luce

□オムライス
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残された玄関口にいる彼と、廊下で立つ私。

…いったい何をしているのだろう。
あれほど干渉はしないと思っていたのに。出て行くのは私なのに


ここに来て、彼に向かって初めて声を発した
数年ぶりの一声

「お邪魔しました」

私はこんにちはも、久しぶりねも、愛想のいい事は言わず
何事もなかったように私も玄関に向かい、靴を手に取ろうとした

「君の事だ。まだ昼ごはん食べてないんだろう?」

数年ぶりの彼の声
あの時よりいささか落ち着いていて、低い声

何も答えずにいると

「僕もこれからなんだ、一緒に食べよう」

私の横に置かれた鞄を手にとり、勝手にリビングに消えていってしまった

返して、ともは?、とも言えず呆気にとられていた。
きっと何か小言の一つでも言われるのかと思っていたのに、昼ごはんを食べようなんて…


思ってもいなかった。
きっと私の事など綺麗さっぱり忘れてしまったのだろうか?

それともなんとも思っていないのか

そりゃあ、あの彼女のような素敵な子が出来れば私のような存在など過去に過ぎず、もはや知り合いにしか思っていないのかも知れない

しかし私としては一刻も早くこの家から出て行きたいのに

鞄は彼が持って行ってしまった…


考えていても仕方ない。
昼ごはんを食べていないのも事実。

彼が私を過去の知人としか思っていないなら、私はそれを演じればいいだけではないか。

私は手に取った靴を元に戻し、リビングに向かって歩き出す
扉に手をかけると、ガスコンロに点火するチチチ、という音が聞こえて来た

扉を開け、ほんのさっき座っていた同じ場所に腰かける。
出されていたお茶は引かれ、机の上には何もなく隣の椅子に私の持っていかれた鞄があった

ふと視線をキッチンへ向ければ彼は何やらごそごそと準備をしている。

…料理なんて滅多にしないのに

私は携帯を手にとり時間を確認する。
これでもまだ仕事中なのだ

- 12:41

昼ごはんには少し遅いだろう

一応上司にメールを入れておこう


携帯を机に置く。

キッチンからは加熱する音と、ボウルで何かをかき混ぜる音がする
窓からは優しい陽光が差し、部屋を薄く白く染める
少しだけ空いた窓からは春独特の生温い風が入り込んで来て、カーテンを揺らした

いい匂いがする。

ぼう、と窓を見ながら呆けていると

「簡単だけど」
と彼が出来上がったものをコトリと置いた

はっと視線を向ければ、出来立てのオムライスが湯気を立てている。

加熱し過ぎて歪に固まってしまった卵が可笑しい。
続いてスプーンと、お茶を置いてくれた。

自分の分のオムライスを抱えて彼は目の前に腰かけると、ふぅと一息ついた

「君ほど上手じゃないな」
「まぁまぁね」

彼は肩をすくめてみせた
私は片眉を上げてみせる

「ありがとう」
「…。さぁ召し上がれ」

頂きます、とスプーンを手に取りまるでスクランブルエッグのようになってしまった卵とケチャップライスを取り口に運ぶ。

彼好みの濃い味付けが懐かしい。

と、同時にとても虚しくなる。

彼は私の一口を見届けると、自分のに手をつける

無言の食事会が開かれた。

聞こえるのはスプーンと食器のぶつかる音と、外から聞こえる車の音ぐらい

何が虚しいのだろう。

あの時に戻れない事だろうか
それとも、この食事会が一時の慰めに過ぎないからだろうか

何にしても、私は戻る気は無い。

もう終わった事なのだ。

彼の人生にこれ以上踏み込んではいけない。
彼には彼を愛する人が必要なのだ。

愛してるかと聞かれれば、そうでも無いと答える私には元から入り込む隙間さえないのだ。

それがあの蛇みたいな目をする彼女の方が、彼を愛しているのなら私より何百倍だって彼の為になる。

時々彼と目が合うが、何事もなかったかのように逸らす

彼は口を開こうとして閉じる仕草が何度も見れた


…何も話さない方がいい
関わっては駄目だ。

さっさとこの食事会をお開きにして、二度と会わないようにしよう。

何でここに来てしまったのだろう。
仕事のためとはいえ、他の人に頼むこともできたのに。

まだ未練でも?
…いや、未練ではなく興味だ

そうだ。興味だったんだ。

私がいなくなった後、彼はどうなったのか
それが知りたかっただけだ。


一言くらい、世間話をしたい
この無言の空間がいたたまれないのだ

私がその後何をして今に至ったのかとか
今は1人で暮らしてるとか
朝、観葉植物に水やりを忘れてしまったとか

…実に虚しい。

私がもっと嫌いになりそうだ

堪えよう、堪えようと思っているのに
視界が徐々に霞んで来て
堪えきれず一粒溢れて落ちてしまった

ぱた、と落ちたそれは幸いにも皿の外。

あぁ、早く帰らなくては。

私は残り少しのオムライスを残して
席を立ち上がった

「ごちそうさま」

声が濁っていた
恥ずかしい。

鞄を手にとり足早に玄関に向かった

靴を手早く履き、扉に手をかける


「またね」

いつの間にか彼が背後にいた。

触られてもいないのに頬が熱くなった

私は無言で扉を開き、そして何も返さず
その場を後にした…

背後で扉がガチャリ、と耳に響くように音を立てて閉まった。


私は

私は二度と戻らない。

彼の為にも
私の為にも。




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