゃダメだからね、危ないんだ
 コンロの火を使うときも気を付けること
 今日の夕飯は白久が作ってくれるから、手伝いがてら一緒に使ってみると良いよ」
俺の言葉に伊古田は神妙な顔で頷いていた。

「あ、だったらうちで作る?うちの方が広いし、皆で夕飯食べよう
 明戸も皆野も張り切るよ
 で、化生がご飯作ってる間、荒木は課題の続きな
 俺のPC使って良いから今日中に後1つ、終わらせような」
近戸はスパルタ家庭教師モードになっていた。
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