俺屍部屋

□冬に咲く花
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―あの方が亡くなったのは、暑い夏のこと。
外にあまり出ることがなかったらしいあの方は、夏の日射しがさしこむ中、雪のように儚く、美しかった。



私と違う赤い瞳が真白な瞼に隠れて、はらりと綺麗な涙が枕を濡らして
あの方は、―お父様は、私の名を呼んでくれなくなった



 「…咲乃ちゃん、泣いているの?」


囁くように問いかけられた言葉にハッと目を開ける。
縁側に座っていた私を覗き込むように、庭に亜由美がしゃがんでいた。

「……泣いてないわ、少し昔のことを思い出してただけ」

へらりと笑って言いながら亜由美に手を差しのべる。
お尻をついているわけではないようだが、2月の雪が積もった庭でしゃがみこむものではない

亜由美は一度首を傾げてから、嬉しそうに私より淡い色をした薄茶色の瞳を細めた。

「咲乃ちゃん、あたしに手を差し伸べてくれるのね」

「?
当たり前じゃない、寒いでしょう?」

相変わらず変なことを言うのね、と言えば、私の手に亜由美の手が重ねられる。
ひんやり冷たいその手をギュッと掴んで引き寄せれば、重みなんてないみたいにふわりと立ち上がった。

「そうね、冬だものね。
雪もまだたくさん積もってて、すごく寒いわ」

「わかってるならもう少し暖かい格好をしなさい、鬼たちが流行り病をばら蒔いたらどうするの」

私の隣に腰掛けて、はぁ、と白い息を吐きながら言う亜由美に眉を寄せれば、気にした様子もなく積もった雪を手にとる。
…寒いって言いながらどうして雪を触るのかしら

「そうね、でもあたし冬が好きよ。
真っ白で、空気が澄んでるみたいで、あの子も喜ぶし。

いつも不貞腐れた顔をしていたのは、雪が見れなかったからなんだって、初めて雪が降った日に気付いたの」

ぎゅ、ぎゅ、と私より幾分赤みのさしたその手で雪を固める亜由美の言葉に、ぶるりと身を震わせた。

「…亜由美、それって誰のこと……?」

「誰…?
そういえば、あたしあの子の名前を知らないわ。

あの子、そこに居るのにあたしたちに気付かないんだもの。ずっとよ」

あそこ、と言いながら亜由美が指差す先には、白い雪の積もる庭。
もちろん、私には何も見えなかった。

「わ…私には見えない人みたいなんだけど……
亜由美には、見えてるのね?」

ぷつぷつと鳥肌がたつのを感じながら言えば、亜由美はぼんやりとした硝子玉のような瞳を私に向けてから頷く。
亜由美は、昔からみえないはずのものを見ているらしい(私にはみえないのではっきりとは言えないんだけれど)

「そ、そう…
悪いものでは、ないの?」

「わからないけれど…多分、大丈夫よ。
あの子はあたしたちに気付いてないんだもの

それより見て、咲乃ちゃん。
雪のお団子よ」

にこりと笑う亜由美の手の中には、丸い雪の玉があった。
私たち一族の子どもだった時間は酷く短いけれど、私はお父様が訓練の合間に遊んでくれたことを覚えている。
その時にお父様が見せてくれたものは土で茶色かったけれど、亜由美のそれと形がよく似ていたな、と思った。

「咲乃ちゃん、悲しいの?」

「…突然なぁに?
悲しいことなんてないわよ?」

いつもの事ながら唐突な亜由美の言葉に首を傾げれば、ころりと手の中にあった雪の玉を庭に落として、その手を私に伸ばしてくる。
雪のせいか、いつもより数段白くなったその手が頬に触れた。

「亜由美、冷たいわ」

「そう、咲乃ちゃんは暖かいのね

当主様…は、咲乃ちゃんのことだから……先代様のことを思い出していたの?」

真っ直ぐ見つめてくる硝子玉のような瞳の中に映る自分が、酷く泣きそうな顔をしている。
―あぁ、どうして私はお父様と全て同じじゃないのかしら
お父様の火のように赤い瞳が涙で濡れる様は、とても美しかったのに

「そうよ。
…私、お父様が好きだわ。お父様と居られるなら、それだけでよかったの」

「知っているわ。
咲乃ちゃんがいつも先代様にくっついて回っていたのを覚えているもの」

冷たかった亜由美の手が、私の体温で温かくなってくる。
それに溶かされるように、ぽろぽろ涙が零れた。

「私、お父様に会いたいの
お父様が私を愛してくれているのは、純粋に娘だからだって、わかってる。
それでも、お父様に会いに行きたい」

氏神として奉られたお父様に会うというのは、そういうこと。
元服を迎えたその日から、…いいえ、きっとお父様と出会ったその瞬間から決めていた。

でも、でも。
お父様に会いに行って、軽蔑されたら、私はどうすればいい?


「大丈夫よ。」

「…どうして、大丈夫だなんてわかるの?」

「だって、咲乃ちゃんだもの
きっと大丈夫、先代様は咲乃ちゃんに特別優しかったわ」

ね、と真顔のまま言ってくる亜由美に、私は思わずへらりと笑ってしまった。
そういえば、お父様に叱られた記憶などひとつもない。

「…お父様、笑ってくれるかしら」

「きっと今の咲乃ちゃんみたいに、涙を流しながら笑ってくださるわ」

「……私の名を、呼んでくれるかしら」

「きっと先代様の第一声は、咲乃ちゃんの名前だわ」

幼子のような問いかけに、亜由美は全て頷いてくれた。


ありがとう、亜由美。
私、決心がついた。



「イツ花、今月は交神を行います。
準備を頼んでいいわね?」

「はいはい、まっかせといてください!
順番とお歳からいって、当主様の交神ですよね?
お相手はどなたになさったんですかぁー?」

「田力主天海様よ。

それじゃ、私は身を清めて精神統一に入るから」



待っていて、お父様。
 
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