お茶にしましょうか
□Scene 13
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その時、私の足下に野球のボールが、転がってきたのです。
このボールもここまで遠くへ飛ばされ、淋しそうでした。
隣に居た江波くんは、不意に立ち上がり、そのボールを拾い上げました。
そのまま動こうとしないため、どうしたのだろう、と私は彼の表情を見上げました。
今年、最後だった夏を思い出しているのでしょうか。
いいえ、私の考えは、とても大きく的を外していたようです。
彼の表情は、僅かにですが、生き生きしている様に見えました。
他の方にどう映るかはわかりませんが、私には野球のボールを握った江波くんは、少し嬉しそうに見えたのです。
すると、遠くの方から子どもの声が聞こえてきました。
「すみませーん!ボール、投げてくださぁい!!」
江波くんは、その一生懸命に叫ぶ少年の声の方を向くと、優しく微笑んだのです。
いつもお顔を紅く染め、おどついた江波くんしか見たことがありませんでしたから、とても驚いてしまいました。
大層、野球に夢中なのだろう、そう感じました。
「いくぞ!」
江波くんはそう叫んだ次の瞬間、江波くんは控え目に振りかぶって、野球のボールを投げたのです。
一度、地面にて跳ねたボールは、子どもの前方で落ち、綺麗に転がっていきました。
まるで、そこへ行くことが決まっていたかの様でした。
そして、転がったボールは、子どもの手にはめられていたグローブの中に、静かに収まりました。
「ありがとうございまーす!」
子どもが叫ぶと、江波くんは右手をひらひらとさせて、再びベンチへ腰掛けたのです。
どの動作もあまりにも素敵に見えてしまい、仕様がありません。
子どもに向けた笑顔に妬いてしまう程にです。
「本当に野球を愛してらっしゃるのですね。」
私が感じたことを、そのまま述べました。
しかし、江波くんは少し照れた後、こうおっしゃったのです。
「…あなたが、愛人と共に音楽を愛しているのと、全く同じことだと思います。」
江波くんがそのようなことをおっしゃるのです。
今は、相棒であるリョウさんのことを想うだけで、胸が苦しくなります。
出来ることなら、思い出したくないはずなのですが、江波くんに言われて、気付いたことがありました。
幼い頃から共にしていたはずのリョウさんをたった今、生まれて初めて、長い間、一人置き去りにしてしまっているということです。
私の気まぐれな想いで、困らせているのではないかと思うと、突然に申し訳なさが涙を連れて、押し上げてまいりました。
「リョウさん…」
「また機会があれば、二人のパフォーマンス、見せてください。」
「しかし、あいにくそのような場所はございませんし…」
「あるじゃないですか。」
「どこにでしょう。」
すると、江波くんは控え目に口角を上げたのです。