BL

□四月
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○四月九日(火)





 童貞を三十路まで貫いた者は妖精だか魔法使いだかになれるのだという。
 四十路にして未だ童貞である叔父が涙ながらに語っていた。

 俺――志賀崎(しがさき)笑悟(しょうご)の場合は、あと十四年。
 妖精や魔法使いなどといったファンタジィな存在になれるのであれば、俺は童貞を貫いてやろうと決意した去年の十五の夏。
 そして今年。俺は、童貞喪失の心配など毛ほども要らない学園に見事受かり、入学を控えている。

 私立、清雲(せいうん)学園。山奥の中、ひっそりと、しかし荘厳に聳え立つ城のようなその学園は、全寮制の男子校だ。


「でかいな……」


 俺と同じく入学式を控えている生徒たちでごったかえす正門前。
 まるで西洋の屋敷のようなそれを潜り抜けると暫く石畳の道が続き、豪華な噴水を通り過ぎ、また石畳の上を歩き続けると、遥か向こうに校舎らしきものが見える。
 由緒正しきお坊ちゃま学校だとは常々耳にしていたが、まさか此処まで規格外なものとは思わなかった俺は驚愕した。

 これから、こんな学校で生活していくのか。

 余談ではあるが、俺は正真正銘名家のご子息……というわけではなく、極々普通のサラリーマン家庭の倅である。
 それなりの頭を持っていた俺は、本来ならば多額の金を払って入学させていただくところを頭脳でパスしたということだ。
 類い稀なるこの才能が時々空恐ろしくなる……。赤点に愛された幼馴染の前で零すと無言で頭を引っ叩かれた。あんまりだ。

 生徒たちの海を掻き分け(くそ、汗臭い)、ようやく大海から脱け出した俺はほっと一息吐いて涼しげな噴水へと歩みを進めた。


「金持ちはさすが金をかけるところが違うな」


 繊細な造りの白石で出来た噴水は透き通った水を絶え間なく吐き出し続けている。
 『さすが金をかけるところが違う』=『無駄な金を使うのがお上手』
 金のない庶民の僻みである。


◆◇


 暫く歩き、ようやっと校舎に辿りつくころには額に僅かに汗が滲んでいた。
 何故正門と校舎の間にこんなにも無駄なスペースがあるのか。そしてこんなスペースがあるならば何故車なりを用意してくれないのか。
 噴水に金をかけるくらいなら生徒の足となる車などを用意してほしいものである。自転車でも構わない。
 ……大勢の金持ちの坊ちゃん共が自転車で颯爽と正門から校舎へと向かう。なんだかシュールな光景だ。

 校舎の入り口につき、手前に掲示板のようなものを見つけた。見ると、どうやらクラス表らしい。……俺はC組か。


「ううん……、これは入っても良いのか?」


 開け放たれたこれまた豪華な扉の前でひとり唸る。どうして俺しかいないのだろう。みんな入学式から遅刻するつもりか。なんて不良生徒だ。
 まあ、それはどうでも良いことであるし、こんなに堂々と開かれているのだから入ってはいけないということはないだろう。駄目ならとんだ罠だ。してやられた。


「ご入学、おめでとうございます」


 入ると同時に投げ掛けられた優しげな言葉。
 外からでは気付かなかったが(意外に緊張していたらしく、気付く余裕がなかったとも言える)、どうやら入口近くには先輩方が控えていたようである。
 新入生たちに配るのであろう、小さめの美しい造花がずらりと並べられた長机の傍に、先輩方は立っていた。


「、ありがとうございます」


 にこにこと笑う先輩に、胸元に造花をつけていただき、要所要所にある立て看板に従って入学式の会場へと向かう。

 そういえば、あそこにいたのは恐らく全員が先輩だったのであろうけど、先生はいったい何処にいらっしゃるのだろうか。
 まさか全員不在だとか、全員が全員入学式の準備に取り掛かっているわけでもないだろう。

 いや、そんなことは瑣末な問題だ。
 これだけ規格外の学園なのだから全教員が揃って風邪に罹り欠席なんて前代未聞の事件が起こっていようとも俺は驚かない。
 嘘だ。びっくりだ。そんなこと有り得るわけないだろ。


「それにしても、本当に広い校舎だな」


 鏡のように俺の姿が映り込むまでぴかぴかにされた廊下の床。が、ずっとずっと奥まで続いている。
 まるで手がすり抜けていってしまいそうだと錯覚するほど磨き込まれた窓から向かいの校舎を覗いてみれば一般の高校とは桁違いの階数。
 恐らくは俺が今いるこの校舎もあの校舎と同じ高さなのだろう。
 ということは相当広い。迷ってしまったりしないか心配だ。


「……地図は配布されるのか?」


 この学園は生徒を遭難させることを目的に作られたのだろうか。


◆◇


「――私からの話は以上です」
「きゃああああっ!!」


 なんてこった。男子校のはずなのに女子がいる。俺は信じられない思いで壇上の生徒会役員たちのひとりと周りにいる大勢を見回した。
 壇上の男子の制服を着た女子。俺と同じく入学式に参加している男子の制服を着た女子たち。
 今時の男子校は女子生徒も受け入れていたのか。これではわざわざ苦労してまで偏差値の高い全寮制男子校に来る意味などなかったではないか。

 俺が呆然としている間にも生徒会長の話は終わり(生徒会長はちゃんと男性のようだ)、女子たちは黄色い悲鳴を上げていた。
 何故女子がいるのかという疑問は置いといて、確かに生徒会長は何処のアイドルかと見紛うほどの美形だ。きゃあきゃあ言いたくなる気持ちもわかる。
 もしかして彼は芸能界入りを既に果たしていたりするのだろうか。


「これで入学式を閉会致します」


 締め括りの言葉を生徒会長が告げ、俺を含む新入生は立ち上がり、退場していく。
 ちなみに先生はちゃんといらっしゃったようだがほとんど生徒会たちが式を進行させていた。
 入学式の中で説明があったが、なんでも生徒たちの自主性を育てるために教師は必要最低限の介入しかしないのだそうだ。

 体育館から出ると其処には先輩方がおり、新入生たちに声をかけていた。
 八割、九割の生徒は初等部からの生徒たちだそうだから、皆慣れ親しんだ仲なのだろう。
 「新入生はそれぞれ自室に戻り待機しているように!」との声がするが、俺はいったいどうしたら良いのだろう。なんせ自室とやらをまだ与えられていないのだ。待機のしようがない。
 俺と同じく外部からの入学生なのか、ひとりの女子生徒がおろおろとしていた。


「お、君たちは外部生かな?」
「はい、そうです」
「あ……、は、はいっ」


 快活な声と笑顔で先輩が俺と女子生徒に声をかけた。気さくな先輩だ。


「外部生ならこれから寮長室に向かって部屋の鍵を貰ってくるといい」
「寮長室ですか」
「一年生寮に入ったらすぐだ。寮まではこの新入生の流れに着いていったらわかるだろうから大丈夫だな?」


 「確か部屋の空きはあんまりなかったはずだから君たちは同室になるんじゃないかな。仲良くするんだぞ」そう言って、先輩は笑いながら俺と女子生徒の背を押した。
 年頃の男と女がひとつ屋根の下でこれから生活を共にするのはモラル的にどうかと思う。

 生徒たちの流れは正門のほうまで続いているようである。
 そういえば正門前まで来たときに隣に馬鹿でかい建物があったことを思い出す。
 あれはなんなんだと不思議に思っていたが、もしやあれが学生寮だったのだろうか。とんでもない豪華さだ。


◆◇


 つつがなく鍵を受け取り、俺と女子生徒は与えられた部屋に入った。
 女子生徒は人見知りなのか、それとも男に免疫がないのか、俺の顔をちらちらと見ている。

 部屋はまるで高級マンションの一室のようだった。広々としたメインダイニング。ピカピカなキッチン。部屋には更に個室がふたつあり、プライベートも守られている。
 備え付けのソファに座る。おお、ふかふかだ。女子生徒も何故か俺の向かい側に座る。なんだ。


「えっと……、柳瀬(やなせ)明喜(あき)です。これから同室としてよろしくね」
「此方こそよろしく。俺は志賀崎笑悟だ。好きに呼んでくれ」
「じゃあ、志賀崎くん。僕のことも好きに呼んでくれて良いよ」
「……柳瀬」


 「うん」とにこりと笑った柳瀬。さらさらの色素の薄い茶色のかかった髪。白い肌。頬には薄らと赤みが差している。目は大きいし、唇は小さいながらもぷっくりとしていて肉感的だ。
 ……よく見ると美少女だな、柳瀬。


「少し、確認があるんだが、」
「なに?」
「お前、俺と同室で良いのか?」
「……なんで?」


 不思議そうに首を傾げた柳瀬は自分の性別を忘れているのではないだろうか。
 それか恐ろしく女としての自覚が足りないと見える。


「男と嫁入り前の女が同室というのは世間的に褒められたことじゃないだろう」


 柳瀬が酷く困った顔になった。


「……僕、男だよ」
「騙したな!!」
「な、なんで!?」





――――――
 “あき”のほうが女の子っぽいし、“めいき”ってなんか変だなと思ったのでまさかの名前変更。
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