Book

□『E0039』
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 『ぼく』の始まりは、液体の満ちた水槽の中だった。


 目覚めた時には、すでにいくつものコードに繋がれながら、水槽の中で漂っていた。
静かな水中で、ただ漂っていたんだ。

毎日、白い服を着た研究員が、ガラスをコンコン、と二回叩く。
『ぼく』はそれに、手を動かして応える。
動いた拍子に水中にできた泡が、『ぼく』の体を撫でていく。

『ぼく』の毎日はそれだけだった。


 隣を見た。
『ぼく』が入っているのと同じ水槽がいくつも置いてあって、中には『ぼく』と同じように漂う影が見える。
ただ一つ違うのは、彼らは『ぼく』の様にガラスを叩く音に反応をしない。
それどころか意識もないようで、まるで人形だった。
『ぼく』もその人形に一つであるものの、意識があり思考能力があるだけに、他のみんなの存在が、本当の人形に思えてならなかったのだ。
いつか、自分の様に覚醒するものがあると思っていた。
だが、何日、何か月経っても、覚醒する「人形」は一体も現れなかった。

そうしていつからだったか、研究員たちは『ぼく』しか見なくなった。

コードを通して何かの信号を送って、反応を記録している。
漂うだけの毎日だったのが一変、『ぼく』は彼らの最高傑作になった。


「素晴らしい…最高傑作だ。このサンプルでいこう。すぐにプログラムをインプットしろ、他は処分だ」


ある日、研究員たちのボス、誰かが博士、と呼んだ。
彼が『ぼく』の水槽の前で、実験の記録を書いた書類を手に言った。
彼の言葉の意味を理解できない『ぼく』をよそに、他の研究員たちは指示を遂行しにかかる。
体中に繋がれたコードを通して、膨大な量の情報が流れ込んでくる。
ただの人形だった『ぼく』が、“人”になっていく。

目の前に浮かんでは消えていく画面を見ながら、『ぼく』は情報を甘受した。
全てのプログラムが完了し、水槽を満たしていた液体が抜かれていく。
体中に繋がれていたコードも、今は一つもない。

服に、端末。
その他、生活に必要なものはすべて与えられた。


偽りの記憶、偽りの経歴、偽りの人格。

そして、偽りの名を与えられた。


「検体ナンバー、E0039。我々の最高傑作よ、君に名を与えよう」




こうして『ぼく』は、『時縞ハルト』になった。






続く
 

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