BL

□四月
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○四月十日(水) 午前





 お互いの誤解も解け(誤解していたのは俺だけだが)、親交も深めた俺たちは早くも名前で呼び合う仲になった。
 今はそれぞれの部屋(俺の部屋は入って左側の部屋だ)や家事の分担などを決め終わり、ソファで一息ついているところである。
 明喜は料理が得意なのだという。これで餓死や破産の心配はせずにすむ。
 食堂などは校舎のほうにあるようだが、あんな馬鹿高い食事を毎日食べると考えるととっても恐ろしいことになる。

 ちなみに今日は休みらしい。入学式の際に言われたのを聞き流して早速学校に行く気だった俺を必死に引き留める明喜が叫んでいた。
 一日しっかり休んで学校に備えろということだそうだ。それと同室の人間と交流を深めろという意もあるのだろう。
 俺たちのように外部からの生徒というのも何人かいるであろうし、それに滅多にないが進級と同時に部屋割りが変わるということもあるらしい。


「笑悟くん、お茶淹れるの上手だねー。美味しい」
「そうか? もっと飲むと良い」
「まだ飲んでるから淹れなくて良いよ。……淹れなくて良いよ、淹れなくて良いよ!」


 お茶請けのクッキーを栗鼠のように口に詰め込んでいた明喜が何やら慌てている。
 構わず茶のお代わりを淹れてやった。茶の淹れ方でもなんでも、誰かに褒められるということはいくつになっても嬉しいものだな。
 このクッキーは寮内にあるコンビニエンスストアから購入してきたものだ。決めごとが終わってすぐにふたりで買いに行ったのだ。
 コンビニの他にスーパーマーケットなどがあり、金さえあれば食糧調達に困ることはまずなさそうだ。
 それに外部生は特待生と同意であるから、成績さえ落とさなければ在学中はずっと食費など必要最低限の金はある程度保証されるのだという。至れり尽くせりである。

 この学園での消費活動は全てこのカードキーによって行われる。なんと、このカードは部屋の鍵になるだけでなく、財布代わりにもなる優れものなのだ。
 このカードキーに、特待生には毎月一定額が振り込まれ、振り込まれた以上の買い物は全て自己負担ということになるわけだ。
 学生ふたりが生活していくにはお互いの額を合わせ十分過ぎるほどではあるが、それでも節約することが良いことに変わりはない。
 使い切れなかった金の上に積み重ねで毎月の金が足されていくのだから、節約すればするほど余裕が出るということだ。
 学園を卒業したら、恐らく俺と明喜は主婦並みの節約術を身につけていることだろう。

 ……一般に求められる以上の知識を持ち、そんな生活力まで持ってしまったら俺たちは大層魅力的な男子になってしまうではないか。
 明喜は好きにすれば良いが、俺は困る。俺は三十路まで清い存在でなければならないのだ。
 叔父のように立派な魔法使い(妖精でも可)になるには何者にも穢されたことのない清らかな身体が必要不可欠である。


「決めることは決めたし、荷物の整理も済んだし、どうしようか?」
「鬼ごっこでもするか?」
「なんでよ」


 「ふたりだけじゃつまらないと思うよ」疲れたように呟く明喜にそれもそうかと同意する。
 茶をごくごくと飲み干した明喜は再度お代わりを淹れようとする俺の手を制し、シンクへティーカップを持って行った。
 明喜の腹から僅かにたぷたぷと水音がしたのに気付く。調子に乗って飲ませ過ぎたのだろうか。


「ねえ、笑悟くん。ちょっと学園の中を探索してみない?」


 ソファに戻りつつ明喜がそんなことを言う。腹が苦しいのか小さな手で擦っている。


「探索?」
「うん。ほら、この学園って凄く広そうじゃない。迷っちゃわないように少しでも学園の中を理解しておいたほうが良いんじゃないかなって」


 迷ってしまわないかどうか。それは確かに俺も懸念していたことだ。
 授業の際に教室を移動して行うものがないとは考えられないし、普段の生活でも利用する施設はあるはずだ。
 特に図書室が気になる。これだけ大きな学園なんだ。蔵書の数も並大抵ではないだろう。


「そうだな。特にすることもないし、行こうか」
「暗くなっちゃったらあんまり見て回れないだろうし、先に外から見る?」


 頷くことで返事をし、俺たちは制服に着替え、部屋を後にした。


◆◇


 学生寮の庭園は、校舎前のそれと比べるととても狭い。ただ生まれてから狭い庶民ご用達の庭しか見たことのない俺にとってはこれでも十分過ぎるくらいの広さだ。
 咲き乱れる花々。設置された金属と木のベンチ。計算し尽くされた美しさだ。


「改めて見てみるとやっぱり凄いね……。なんか、場違いって気がしちゃうや」
「ぶえっくしょい」
「笑悟くんって情緒も何もないよね」


 むずむずする鼻の下を擦る。花粉症、今年あたりまずいかもしれないな。知人に重度の花粉症患者がいるが、あれは酷い。見れたもんじゃなかった。
 目は擦り過ぎて真っ赤に充血していて(目薬が効かないのだとぼやいていた)、鼻のかみ過ぎで皮が剥け、口を開けば響くのはくしゃみの音ばかり。
 くしゃみの連続回数の新記録を出したのだと、この間泣きながら報告された。

 明喜ががっくりと肩を落とし、上目遣いに俺を睨む。「クールな顔して“ぶえっくしょい”っていうくしゃみも酷い」俺だって出したくてこんな音を出しているわけではないのに、それは理不尽だろう。


「学園と比べると学生寮は控えめな広さだな」
「そうだねー。あんまり寮内を歩き回るようなことってないだろうし、さっさと学園のほうに行っちゃおうか」


 学生寮と学園は目と鼻の先だ。豪奢な門を潜り抜け、一旦外に出る。
 爽やかな天気だ。青空は晴れ渡っていて、雲ひとつない快晴だ。俺の髪は黒いから熱を吸収しやすいのだろう。僅かに温まっている。

 清雲学園は山中に在るだけあって、周りはとても自然豊かだ。心なしか吸い込む空気も俺の地元のよりも美味しい気がする。多分錯覚だ。空気に味などない。

 学生寮の門と学園の正門は美しい石畳で繋がっており、その両脇には青々とした木々が生い茂っている。まるで外界から身を隠すためのものであるようだ。
 ひとつひとつの設置物が芸術品のようで、興味深そうに辺りを見回して歩いていた明喜がぴたりと足を止めた。


「…………」
「どうした?」
「……あれ、……」
「……“あれ”?」


 明喜の顔がどんどん青味を帯びていく。震える指先が、森の奥を指し示している。
 もしや熊でも出たのだろうか。それは大変だ。すぐにでも猟銃を持ってきて仕留めなくては。俺は熊鍋を食べたことがない。

 嬉々として振り向くと、其処には何やら絡み合う男子生徒と女子生徒――に見える男子生徒がいた。


「…………」
「…………」


 そういえば、いくら女子に見えても奴ら、男子の制服を着用していたな。何故か、物凄くどうでも良いことが頭を過(よぎ)る。
 男子生徒ふたりの姿を視認した途端、俺たちは示し合わせたように学園の正門へと駆け込んだ。今の俺たちは果てしなく心が通じ合っているような気がする。
 先述したようにそう距離があるわけでもないので息切れは、――俺はしていないが明喜は肩で息をしていた。
 驚いていたところに咄嗟に走り出したというのもあるのだろうが、それにしても体力がない。まるで女子だ。……違うよな?


「……い、いいい今、今のっ」


 明喜が真っ赤にした顔を両手で押さえて俺を窺う。それに応えてやるべく、俺は頷いて口を開いた。


「青姦だな」
「冷静にそういうこと言うのやめてよっ!」


 明喜が顔を真っ赤にしてきゃんきゃんと喚いた。訊かれたことを素直に答えてやっただけなのに、どうして怒られなければならないんだ。


「うわあ、うわあ……! 男子校とか女子高って一般高より“そういうの”に走りやすい傾向があるって聞いてたけど、まさか白昼堂々あんなことするなんて……!」
「……思い出したんだが、」


 蹲る明喜にぽつりと溢す。「なに?」と声に出さず、視線だけでそう訊ねる明喜に俺は続けた。


「不幸な事故による退学者も多い」
「……?」
「入学式のときに生徒会長が言っていたことだ。やけに意味深長な言葉だったから、これは覚えていた」


 察したのか明喜の顔が強張った。
 ある養鶏所では雄だけを小屋に閉じ込めておいたところ、雄の鶏がこれまた雄の鶏の尻を追いかけ回すということが起こったそうだ。
 つまりは、そういうことではないか。


「閉鎖的な空間で、同性しかいない。思春期真っ盛り性欲真っ盛りのこの時期だ」
「……や、やめてよ、その言い方」
「つまりはお前のような可愛らしい顔をした生徒相手に、合意の上でないそういった行為もあるんじゃないのか」
「やーめーてー!」





――――――
 冒頭にも書いたように一年生には授業がありませんが、彼らが制服に着替えたのは一応校舎内に入るのだから制服でなくてはという考えからです。
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