short

□幸せの音色
1ページ/3ページ


ピアノの音色が響く…


辺りは、春になったばかりの独特な柔らかさが感じられる日の事。

緩やかな陽光が、少し開いた窓から呑気に部屋を暖めていた



俺はソファーに腰掛けながら、ノートパソコンを相手に睨めっこしている…


気難しそうに唸りながら溜息を吐き、淹れてもらったばかりのコーヒーを啜った。







…すると、不意に満ちていた音が止む。

突然静かになった部屋…


聞こえるのは、爽やかに靡く風の音だけであった



不思議に思って顔を上げれば
其処には申し訳無さそうな顔をしたなまえが居た。




「…ごめんね、煩かったかな?」



そう言いながら上体を捻りつつ
此方を見るなまえの両手はそっと鍵盤に添えられていた。




…嗚呼、まるで一枚の絵画の様にさまになっているな


外からの光を柔らかく受けたなまえの髪が、まるでキャラメルの様に輝く。

滑らかで白い肌は、より一層綺麗に見えた



俺は少し彼女に見惚れながら、首を横に振る。



「嫌、大丈夫だよ。…むしろ心地良かったかな」

「ふふ、メローネは何時も同じ事言うのね」



なまえは茶化すみたいに笑う。


そんな仕草までもが、俺の眼を更に惹きつける…


窓の隙間から生暖かい風が吹き込み、俺達の髪を優しく揺らした。


何だか少し、植物の青々とした匂いも漂う…



「でも、本当に仕事の邪魔になるようだったら 言ってね?」



彼女は一つ笑みを見せると、ゆっくりと体を戻してさっきよりも遠慮がちに、小さく演奏を再開した。



今弾かれているのは最近のなまえのお気に入り。

確か… リストって奴の作曲じゃなかったか?



ぼんやりとそんな事を考えながら、演奏を続ける彼女の後ろ姿を見つめた…




クラシックなんて微塵も興味は無かったが

なまえの部屋に遊びに来て、毎日の様に聞いていると…


何故か不思議と、そうでも無くなっていたのだった。




今では知らない間に口ずさんでいたりする。

…そのたびにチームの奴等から「らしくない」とか冷やかされるのだが





しばらく彼女の忙しなく動く姿に魅入っていた。


なまえの甘い匂いがする部屋に、外からの暖かい春の香り…
そしてほんの少し苦いコーヒーの湯気。




何だか、酷く自分が幸せになったみたいで…

たまらず視線をパソコンの画面へと戻した。



其処には、今夜のターゲットである殺害相手の細かなデータが書かれている。


何としても、全ての情報を今日中に覚えてしまい

そして無事に任務を遂行しなくては…





…そう、俺は人殺しなんだ。

だからこんな幸せなんて、俺にはあってはならない


なまえと一緒に居る権利なんて、俺には本当は無いんだ。


こんな俺の所為で、彼女は普通の幸せな家庭を築けない…

俺が彼女の楔となっているのだろう



…ごめん。






何気なくカップを取り、コーヒーを啜ってみるが
とっくに温度はぬるくなっていて、思わず顔をしかめてしまった。


生温い風が相変わらず髪を揺すり、頬を擽る。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ