BL

□四月
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○四月十日(水) 午後




 一度寮に戻って食糧を買い溜め、昼食に炒飯を食ってから俺たちはまた学園に戻ってきていた。
 「手抜きでごめんね」と心底申し訳無さそうに謝られたが、電子レンジで卵を爆発させた覚えのある俺からしたらとても手抜きとは言えない代物だ。
 午前中はさすがにもう探索などという気力は残っておらず、明喜も明喜で気分が悪そうだったので早々に引き揚げたのだ。


「さて、どうする」


 訊ねると、明喜が複雑そうに顔を歪める。


「……外を見て回るのはちょっと」
「そうだな。中に入るか」


 またあんな場面に遭遇したら堪ったものではない。目撃した場所は森の中であったが、学園内の庭にもああいった輩がいないとも限らない。
 満場一致(ふたりしかいないが)で俺たちは校舎内へと足を踏み入れた。
 ちらりと後ろを振り返ると、もうあの背徳的で淫らな空気は漂っていないように感じられる。こうして見ると清浄な空間であるように思われるのに。
 ああした爛れた存在が他にもいるだなんて、考えるだけで気が滅入る話だ。


◆◇


 昨日の時点でも思ったが、やはりこうして探索のために訪れるとその広大さに驚かされる。
 全校生徒数をゆうに千人は超えるという話だからそれなりの広さは必要なんだろうが、それにしても過剰ではないかと思う。
 俺のように方向音痴の生徒への気遣いがなっていない。ファミレスから出ると自分で停めたはずの自転車の位置がわからなくなる男だぞ、俺は。

 明喜が「ほう……」とため息混じりに呟く。


「多分教室の数とかも凄いんだろうね。本当に迷っちゃいそうだなあ……」
「ナビでもあれば便利なのにな」
「カーナビみたいな? 確かに便利そうだね」


 笑う明喜の言葉のあとに何者かが告げた。


「十メートル先、右に曲がります」
「む、右か?」


 十メートルほど先に、確かに右折出来るところがある。さすが金持ち高校。いったい何処にナビを内蔵しているんだ。壁か、床か、はたまた天井か。
 右折すると何やら豪華な両開きのドアが現れた。教室らしき部屋のドアをいくつか見たが、そのいずれもスライド式のありふれたものであったのに対して、これ。
 何か格が違う感じだ。


「え、いや、今の誰……」
「はあい、新入生おふたりさま、ごあんなーい」
「は?」
「へっ?」


 何やら言いかけた明喜の言葉を遮るように、突如ドアは俺たちの後ろから伸びた腕によって開かれ、そしてその腕は俺たちの背中を強く押した。
 「ぎゃんっ」明喜が部屋の中に倒れ込む。だがしかし、俺は負けてたまるか。腰に力を入れて踏ん張ってみた。


「ええええ、ちょっときみ、そっちの子みたいに素直に部屋に入ってよ」
「断る」
「変に強情だなあ……。お願いします、入ってくださあい」
「失礼!」
「なにこいつ、偉そう」


 腹から野太い声を出し、如何にも威圧感たっぷりに部屋に入ってみる。重役の気分だ。明喜を助け起こし、俺たちを押した腕を見る。
 白く細く、骨張っている腕。その腕が繋がる胴体もやはり細身だ。顔に目をやる。入学式の際、壇上にいたアイドルグループと負けず劣らずの顔だ。ライバルグループか。


「蟹井、その子たちは?」


 不意に穏やかな声。どうやら部屋の中には俺たち以外にも誰かがいたようだ。全く気付かなかった。やはり予期せぬ事態に俺も少々混乱していたらしい。
 そして其処にはやはり美形がいた。つやつやと輝く焦げ茶の机。そしてその奥にある座り心地の良さそうな椅子の上に座るその男。
 なんだ。この学園にはアイドルしかいないのか。寧ろアイドルのための学園なのか。
 そうならどうしてこんな不便なところに学園を設立したのか。もっと都内とかそういうところに造れば良かったのに。地価が高過ぎたのだろうか。
 声色によく似合う柔和な顔立ち。清潔感漂うその人は不思議そうに小首を傾けて“蟹井”に訊ねた。誰だ、蟹井。


「一年生がうろちょろしてるって通報入ったから連れて来たんですー」


 お前か、蟹井。
 さっき俺たちの背中を思いきり突き飛ばしたのが蟹井だったらしい。なんて奴だ、蟹井。最低な奴だ、蟹井。


「新入生って今日は休みのはずなんだけどなあ……。もしかして会長の話、聞いてなかった?」


 困ったように笑う先輩(蟹井はどうだか知らないが恐らく彼は先輩であろう)に明喜は何故か顔を青くしている。
 度胸が据わっているようにはどうしても見えないし、もしやこいつは入学早々問題を起こしてしまったなどと思っているんじゃなかろうか。
 生徒が在籍している学園内に立ち入って何が悪いと言うのだ。


「いえ、それは存じています」
「じゃあ、なんで?」


 臆することなくそう答えた俺に明喜が「笑悟くん、ちゃんと話聞いてなかったじゃない」と突っ込んだ。
 黙れ、此処は聞いていたことにしておいたほうが都合が良いんだよ。


「学園内の探索のために入りました」
「……うーん、別に悪いことじゃないんだけど、今日は休みって言われてるんだから素直に部屋で休んでおこうね」


 やはり困ったように笑う彼は聞きわけのない子供を諭すように言うと、蟹井に目を向けた。「猿渡(さるわたり)は?」どんどん知らない人間が増えていく。


「猿渡なら蜂谷先輩とこれより前に入った通報で出勤中ですー。必要なら呼びましょーか」
「いや、それなら良いよ。悪いけど蟹井、この子たちのこと送っていってくれる?」
「チェンジ!」
「ば、馬鹿! なんで笑悟くんが答えるの!」
「マジでなんなのこいつちょうむかつく」


 顔色が悪いのを通り越して半泣きの明喜が俺の背中をぼかぼかと叩く。ぽかぽかとは言えないし、ぼこぼことも言えない、微妙な力加減だ。
 もしかして俺が先日立ちブリッジで腰を痛めたのを知っていてマッサージをしていてくれているのだろうか。


「送ってもらわなくとも結構です。道は覚えていますので」
「そ、そうですよ! 先輩方の手を煩わせるわけには……!」


 俺は単純に(明喜が)道を覚えている(だろう)からそんなものは不要だと言ったのだが、慌てた顔で必死に首を振る明喜は本心からそう思っているようだ。
 昨日の夜に、俺はこいつの“切実な悩み”を聞いたが、そういう女らしい殊勝な態度を取るから余計可愛がられるんじゃないか?
 こいつを可愛げのない奴にしてしまえば案外簡単に問題は解決するかもしれないな。
 ただそんな明喜とはこれ以降付き合っていきたくはないので黙っておくことにする。可愛げのない明喜は明喜じゃない。


「はいはい、そう思うんなら尚更送られてくださあい」
「それじゃあ、頼んだよ、蟹井」
「えっ、えっ」
「…………」
「ちょっと、全力で抵抗するのやめてって」


 明喜と一緒に手を引かれたので、蟹井の足に自分の足を当てて全体重を進行方向の反対にかけてみた。気分は組体操の“とんぼ”だ。あれは手を繋いでやるものではないが。
 しかし蟹井は見かけに寄らず意外と力があるようで、少しばかり手を震わせることしか出来なかった。
 仕方がなく抵抗を止め、部屋を出る。なんとなしに扉の上を見遣ると“風紀委員会室”と刻印された木札が見えた。
 確かに先程の先輩は風紀委員らしい風貌であったが、蟹井は(染髪によるものかどうかは知らないが)茶色の髪で、耳にピアスを開けている。おまけに着崩された制服。

 風紀が風紀を乱してどうする。


「あの、本当に……」
「あのさあ、君ら外部生でしょ?」
「はい。……それがどうかしたんですか?」


 尚も遠慮しようとする明喜を制するように蟹井が訊く。蟹井は口を動かしながらも足は止めない。既に俺たちを送るということは決定事項のようだ。
 まさか立ち止まるわけにも行かないので、俺たちもその後に続く。


「外部生と見ると親切ぶって乱暴する不逞の輩もいるってこと」
「……!」


 “乱暴”。あんな場面を見たあとじゃ深読みせざるを得ないワードだ。だが、恐らくはその深読みした意味合いで正しいのだろう。
 つまるところ、蟹井はそんな奴らから俺たちを守るために送ってくれると言っているのだ。
 おおよそ日本とは思えないほどの危険地帯だな、此処は。どうなってるんだ。


「意外と良い奴だな。見直したぞ、蟹井」
「ねえ、俺、二年」
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