お茶にしましょうか
□Scene 19
3ページ/5ページ
江波くんは、私がリョウさんを奏で続けている間も、静かに見守ってくださいました。
私は、この何とも不思議な状況に、自身でも驚くほどに落ち着いていることが出来ました。
本来であれば、このような状況、1分1秒でも耐えられるはずがないでしょう。
それなのに、たった今はこれ程、気持ちが穏やかで居られます。
落ち着いて居られるせいか、普段よりも柔らかい音が出せているように思います。
「あら…?」
30分ほどは、経過したのでしょうか。
基礎練習を、ようやく終えました。
一息吐いて、辺りを見回すと、江波くんの姿がありませんでした。
驚きのあまり、また辺りを見渡すと、木の根元に、江波くんが公園に着いてから、はじめに置いた鞄だけがあったのです。
とりあえず、帰ってしまわれたわけではない、ということがわかり、安堵いたしました。
5日後に控えた、アンサンブルコンテストの曲を練習することにしました。
ファイルのページをめくり、曲を探し、それを譜面台に再び、立て直します。
この曲は、穏やかに進む第1楽章と、激しい情熱的な第2楽章で構成されています。
穏やかな第1楽章は、好きです。
歌うように抑揚をつけるのが、何とも心地好いのです。
しかし、それに相反して苦手としていたのは、第2楽章でした。
情熱的なことは結構ですが、テンポが非常に速いのです。
つい最近まで、指が回っていませんでした。
本当に最近、習得したばかりだったのです。
あとは、如何に機械的にならないか、それだけでした。
少し体が疲労を訴えたところで、一口だけお茶を飲みました。
そこでちょうど、江波くんが何処からか、戻ってこられたのです。
私は、笑顔で迎えました。
「おかえりなさい。」
「あ…すみません。只今戻りました。」
江波くんは、軽く会釈をされ、小走りで戻ってらっしゃいました。
そして、その手には、携帯電話を携えていたのです。
私の目線に気付いた江波くんは、慌てて制服のズボンのポケットへ、携帯電話をしまわれました。
「江波くん。この後、用事か何かおありですか?もし、あるのでしたら…」
「い、いえ!帰ったら、飯食って、風呂入って、寝るだけですよ!…俺は。だから、用事なんて何も…」
早口にそう言う江波くんが面白く、つい私は笑ってしまいました。
そのような姿が可愛らしいとも、つい思ってしまったのです。
しかし、今更になって少しばかり、気になったことがありました。
何故、江波くんは今日、私を誘ってくださったのでしょうか。
いつもの帰り道には、きっとお友達もいらっしゃったはずでしょうに。
放って置いていかれてしまったのでしょうか。
お友達の方々は、どちらに行かれたのでしょう。
私はそのまま、江波くんに尋ねました。
「どうして今日は、一緒に帰ろうだなんて、私を誘ってくださったのですか?」
すると、江波くんはぎょっ、とされたのです。