連載駄文
□黎明の花嫁
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あなたは神の教えに従って
妻としての務めをはたし
常に夫を愛し、敬い、受け入れ、慰め、助けて
変わることなく
その健やかなときも、病のときも、豊かなときも、乏しきときも
いのちの日の限り
あなたの夫に対して堅く節操を守ることを
約束しますか?
【黎明の花嫁】
父の起業が大成功を収め、裕福な暮らしを約束されてカガリは何不自由なく育った。
母は幼い頃に亡くなってしまったけれど、慈愛に満ちた父の温もり、兄の優しい眼差しを受け、健やかに、穏やかに育ってきたのだ。
ーーそれはこれからも続いてゆくのだろう……
そんな漠然とした甘い考えはある日突然崩れ去ろうとしていた。
「嫌です!私はまだ結婚などしたくないっ!!」
カガリは父の書斎に置かれた重厚な机を、ありったけの力で叩きつけた。
怒りに任せた重い音に、ウズミは溜息を一つ吐いてから、目を通していた本をぱたりと閉じ、我が娘を見やった。
「いい加減聞き分けてはくれぬか。そなたの為を思っての事だ……」
「先程からそればかりではないですか!納得出来ません!! 何故ですか!?お父様は今までどんな時も私の意思を尊重して下さった!なのに……どうしてっ……!」
言葉の切れ端は悲痛な叫びとなり、切実さを浮き彫りにしていた。
どうして、結婚という人生の重要な決断を父は押し付けてくるのか。やり切れない思いを逃す術は直接父に談判するしかなく、カガリとその父ウズミはもうかれこれ一時間ほど押し問答を繰り返していた。
「カガリ、お前にはすまないと思っている」
ふと物悲しげに歪められたウズミの瞳をカガリは見逃さなかったーー深い皺が刻まれた父の苦い表情を。
(お父、様……?)
疑問に揺れるカガリの瞳に気付いたのか、ウズミは強張っていた顔を少し緩めたようだった、が。
「……しかし、そなたが何と言おうとこの縁談は進める。良いな!」
ウズミは頭ごなしにそう言うと、カガリに振り返る事もなく書斎の扉を引いて部屋を後にした。
「お、お父様っ!!」
閉められた扉に向かって、がなり立ててはみたものの、重い扉に全て吸収される感覚がして、カガリは虚しさと共に脱力した。
「諦めなよ」
兄のキラはいつもの優しい声でカガリにさらりと告げた。
キラならばこの結婚に反対してくれる、心強い味方になってくれるに違いない。そうふんだカガリは書斎を出て直ぐに、兄の部屋のドアを叩いていた。
「ど、どうしてだよ、キラまで何で」
五つ年上のキラは如何なる時もカガリの味方であった。
カガリが学生だった時など「大事な妹に悪い虫がついてはならない」と都合のつく限り学校まで迎えに来ていたほどだった。
だというのに、そのキラでさえ今回はこの反応だ。カガリの心はますます沈んでいく。
「僕だってこの縁談を聞いた時から、何度も父さんに掛け合ったよ?けど、お前には口出しさせないってそればっかりでさ……」
「そ、そんな……。キラだけが頼りなんだよ。もうちょっと粘ってーー」
「うん、」
カガリの言わんとしている事が手に取るようにわかるキラは、焦るカガリの言葉に被せて話を続けた。
「おかしいじゃない?父さんがここまで強引、ってか意固地?なのもさ。 で、僕なりに調べてみたんだけど……」
「キラぁ!!」
行動の早い兄にカガリは早くも救われたような気がして、胸のつっかえが幾分か取り払われた。
「まだ僕も直接聞かされてないんだけど、合併の話が出てるみたい」
「合併……?」
キラはウズミの会社で常務という役職に就いているーー年若いキラではあるが事実、彼には周囲が眼をみはるほどの才能があるらしい。
そのキラがこのような重要な話を聞かされていないという事は、余程の極秘事項なのか、それとも単にまだ不安定な話だからなのか。
父と兄とは全く関係のないところで、フローリストとして働くカガリが読み取れる内容ではなかったが、ただ一つの不安が彼女の心に影をさした。
「……もしかして、会社、うまくいってないのか?」
恐る恐る紡いだカガリの言葉をキラはいつもの柔和な笑みで返してくれた。
「大丈夫だよ、会社は。むしろその逆。簡単に言えば、合併でもう一回り成長したいって感じかな?で、その合併相手の一人息子との縁談を用いて合併をより強固なものにしたいってわけ」
一先ず父の会社が危機に陥っていない事に安堵したカガリだったがそれも束の間、今度はふつふつと沸き上がる怒りに顔を赤くした。
「それって政略結婚ってやつじゃないのか!??」
「うん……まぁ、そういう事になるんだろうね」
(嘘だろ!?)
父がーー自らの道は自分で切り開けと説いてくれたあの父が、自分を会社の道具として娘である自分を使おうとしている。
カガリは鈍器で殴られたような重い衝撃を受けて、頭を抱え込んだ。
「ひどい……。私は……」
大好きな父に裏切られた。心から尊敬していたのに。自慢の父だったのに。
(どうして!)
やり切れない思いは限界を超えて、大きな瞳から流れ落ちる涙となってカガリの頬を濡らした。
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