しっぽや1(ワン)

□日野の夏休み
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それから俺たちは駅に向かい、駅近のパン屋で買い物をする。
『去年、荒木に何を頼んだっけ』
思い出しながらパンを選んでいくが、メニューが変わってしまっていた。
『そういえば、荒木も俺が頼んだパン、売ってなかったって言ってたな』
全く同じ状態でやり直すことは出来ない。
それでも、同じシチュエーションを再現して荒木に謝りたかった。

「いっぱい買ってしっぽや行って、皆でランチしよ
 ここのパン屋美味しいんだよ
 黒谷も好きなの選んで、ここは俺の奢りだから
 俺が奢らないと意味ないんだ」
「それで、エコバッグが何個も必要だったんですね」
黒谷は納得した顔で頷いて、パンを選び始めた。
「コーヒー牛乳も欲しいんだけど…こっから買ってくと重くなるな
 飲み物は事務所近くのコンビニで買うか」
俺と黒谷は山盛りにパンが積まれたトレイを持って会計を済ませた。
かなりの金額になってしまったが、思いっきりパンを買う事が出来て何だか晴れやかな気分になる。
「美味しそうなパンばかりですね」
パンが詰まったエコバッグを持ち微笑む黒谷を見て、俺の晴れやかな気持ちが増していった。

電車でしっぽや最寄り駅まで移動し、コンビニで飲み物を買い込むと俺たちは事務所のドアをノックして室内に入る。
驚いた顔の荒木と白久が俺たちを迎えてくれた。
「何だよ、2人で遊びにでも行けば良いのに
 こっちは依頼人ほとんど来てないし、大丈夫だって」
苦笑する荒木に
「お前と、これが食いたくてさ」
俺はエコバッグを広げて中身を見せた。
「コーヒー牛乳は、半分こな」
そう言ってウインクすると
「ついでに数学と物理の宿題、写させて」
荒木は懐かしそうな顔で頼み込んでくる。
それから
「「写すだけじゃ覚えないぞ」」
と同時に言ってしまい、思わず2人で笑ってしまった。

「あー、イチゴとイチエのパン屋のパンだ!」
匂いを嗅ぎつけた空がエコバッグをのぞき込む。
そんな空の首筋を、黒谷が素早く掴み上げた。
空の巨体が床から数センチ浮き上がる。
「うん、凄い凄い、事務所では黒谷が一番強いね」
俺が誉めると黒谷は満足げな顔で胸を張り、空を床に下ろした。
「旦那、勘弁してくれよ、俺1人で全部食おうとしないからさ」
空はゲホゲホと咽せながら首をさすっている。
空の図太さも、事務所で一番であった。


「今日は黒谷に迫力ある格好させてんだな」
控え室で皆でパンを食べながら、荒木が黒谷を珍しそうにながめている。
「まあな、ちょっと色々あってさ
 飼い主が一緒にいて堂々と歩いてると、あんまり気にされないよ
 むしろ犬好きは微笑んで見送ってくれるぜ」
「この格好でパンが詰まったエコバッグ持ち歩かせたのか
 ギャップ萌えでキュン死者が出てるな
 白久だとかなり『忠犬』感が出て、感動の涙を流されそうだけど」
荒木とそんな会話を交わしながら、俺はあの事件がある前の俺と荒木の関係には戻れないことに気が付いた。
それはどうやっても、やり直しがきくことではなかった。
だけど今の俺たちは、あの事件があったからこその俺と荒木の関係になれているのだ。
あの事件がなかったら黒谷を飼うことは出来なかったし、荒木とこんな風に化生について話すことも出来なかった。

「荒木には悪いけど、俺、あの事件があって、ここに居る事が出来て幸せだよ」
俺は思わずそんなことを言っていた。 
「あのことさ、気にしてないとは言えないんだ
 今も俺の中でトラウマになって蟠(わだかま)ってるよ
 でも、おかげで白久に対する自分の気持ちに気づけたと言うか、確信が持てた
 変な話だけど、その点ではお前に感謝してる」
サンドイッチを口にして、荒木がポツリと呟いた。
「俺は、あんなことしでかした俺と友達でいてくれる荒木に感謝してるよ
 結果的に、黒谷に会わせてくれたのも荒木だしな
 ごめん、ありがとう」
俺もベーコンエピをかじりながら答えた。


「またまた、2人してヒソヒソ話ししちゃって、先輩達ってヤらしいな〜
 つか、ここのパン屋のカスタードクリームうま!これ自家製ですね」
そんな俺たちに、クリームパンをくわえたタケぽんが脳天気な声をかけてくる。
「夏休みの宿題、数学と物理は日野に写させてもらう密談だよ
 お前は?宿題大丈夫なのか?」
荒木に言われると、タケぽんの目が泳いだ。
それから縋るような目で俺を見つめてくる。
俺は二ヤッと笑って
「高いぞ?」
と言ってやった。
「駅前のパン屋で手を打とう
 カツサンドとチキンバジルサンド、ホットドッグにフィッシュドッグ、塩パン、ベーコンポテトパン、ピロシキ、チーズポンデ
 デザートは紅茶のシフォンケーキ、レモンケーキ、メロンパン、ブルーベリーのパウンドケーキ、アップルパイ
 飲み物はコーヒー牛乳とイチゴ牛乳、コーラとオレンジジュースもよろしく!」
一気に言い放った俺に
「うわ、俺の時よりハードル上がってるじゃん」
荒木が苦笑する。
「マジすか」
タケぽんが情けない声を上げた。

「当たり前だろ?お前のは最初からやらなきゃいけないんだから」
俺はもっともらしく頷きながら、笑ってみせるのであった。


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