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□落ちた林檎
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ぶつかった角から、さほど離れていないカフェの中へと入る。


落ち着いた雰囲気の中、女は慣れた様子で外に設置されているテーブル席に腰掛けた。



僕も彼女の後について行き、向かいの席に腰掛ける。

大きな荷物は隣の椅子に乗せた



暫くするとウエイターが来て、注文をとるとツカツカと去って行く

僕の分は彼女が代わりに注文してくれた。


「そう言えば、お名前聞いていませんでしたね?」



彼女は魅力的な笑みを浮かべ、ふわりと訪ねてきた。


彼はそんな彼女の表情を直視出来ず、手元のグラスに視線を移しながら


「…ドッピオって言います」


今にも消えてしまいそうな小さな声で答えれば


「私はなまえって言います」

そう言ってまた微笑んだ。




綺麗な黒色をした髪と瞳は、今更ながら彼女が異国人であることに気づかされる…


なんでぶつかった時に気付かなかったんだろう…




それ程までに相手の事を見ていなかったのだと気付き、改めて申し訳なく思った

なので伏し目がちに… 迷惑にならない程度に、彼女の方を伺う。




僕と同い年位の彼女はとても大人しそうな子であった

テーブルには運ばれた水と一緒に、ぶつかった時に読んでいたであろう本が置かれている。

そこには「イタリア語の発音」なんてタイトルが書いてあった。

(勉強熱心なんだな…)


ドッピオは余り勉強をしたことがない。

今の自分の立場からしても、勉強などそれ程必要無いからだ



爽やかな風が吹き、行き交う人々を見つめているなまえの柔らかな髪を揺らす

仄かに甘い香りが漂って来て、ひどく心地が良かった…




ぼうっと見つめていると、ふと視線が合い慌てて逸らす



何故だか彼女の目を見ることが出来ない…

見たら最後… 何だか嫌な後悔に苛まれそうで怖かったのだ。



注文した品が運ばれ、それから他愛もない会話を始めた。


彼女からの一方的な会話ではあったが、不思議と嫌ではなかった…





今では何を話していたかなんて覚えていないが…


ただ、彼女の名前だけははっきりと覚えていた。



それから経験したことない感情…

知らず知らずのうちに脈拍が上がっていって、鼓動も早まる…


妙に落ち着いて居られなくて、彼女から自分がどう見られているのかばかり気になった…





−−−‥



気付けば、見慣れた部屋に僕は居た

どうやって彼女と別れ、ここまで戻って来たかなんて覚えていない…


僕はただぼんやりとベットに腰掛け、先程会ったばかりの彼女…



なまえの事ばかり、机に置かれた林檎と紙袋を見詰めながら思いを巡らせていた



(そう言えば、彼女は林檎のケーキを食べていた気がする…)


ほんの些細な事だったが、少し彼女に近付けた気がして嬉しかった。


どうしてこんなに和やかな気分になるのかなんて分かりたくもなかったが


「次に会ったら… ちゃんとお礼を言っておこう」

きっとそれを知ってしまうことに怖さを抱いて居るのだと
何となくながらに分かっている自分を少し疎ましく思いながら



次に会えることを夢見て、会った時には彼女のことを少しでも知っておこう。

僕は小さな息を吐き出した




 落ちた林檎


 
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