お茶にしましょうか

□Scene 19
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江波くんは、私がリョウさんを奏で続けている間も、静かに見守ってくださいました。

私は、この何とも不思議な状況に、自身でも驚くほどに落ち着いていることが出来ました。

本来であれば、このような状況、1分1秒でも耐えられるはずがないでしょう。

それなのに、たった今はこれ程、気持ちが穏やかで居られます。

落ち着いて居られるせいか、普段よりも柔らかい音が出せているように思います。



「あら…?」



30分ほどは、経過したのでしょうか。

基礎練習を、ようやく終えました。

一息吐いて、辺りを見回すと、江波くんの姿がありませんでした。

驚きのあまり、また辺りを見渡すと、木の根元に、江波くんが公園に着いてから、はじめに置いた鞄だけがあったのです。

とりあえず、帰ってしまわれたわけではない、ということがわかり、安堵いたしました。

5日後に控えた、アンサンブルコンテストの曲を練習することにしました。

ファイルのページをめくり、曲を探し、それを譜面台に再び、立て直します。

この曲は、穏やかに進む第1楽章と、激しい情熱的な第2楽章で構成されています。

穏やかな第1楽章は、好きです。

歌うように抑揚をつけるのが、何とも心地好いのです。

しかし、それに相反して苦手としていたのは、第2楽章でした。

情熱的なことは結構ですが、テンポが非常に速いのです。

つい最近まで、指が回っていませんでした。

本当に最近、習得したばかりだったのです。

あとは、如何に機械的にならないか、それだけでした。

少し体が疲労を訴えたところで、一口だけお茶を飲みました。

そこでちょうど、江波くんが何処からか、戻ってこられたのです。

私は、笑顔で迎えました。



「おかえりなさい。」

「あ…すみません。只今戻りました。」



江波くんは、軽く会釈をされ、小走りで戻ってらっしゃいました。

そして、その手には、携帯電話を携えていたのです。

私の目線に気付いた江波くんは、慌てて制服のズボンのポケットへ、携帯電話をしまわれました。



「江波くん。この後、用事か何かおありですか?もし、あるのでしたら…」

「い、いえ!帰ったら、飯食って、風呂入って、寝るだけですよ!…俺は。だから、用事なんて何も…」



早口にそう言う江波くんが面白く、つい私は笑ってしまいました。

そのような姿が可愛らしいとも、つい思ってしまったのです。

しかし、今更になって少しばかり、気になったことがありました。

何故、江波くんは今日、私を誘ってくださったのでしょうか。

いつもの帰り道には、きっとお友達もいらっしゃったはずでしょうに。

放って置いていかれてしまったのでしょうか。

お友達の方々は、どちらに行かれたのでしょう。

私はそのまま、江波くんに尋ねました。



「どうして今日は、一緒に帰ろうだなんて、私を誘ってくださったのですか?」



すると、江波くんはぎょっ、とされたのです。
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