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□40センチの恋(ビショエレ/全1P)
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「ビショップ様!」

 甘ったるい、けれどもよく通る澄んだ声が、POG日本支部の廊下に響く。

 ビショップが振り向くと、声の主である少女――姫川エレナがそこに立っていた。

「お久しぶりです、ビショップ様。日本に戻ってらしたんですね」

「ええ。とは言っても、明日には発つことになるのですが」

 ルークの旅に同行しているビショップが、日本支部に留まることはほとんどない。だから部下である彼女に直接会う機会は、ほぼないと言ってもよかった。……もっとも、例外もないわけではないのだが。先日起こったとある事件を少しだけ思い出しつつ、ビショップはエレナのほうへ向き直った。エレナが話を続ける。

「√学園におけるファイ・ブレインの子供たちの行動報告なんですけど。せっかくビショップ様がいらっしゃるなら、今やっちゃおうと思って」

 ルークとビショップがエレナに課した任務――いざというときの、橋渡しの役目。それに加えて、ビショップは彼女に学園生活のレポートも義務付けていた。大門カイト達の行動や、時には彼女自身の素行を監視するため。そういうことになっている。

 普段ビショップはメールで報告書を提出させているのだが、彼女にとっては、書面で形式張ったレポートを執筆するよりは、口頭で伝達したほうが楽なのだろう。14歳という若さ――幼さにも関わらず、彼女はいつも、人一倍懸命に仕事をこなしている。そのことを鑑みて、今日くらいは大目に見てやってもいいだろうと、ビショップは判断した。

「分かりました。では、お願いします」

 ビショップが促すと、彼女はさっそく口を開いた。

 彼女は手帳を片手に、淡々と、それでも少し楽しそうに、学園の様子を話す。そして時には、

「そういえば聞いてくださいよ! ガリレオったら、また変なことで大門カイトに張り
合って……」

 なんて、明らかに愚痴めいたことを口にすることもある。これがダイスマンやメイズ、フンガたちであれば軽くたしなめるところだが、彼女相手だとどうもそんな気が起こらない。ほんの少しだけ、ビショップの口元が緩む。

「あー!今、笑いました?」

「いえ。ただ、少し微笑ましいなと」

「もう……。これでも真面目に報告してるつもりなんですよ?」

「分かっていますよ。あなたの詳細なレポートには、毎回ルーク様も満足されています」

「えっ、ルーク様もですか!?」

「ええ。ですから、気にせず続きをどうぞ」

「そ、それじゃ……えっと、どこまで話しましたっけ――そうそう、ガリレオ! ほんっと、いつも騒がしくって」

 ビショップはエレナの話に適当に相槌を打ちながら、彼女の顔を眺めた。芸能界でもPOGでも一人前であろうと必死で振る舞っていたことを思えば、学園に通い出した今の彼女は随分と生き生きしている。歳相応の、少女の顔。

 その顔から、少しだけ視線を外した。気づかれないよう、彼女の華奢な身体に目を落とす。

 彼女を見ていると、どうしても思い出してしまうのだ。あのとき――ヘルベルト・ミューラーに捕らえられた彼女を、救い出したときのことを。彼女の細い腰を。震えながらもしっかりと首に回された腕を。柔らかい太ももを。さらりと肩に落ちる髪を。花のような甘い匂いを。

 こうじっくり見下ろしてみると、彼女の身体は本当に小さい。身長差、ざっと40センチ。そのため彼女は自分と話すとき、精一杯に首を伸ばし、上目づかいに見上げてくるのだ。この光景を知る者がいったいどれだけいるだろう?

 我ながら俗っぽくなったものだ、と一人自嘲する。この心も体も、主であるルーク様以外に割くことなど有り得ないのに。なぜだろう、この少女の姿だけが、ふとした瞬間に脳裏をちらついて――

「ちょっとビショップ様?聞こえてます?」

 目の前の少女の声に、はっと我に返る。

「あ、いえ……すみません。少し考え事を」

「ひょっとして寝不足ですか? 駄目ですよ、どんなに忙しくても睡眠はきちんと取らなきゃ」

 取り繕ってはみるものの、彼女の目はごまかせない。怪訝そうな目をこちらに向けてきた。

「仕事中に他のこと考えるなんて、ビショップ様らしくないです。あんまりボーっとしてると、私からルーク様に報告しちゃいますよ?」

「えっ」

「あはは、冗談ですよ。目、覚めました?」

 小悪魔のようにいたずらっぽく笑う。その微笑みがまぶしかった。思わず、見蕩れる。

「やだ、顔真っ赤! ビショップさん真面目すぎですってば!」

 そんなに慌てなくても言いませんって、と。彼女はなだめるように言った。動揺のあまり赤面したと思われたらしい。どちらかといえばその解釈のほうが、ビショップにとっては不名誉だった。いっそのこと、彼女の笑顔に見蕩れていたと白状してしまおうか。思わず口を開きそうになるが、それも彼女の言葉に遮られる。

「大変、もうこんな時間! すみませんビショップ様、これから撮影があるので」

 エレナは慌ただしく一礼すると、手帳を手早くポケットに仕舞い、マネージャーの待つヘリポートへと向かおうとする。しかし数メートル進んだところで、

「あ、」

 ちらりとこちらを振り返り、彼女は言った。

「――今日は話を聞いてくれて、ありがとうございましたっ」

 少しだけ申し訳無さそうな、愛想笑い。ビショップが見蕩れる間もなく、彼女は再び背を向け、今度こそ早足で遠ざかっていく。

 ……彼女は多忙を押してまで、同じく多忙とわかっているはずのビショップを引き止めてまで、直接自分の学園生活の様子を話したかったのだ。

 報告書の堅苦しい文面には表れていなくても。彼女なりに、この生活を楽しんでいるのだと。転校させてもらえてよかったと。きっとそう伝えたかったのだろう。

 そう思うと、なんだか彼女が愛おしくなって。彼女の小さい背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。

「ロリータ・コンプレックスの気は、ないと思っていたのですが」





 ビショップはまだ知らない。

 彼女を抱きかかえた感触も、見下ろしたときの姿も、歳相応の魅力的な笑顔も、すでに知る少年がいることを。彼女の心は、いまのところその赤毛の少年に向けられていることを。

 ビショップはまだ知らない。


 

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