しっぽや1(ワン)

□雅(みやび)な風〈3〉
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家に上がらせてもらい応接間に通された僕に、彼は温かなお茶を振る舞ってくれた。
「ペット探偵しっぽやの捜索員『ふかや』と申します」
僕は彼にきちんと自己紹介をし、名刺を渡した。
頭の中は彼の存在で埋め尽くされていたが『彼の役に立たなければ』と気持ちを引き締める。
『きちんとした服装で来れば良かった』
今更ながらジャケットの下はマフラーにモコモコのセーターという自分の出で立ちが気になってしまう。
しかし彼は僕の服装を気にすることなく
「影森ふかやさんですね
 よろしくお願いします」
そう言って微笑んでくれた。
彼に名前を呼んでもらった時の喜びを、どう表現すれば良いのか。
彼と相対(あいたい)していると幸福感が津波のように押し寄せてきて、僕は喜びに溺れてしまいそうだった。

「猫が居なくなったときの状況を、もう少し詳しくお話しした方が良いですか?
 実は私はその状況を、実際には見ていないんです
 でも友達が見ていたので、話を聞けば参考になるでしょうか
 両親が正月休みを利用して旅行に行っているので、大晦日からずっと家に集まって彼等と過ごしてました」
石原さんが言うと、周りに座っていた男の人たちがモジモジとし始めた。
やがて意を決したように1人が口を開いて説明し始める。
「今回のことは俺らの不注意でした
 皆、猫飼ってるし、猫の扱いには慣れてるって驕(おご)りがあったんです
 バーマンは穏やかな種類だし、初めて会う訳じゃなかったから」
言いよどむ彼に
「いや、私もうっかりしてたんだよ
 このところ毛が擦(す)れ気味で、首輪を外していたのが悪かった
 スズキとヤマハはそっくりだから、首輪が無いと私でも間違えることがあるのに」
石原さんは取りなすような言葉をかけた。
「お電話では、換気のために開けた窓から出て行ってしまったとおっしゃっていましたが」
僕は確認するように言葉を口にした。
「そうなんです
 このストーブは換気しないと一酸化炭素中毒が怖いし皆の議論が白熱してちょっと熱くなったんで、15cmくらい窓を開けたんですよ」
男の人の一人が応接間の大きな窓を指し示した。
「そのタイミングで、猫が来たんです
 お客が居るのに部屋に入ってきたから、てっきりヤマハだと思って抱っこしようとしたらパニクっちゃって」
「あっと言う間に窓から外に出て行ったんだ
 慌てて皆で追いかけて探し回ったけど、かえってそれで怯えさせちゃったかも」
「ナリ、本当にすまん」
男の人たちはションボリとして石原さんに謝りだした。

「あの、もしかして猫って2匹いるんですか?」
僕は彼らの会話の端々から、猫らしき名前が2匹分出てくることに気が付いた。
「そういえば、まだ言ってませんでしたね
 うちにはバーマンの兄妹がいまして、居なくなってしまったのは妹のスズキの方なんです
 兄のヤマハは物怖じしない性格ですが、スズキは臆病で家族以外にあまり懐いてなくて
 でも一応、ヤマハは今はケージに入ってもらってます」

『臆病』
石原さんの言葉に、僕は納得する。
現場である応接間から気配を探っても、全く感知できなかったのである。
猫は基本的には遠出をしない。
今回のように何かに驚いて家を出たなら近くで固まっていることが多いが、臆病な猫であれば気配を絶ってしまっているだろう。
この件は本来なら長毛種猫と深く繋がれる、ひろせか長瀞が適任だったのだ。
彼等ならほんの微かな気配であっても感知出来たはずであった。
しかし悔やんでいても始まらない、何とか彼の役に立たなくては。
「ヤマハ君に会わせてもらっても良いですか」
兄妹猫であれば何か感じるものがあるかもしれない、僕はそれに一縷(いちる)の望みを抱き石原さんに聞いてみた。
「ええ、かまいませんよ
 ヤマハとスズキは似てるから、探すときの柄の参考にもなるでしょうしね」
彼は快く僕の頼みに応じてくれた。

石原さんの案内で2階に上がっていく。
「私の部屋にケージが置いてあるんです」
その言葉を聞いて
『彼の部屋に入れていただける』
僕は気持ちが浮き立つのを押さえるのに苦労することになった。
『遊びに来たんじゃないんだ、まして飼っていただけるわけじゃない
 とにかく今は、スズキさんを探すことに集中しないと
 僕が何とか探し出すんだ』
そう心を落ち着かせ彼の部屋に入ると、猫用の大きなケージが目に飛び込んできた。
縦移動を好む猫にあわせ、ケージの上段にも休める場所が設けられている。
猫ベッドには温かそうなボアが敷かれており、キレイに掃除されたトイレも完備され、柵には水が飲める装置も取り付けてあって快適そうなケージであった。
人間が誰も居ないのにエアコンを利かせて部屋を暖めているのは猫のためだろうと思うと、彼の優しさがとても好ましく感じられた。

そして彼に大切にされている猫に、羨ましさも感じてしまうのであった。
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