お茶にしましょうか
□Scene 19
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「あ、あの…それは…」
突然に江波くんの目が、泳ぎ始めたのです。
それだけではなく、江波くんはいつも以上に、落ち着かない様子になってゆきました。
「江波くん?」
「えっ、あ、はい!すみません…!」
私が少し、お名前をお呼びしただけで、彼の肩が大きく跳ね上がりました。
かと思うと、江波くんは途端に、何かを決意したような瞳へと変わったのです。
その瞬間、その場の空気が一変しました。
冬らしい冷えきった風が、強く吹き、辺りの木の枝を揺らしました。
その風が止み、静寂に包まれると、江波くんは深い、深い深呼吸をされたのです。
彼がこれから、何とおっしゃられるのか、予測もつかず、私は少し不安になっておりました。
「…萩原さん。」
江波くんに名前を呼ばれ、確かに目が合うと、逸らすことが出来なくなってしまったのです。
彼の視線は、とても強いものでした。
「少し話しがしたくて、あなたを誘いました。今しても、良いですか…?」
私は、静かに頷きました。
江波くんは私の反応を確かめると、そのままお話を始めたのです。
話し始める直前に、少し唇を噛み締めてらっしゃいました。
「あの、額の怪我は、綺麗に治りましたか?」
「え、額?」
その質問とは、あまりにも唐突なものでした。
私はしばらく理解が出来ず、しかし一生懸命に、その質問の意図が何であるか、を考えました。
その時でした。
「…失礼します。」
その声の後、彼の手が、私の前髪に触れたのです。
その手はあまりにも優しく、まるで割れ物を扱うかの様に、丁寧でありました。
私はあまりにも突然の出来事に、紅くなり、硬直してしまいました。
しかし、今はそれも、仕方のないことだと思ったのです。
江波くんは私の顔を、正しくは額を、覗き込むように見ると、溜息の混じったようなお声でこうおっしゃられました。
「良かった…傷や痕が残らなくて…」
私はきっと、真っ赤に染め上げているであろう顔のまま、恐る恐る近距離に居る江波くんを見上げました。
私の目に映った彼の顔は、安堵の色に包まれているようでした。
このあたりで私は、ようやくお話の内容を察したのです。
私と目が合った江波くんは、小さく「すみませんっ」と叫び、慌てて距離をとりました。
「いや、その…あの時は本当に悪いことをした、と未だに反省は、しっかりとしていて…
万が一、痕が残ってしまったら、どうしようかと…」
「江波くん。」
「萩原さんは、女の子ですし、野郎のように傷をいくらでも、こしらえて良いというものではありませんし…」
「あの、江波くん。」
「しかも、運悪く、額のど真ん中にコブときて、それからおまけに『深海魚』だなん
「江波くん。そこまでです!」
壊れた機械のような江波くんの片腕を、咄嗟に掴ませていただきました。
そして、私の片手は、リョウさんを支えております。
あまりにも、混乱状態に陥った彼に、心配になりました。
ですから、私は彼を止めたのです。
彼が、今や既に治った私の傷に対し、ここまで混乱する程、必死になってくださる理由は、私にはわかっておりました。
江波くんは、何時だって他人想いな方でいらっしゃいますから。
ただ彼は、不器用なだけなのです。
「江波くん。」
未だ、焦点の合わない彼の瞳を見つめ、私はこれ以上にない優しさを込めました。
「この傷について、あまり、気負わないでください、と大分前に申し上げたでしょう?
私は、一時でもできたこの傷のことを、偶然の奇跡だと、思っています。もちろん、それは今もです。」
「え…」
「この傷を負わなければ、私が江波くんに出会うことは、ありませんでした。もちろん、今ここで、こうしていることも。」
私は、江波くんの腕を掴んだままの自身の手を、少し下ろしました。
そして、掌を確と握ります。
その時、江波くんはと言うと、呆気にとられていたのです。