藤崎義人

□栞
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誕生日当日。

彼は1人で雑誌の取材、私はアルバムのレコーディングだった。
私の方の上がり時間が読めないので、終わり次第連絡するとメールを送っておいた。

『分かった。頑張って』

短いけれど、私にとっては心強い一言。
集中してレコーディングに臨める。
綺麗にラッピングされた箱を持ってスタジオに向かう。


「ヒロイン、今日はいつにも増して声が出ているな。
何かいい事でも…?」

神堂さんは声1つで私の状態を把握してしまう。
そうでなくても全部を見透かすような彼の瞳に見つめられ、
調子のいい原因を白状せざるを得なくなる。

「レコーディングが終わったら…彼と会う約束をしていて…」

『彼』。
そう周りに話すにはまだ照れてしまうくらいに、
彼との時間は始まったばかりだ。

少し赤くなりながらもその言葉を吐き出すと、

「そうか…いい恋をしているんだな」

神堂さんはフッと微笑み、そう言ってくれた。

「じゃあ…その調子でもう少し頑張ってみて」

今日は終われるかな?と思った所にこの一言。
やっぱり神堂さんは音楽に対して厳しい。
よりよいものを作る為に一切の妥協はしない。

ちょっとがっかりしつつも、私だってやるからには最高のものを作りたい。
ヘッドホンを着け、マイクの前に立つと気持ちを新たに歌の世界に戻った。


結局レコーディングは予定より2時間オーバーで終了。
急いで彼にメールをすると、スタジオ近くの喫茶店にいるという返事。

(え?家に帰ってたんじゃ…)

彼の仕事はもう何時間も前に終わっているはず。
一旦帰っていると思ってばかりいたので、予想もしない返事に困惑するも、
すぐに会えるという嬉しさに胸が高鳴る。

喫茶店に入り店内を見回すと、帽子を目深に被り本を読む彼…義人くんの姿。

「遅くなってごめんね。家に帰ったんじゃなかったの?」

声をかけると彼はゆっくり顔を上げ、お疲れ様、と言ってくれた。

「待つのも悪くないかな、と思って…。
それに…」

少し間が空く。
続きを問おうかと思った瞬間、言葉がゆっくり吐き出される。

「それに…少しでも早く顔が見たかったから」

普段はあまり自分の気持ちを口にしない彼からの、意外な言葉。
私は嬉しいやら照れるやらで、穴があればそこに入ってしまいたいくらいに身の置き場に困ってしまった。

そんな私が面白かったのか、義人くんは少し微笑むと、
帰ろう、と手を差し出した。

(…帰ろう?)

このまま何処かお店に行って食事をするものだとばかり思っていた所に、
『帰ろう』という思いもしない言葉。
まだ付き合い始めたばかりなのにいいのかな…と思い、彼に聞いてみる。

「俺はそういうの気にしない…」

いや、でも、私は気にするんだけど…。
だからと言ってどこかお店に行くにしても、周りに気付かれると騒ぎになる。
ならば個室と思いつくけど、飛込みではなかなか空いていない。

家に行こうという彼の提案に考えが及ばなくても、
お店を予約する事は考えられたはず。

年に1度の大切な日に、気が利かない自分が情けない。
急に黙り込んだ私を見て、心配そうに彼が顔を覗き込む。
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