BL

□五月
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○2




 式部先輩は、唐突に口を開いた。


「志賀崎、お前んとこのクラスに編入生が来るんだって?」


 自らお訊ねになったくせして、なんだか興味がなさそうにしている。隣の棚で作業をしていた歌枕先輩が少しだけ目を大きくして「へえ」と呟いた。この反応から察するに、編入生という存在は学園全体で見てもやはり珍しいらしかった。
 昨日から続けていた新刊にカバーをつける作業が終わったらしい源先輩が俺たちのもとへやってきて何故か式部先輩に手を差し出した。


「……なんだよ?」


 その意図は俺たちは勿論、手を差し出された当人である先輩にもわからなかったらしく、怪訝そうな顔をしている。事もなげに、源先輩は言った。


「その本、棚の一番上の段だろ? 俺が置いておくから、式部は下のほうの段頼むなあ」


 委員会活動で式部先輩が背の高い棚を睨み付けたりとご自身の背丈を悩ましく思っていらっしゃるのは彼を知る者ならばいずれ悟る事実だ。
 それを、俺たちの中で一番付き合いの長いであろう先輩が口にするとは。


「……馬鹿にしてんのかてめえ!」
「はぐっ」


 当然の流れのように、式部先輩は額に青筋を浮かべて源先輩のがら空きの腹に鋭い突きを繰り出した。源先輩の笑顔が苦痛に歪む。
 彼はその勢いのままに返却された本を所定の位置に戻そうとするも、いかんせん背が足りない。意地を張らずに俺たちを頼って下されば良いのに。
 とりあえずどんなに待っても先輩の背がぐんと伸びるわけでもなし。俺は彼の脇に手を差し入れて持ち上げた。歌枕先輩がぎょっとした顔をしている。


「これで届きますか?」
「…………」


 口に出して彼の身体的欠如を貶めることはなく、尚且つ先輩の助けとなる。俺が思うに、源先輩にはこのような繊細な心遣いが足りないのだ。
 式部先輩は俺の言葉に応えることなく、そのまま無言で本を戻した。様子が気になったが、此方も何も言わず先輩を地面に降ろす。


「…………」
「いてっ」


 何故かどつかれた。俺がいったい何をしたというのか。先輩のことは尊敬しているが、度々このような理不尽な暴力を振るうのには辟易してしまう。


「それにしても珍しいですよね、編入生なんて」
「そうだよなあ。俺たちが知ってる限りではこの十一年間、一度もないぞお」


 初等部からこの学園に通っていらっしゃるらしい源先輩は不思議そうに首をひねった。


「……しかも、こんな時期だしな」


 怒りをお納め下さった式部先輩も落ち着いた様子で頷いた。やはり、皆最初に気にするのはその微妙な編入時期のことらしい。
 そうだな。思えば怒鳴弩も俺たちの通う小学校に転入生としてやってきたのは学期初めの頃だった。
 ぼんやり考えながら本を本棚に押し込もうとするが手が滑って本を落としてしまった。すかさず源先輩がいつものぽやぽやした顔のまま俊敏な動きで本を受け止めた。
 穏やかな表情に似合わないこの動きがなんとなく好きで最近では「先輩が近くにいれば本を一冊ぐらい落としても良いや」と考えてしまうようになった。
 いけないな。こんな堕落した考えでは図書委員の風上にも置けないと式部先輩に激怒されてしまうだろう。俺も仮にも読書好きのひとりであるなら本は犬太郎の次くらいに大事に扱ってやらねばなるまい。


「おい、志賀崎。気をつけろよ。お前それ落としたら弁償させるからな」
「すみません、先輩」
「……おう」



 何故か俺の謝罪を受け入れて下さりながらも物凄い形相で此方を睨む先輩。
 「どうされたのですか」と訊ねると「お前は神妙な顔をして謝るから怒りにくくて腹が立つ」と言われた。怒られているのだろうか。
 それを見ておかしな雰囲気になってしまわないようにと気を使って下さったらしい歌枕先輩が俺を貸出しの受付のほうへと連れ出した。


「志賀崎、受付の仕方はなんとなく覚えてきたか?」
「ええ、もう一月も経ちましたからね。図書カードを華麗に奴らの顔面に叩き付けてやりますよ」
「志賀崎って世の道理に反抗してて生き辛くないのか?」


 先輩と和やかに談笑しつつ、何やら散らかっている受付の机上を片付ける。さっきまで源先輩が「千羽鶴を作る!」と意気込んでおられたので、その残骸だろう。
 それでどうして鋏と紙の切れ端が出るのかは俺にもわからない。ちなみに其処に千羽鶴はなく、一羽の羽根の折れた鶴が寂しげに横たわっているだけだった。挫折が早すぎる。


「うちの学園ってさ、」
「はい、」


 俺は本を借りたままで返していない生徒の名簿の確認、先輩は掲示板に張り出す新刊の情報通信とふたりで様々な雑事をこなしていると、先輩がそう切り出した。
 先輩がこうして俺を連れ出して何かしらをいうときには大抵俺にとって重要な情報がもたらされるので何があっても聞き逃すなと明喜からきつく言いつけられていた俺は、耳を大きくして素直に相槌した。


「ちょっと、個性的な生徒が多いだろ?」
「そうですね。常識から逸脱した人が多くて、いままで真面目な環境で生きてきた俺としては少し困ってしまいます」
「君が言っていい言葉じゃないと思うけどな」


 困ったように笑う先輩の言葉が最近辛辣になってきて少し悲しい。


「そういう噂を聞きつけてか、それとも全寮制ってところに惹かれたのかはわからないけど、親の手に負えなくなった子供が放り込まれるなんてよくあることなんだ」
「そうなんですか?」
「まあ、先輩方が言ってたように、俺もこんな変な時期に編入してくる奴を見るのは初めてだけどな」


 先輩が言うには、この学園の生徒の全員が全員そうだというわけではないが、捨てられるように半ば強制的に寮に押し込まれる生徒は少なくないというのだ。なんと、歌枕先輩もその一員というのだから驚きだ。
 そう言われてはたと、屋上でこどものビールとおとなのビールで酒宴を開いていた先輩方を思い浮かべる。つい先日に出会ったばかりだが、もう記憶がおぼろげだ。
 ええと、カピバラ、――絶対に違う。なんだったか。か、か……、絶対に“か”がつく名前であったのは覚えているのだが……。
 か、か……? か、……ばら……、ああ! 確かカシワバラさんとか言ったような。


「カシワバラさんという方に屋上で会ったんですが、その人もそうなんでしょうか」
「“カシワバラ”? 聞いたことない名前だな。そいつと何かあったのか?」
「飲酒していました」
「そいつ、多分カシワバラじゃなくて海原って人じゃないか?」
「そんなお名前だったような気もしてきました」


 「君もちょくちょく面倒そうな人に目をつけられるな……」先輩は呆れたような、哀れむような不思議な顔をしている。
 先輩がまた何かを言おうとしたとき、受付に用があるらしい生徒がやってきたので話は中断されてしまった。


「すみません、この本の返却と、あとこの本を借りたいんですけど」
「はい、図書カードはありますか?」


 先輩が生徒から本を受け取る。返却する本を俺に渡して「志賀崎、返却のほうやってくれるか?」と言うので「勿論」と頷いた。
 生徒から渡されたカードの情報と返却された本とを見比べて“返却完了”の判子を押す。カードキーなんてハイテクなものを採用しているのならば何故図書室にもそのような機能を取り付けてくれなかったのだろう。
 多分、貸出しの際に本の情報を記したのは源先輩であろう。字が豪快すぎて枠からはみ出している。源先輩は常識に囚われない柔軟な思考を持つ素敵な方だ。異論があるのは「まあ、仕方ないな」と思う。
 じっとカードを見ていると、歌枕先輩が俺の脇腹を軽くつついた。


「なんでしょう」


 「カード、」ほんの少し先輩が顔を寄せた。「カード、返さなきゃ駄目だろ」声を潜めていらっしゃるが、目の前の男子生徒には当たり前に聞こえているだろう。


「……ああ、すみません。どうぞ」
「い、いえ……」


 控えめに首を振る生徒は何故だか先ほどから頑なに俺と目を合わせようとしない。
 散々式部先輩からお叱りを受けて生徒会の人気とやらを教え込まれたので、なんとなく理由はわかる。生徒会とひと悶着起こした俺を快く思わない者は一定数いるのだそうだ。
 カードを俺向きから彼のほうへ回転させて差し出す。おずおずと伸ばされた彼の指と俺の指が少し触れあったとき、その態度に変化が起きた。
 生徒は目をかっと見開き、暫し俺の手を見つめると、勢いよく顔を上げて俺を見た。何処となくくりくりとした大きな瞳が明喜のものに似ている。


「ッあ、あのっ!!」
「……はい?」


 突然がしっと手を掴まれる。歌枕先輩の手がぴくりと動いた。ひらひらと図書カードが真っ逆さまに落ちていってしまったようだが、意に介する様子もない。


「あの、俺、校内新聞で見てっ、志賀崎君ですよねっ!?」


 「どちら様ですか?」顔は見たことがない。多分、彼の言葉から察するに初対面のはずだ。訊ねると「えっと、あの、俺です!」と言い切られた。誰だよ。
 もう一度「どちら様でしょう」と訊くと、彼は「しまった!」という顔をした。自分でも随分可笑しなことを言ったと気付いたらしい。


「ファンです!」
「――外国籍の方ですか?」


 きっと日本名を名乗られるものだろうと身構えていたから少し面食らった。そういえばいま思い出したが図書カードには名前が書いてあったはずだし、漢字であったように思ったのだが、勘違いだろうか。
 俺の質問にはやはり答えずに、彼は「応援してます!」と元気よく言い放った。何故彼は俺と会話をしてくれないのだろう。まだ日本に来たばかりで会話に不慣れなのかもしれない。
 どう見ても日本人にしか見えないが、アジア系出身ならこんな顔立ちの者はいくらでもいるはずだ。


「なんだかよくわかりませんが、ありがとうございます」
「また来ても良いですか!」
「良いんじゃないでしょうか」
「ありがとうございます!!」
「いえいえ」
「失礼しました!」


 ばたばたと走り去っていった彼を見ながら、先輩が呟いた。


「類は友を呼ぶってやつかな」
「何がですか?」





――――――
もう随分と前からそうだったんですが、周回遅れですね
志賀崎は天然なんじゃなくて電波かもしれないと思い始めた今日この頃
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