ちょこっと図書室

□僕の愛した…
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真っ暗だ。

真っ暗な闇。

今日は新月。いつも闇夜を明るく照らす月もその身を隠している。照らすのはか弱い光を放つ小さな星屑達だけ。

僕はベットに腰を降ろし、彼が来るのを静かに待つ。
音のない闇の中、聴こえるのは僕の鼓動と悪戯な風がカーテンを弄ぶ音だけ。

「トーマ」

窓際に出来た大きな影。僕を呼ぶ愛しい声。
部屋に入ってきた彼を僕は優しく包む。擽ったそうに笑う君。
太陽を知らない筈の君は太陽の様に眩しく笑う。

「…もうすぐ、日、昇るな」

「………ああ」

彼に回した腕で、いや、見ただけでも分かる。彼のすっかり細くなってしまった体。
もともと細かった腰は更に細く、僕が付けた印が残る首は両手に簡単に収まってしまいそうなほど、僕の頬に添えられた手は枯れてしまいそうな木の枝のように今にも折れてしまいそうだ。



僕は彼に血を吸われ、一度死にかけた。
彼は泣いた。ただの生贄の筈の僕の為に美しい雫を落とした。
この町の“シキタリ”…他の町の住人が襲われぬよう、当主の子は生贄としてその身を吸血鬼に捧げる。

恐ろしいとは思わなかった。むしろこんな世の中から解放されるのだと内心喜んでいた。
金や権力の為に心を売る愚かなもの、美しい緑をまるでゴミのように消し去り無駄な城を造る、愛してもくれないのに作られる子供……もうたくさんだ、こんな世の中。そう思っていた。
…それなのに…彼は、マサルは現れた。

家の者に自分の部屋へ無理やり押し込まれ、ドアには鍵が掛けられた。
何時死んでもいい、そう思っていたのにやはり直前で怖くなって少し抵抗したが直ぐに諦めベットに腰を降ろしてそっと目を瞑った。
窓は開けてある。どうせ閉じていてもきっと割られるのだろうから。きっと最後になるだろう気持ちの良い夜風を感じながら、ゆっくりと、閉じていた目を開けた。

気付かなかった。窓枠にいつの間にか知らない青年が腰掛けていた。
僕と同じ年くらいの、僕は14だから…少年、長い髪をしたその少年は、僕が目を開けたのを確認すると音もなく静かに近寄ってきた。
絵本や古い書物などには黒マントに身を包み、死人のような白い肌で、口には真っ赤な舌を覗かせながら、その恐ろしい牙で女の生き血を啜る。と、吸血鬼についてその様に書いてあったのを見たが、全然そんなことはなかった。

着ている物も町の若者が着ているのと一緒だし、暗いからハッキリとは分からないが肌の色も僕の方が白い。牙だって口の中にちゃんと収まっている。第一血を吸う相手は女に限らないという時点で本に書いてあることなんて絵空事なのだ。
近付いてきた彼は、僕の体をその両の腕が抱き寄せた。冷たかった。体温なんて感じなかった。なのに何故だろう…とても暖かいと思った。

冷たいのに、暖かい。

「ごめんな…」

彼は耳元でそう小さく呟くと、僕の首筋に顔を埋めた。
痛みを感じたのが一瞬だけだった事に僕は安堵した。死ぬのは構わないと言ってもやはり痛いのはいただけない。
しばらくして僕は立っていることも辛くなって来て、彼は僕を支えるようにしながら夢中で食らいついている。
このまま血を吸われ続ければ死ねるな、意識朦朧としながらそんな事を考えていた。
意識が飛びかけた瞬間、首筋にあった感触は消えた。消えそうな意識の中、ふわりという浮遊感、彼が叫びながら屋敷の使用人を呼ぶ声だけが聞こえていた。

三日ほどして僕は目を覚ました。
見慣れた天井。どうやら天国ではないらしい。目を覚ました僕を見て使用人達が涙を流しながら喜んでいたが、本当に心から泣いてくれているのか疑ってしまう辺り僕もこの世の中に感化されているらしい。素直に喜べなかったのだ。

何日かして、真夜中僕が眠れずにシーツの中で静かに目を閉じていると何かの気配を感じた。ベットの横に、暗くてよく見えないが月明かりに照らされてうっすらと輝く琥珀色に近い頭が見えた。
気付かれないようにそっと頭だけをもたげて見る。
彼はベットの端に背をあずけて座り込んで、泣いていた。声は出ていない。その瞳から止めど無く流れる涙が彼の頬を濡らしていた。

「…ねぇ」

そっとしておいた方が良かったかもしれないと思いながらも、どうしても訊きたいことがあって呼んでみた。
起きているとは思わなかったのだろう。彼はビクッと体を揺らしてから、ゆっくりとこちらを振り向いた。

「どうして泣いてるんだい?」

僕がそう尋ねると、一瞬、彼の瞳が揺れた。

「……分かんねぇ」

少し迷った後出した彼の答えは僕の求めるものとは違ったが、まぁいいだろう。

「…なぁ」

「何だ?」

「…ごめんな」

「え?」

「体…大丈夫か?」

驚いた。彼は、ただの“餌”の筈である僕の体を心配していたのだ。

「餌だなんて思ってねぇよ」

僕の心を読んだかの様に彼は言った。

「違うのかい?」

思わずそう尋ねる。さっきから質問ばかりで申し訳ないとは思うがやはり気になる。

「俺には、お前を殺せない…殺したくない」

「どうして?」

「…分かんねぇ」

肝心なところは、分からない、としか答えない。本当に分からないのか、言いたくないのか、ただ単に考えるのが苦手なのかは定かではない。

それから色々と話している内に何だか楽しくなってきていた。“楽しい”なんて何時ぶりだろう?
日が昇らない、まだ辺りが暗い内に彼は窓から帰ろうとしていた。僕はとっさに大切なことを訊いていなかった事を思い出して彼を呼び止めた。

「待って!まだ、名前を訊いてない」

さっきから色々話していたのに、不思議にもお互いの名前は名乗っていなかったのだ。

「お前は?」

「トーマ」

訊かれて直ぐに返す。自分の名前を口に出すのは久しぶりかもしれない。

「トーマか。いい名前だな」

僕の名前を呟いたあとそう言って褒めた。“トーマ”なんて在り来りな名前程度にしか思っていなかったが、彼にそう言われて何だか愛着が湧いた気がする。
彼はフワッと窓枠に飛び乗ると僕の方を振り返ってニッコリと笑った。

「俺は“マサル”だ。またな!トーマ!」

そしてそのまま倒れるように背中から落ち、僕はびっくりして窓際に駆け寄るが、彼の姿はもう何処にもなかった。
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