本多一磨

□眠り姫
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自分の叫ぶ声で目が覚める。

「夢か……」

役に入りすぎている自分と同時に、
自分の中のヒロインちゃんの存在の大きさにに気づく。

(夢でよかった……)

大きく溜息をついて窓を見ると、空が白んでいる。
まだ肌寒い春の夜だというのに俺は汗だくで顔は涙で濡れていた。

着替えて寝直すには時間がない。
この気持ちを吹き飛ばしたかった俺は顔と体をざっと拭き、
着替えてランニングへと出かけた。


そして迎えた千秋楽。

大盛況のうちに幕が下り、舞台裏には労いの言葉が飛び交う。

「お疲れ様でした!」

「ありがとうございました!」

その声を掻い潜りながら、俺はヒロインちゃんを探す。
他の誰より、一番に労ってあげたい相手を。

あちこち探したけど見つからず、諦めて楽屋に戻ろうと歩いていると、
すれ違うスタッフに立ち止まって挨拶している彼女がいた。

楽屋に向かって歩きながら挨拶してもおかしくないのに、
立ち止まって頭を下げているのは実に彼女らしい。

「ヒロインちゃん」

「一磨さん! お疲れ様でした!」

ぱっと彼女の顔が輝く。
自惚れかもしれないけど、愛されてるなと思う瞬間だ。

「お疲れ様。一ヶ月ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました。
一磨さんのお陰で無事に乗り切れました」

「ここじゃ人多いし……楽屋、行かない?」

「……はい」

スタッフや出演者が行き交う手前、手を繋ぎたい気持ちをぐっと堪えて、
彼女と一緒に俺の楽屋へ向かう。

ヒロインちゃんを楽屋に招き入れると鍵をかける。
挨拶をしに訪ねて来る人も少なくないだろうけど、
今だけは……せめて今だけは、彼女と二人きりでいたかった。

彼女の手を引き、自分の方に抱き寄せる。

「一磨さん……」

俺を呼ぶその声に応えられず、ただ黙って彼女を抱きしめる。
今言葉を発すれば、何かが崩れていってしまいそうな気がしたから。

いくつもの舞台に立ったけれど、こんな気持ちは初めてだった。
相手が彼女だから?
多分……いや、それだけではない。

あの日見た夢が俺に言いようのない心細さを抱かせていた。
これほどまでに役と彼女をダブらせて感情移入するなんて、
今までの自分にはなかった事だ。

「一磨……さん?」

ずっと黙ったままの俺が心配になったのか、
顔を上げて気がかりの色が揺れる目で俺を見る。

「ああ、ごめん。ちょっと……ね」

こんな自分を彼女に見せたくなくて、適当に誤魔化す。
腑に落ちないといった様子で俺を見る顔が可愛い。

「ヒロインちゃん……キス、していい?」

「え……」

戸惑う彼女に顔を寄せる。
”YES”としか言えないように追い込む俺は……ずるい。

衣装のままの彼女に口づけると、また役と彼女が重なる。
消えてしまわないように腕に力を入れてぎゅっと抱きしめる。

「んっ……」

呼吸の出来ない苦しさと抱きしめられる苦しさからか、
俺の腕の中で小さく暴れる彼女。

ちゅ、という音をさせながらゆっくり離れると腕を緩めて優しく抱きしめる。

「一磨さん……なんか、変です……」

声に少し抗議の色を混ぜながら、ぽそっと呟く彼女。

「舞台終った直後だし……昂ってるのかな。
ごめん、止まらないかも……」

俺は彼女の膝裏に手を回すと、そのまま彼女を抱え上げてソファーに横たえる。
こんなつもりじゃなかったのに、体が言う事を聞かない。

舞台の千秋楽で、ドアを隔てた外からは人の声が絶え間なく聞こえる。
もう雑音としてしか認識しなくなったそれを聞きながら、
俺は体が求めるままに彼女を抱いた。


劇場を後にするまでに、一体どれだけの人に言葉をかけられただろう。
とにかく沢山の人に褒めてもらったり、次への期待をしてもらったりで、
この舞台の注目度の高さと、その人達の気持ちをしみじみ思い返していた。

そして今、俺の横には静かに寝息を立てて眠るヒロインちゃんがいる。

このままキミが起きなかったら――。

あの夢を見てからというもの、その不安が拭えないでいた。
もしそうなったら、俺はどうしたらいいんだろうと、
そんな事ばかりを考えながらキミの穏やかな寝顔を見ていた。

彼女の髪を撫でながら思う。

この先、どんな事が起ころうとも俺の手を離さないで欲しい。
一人にしないで欲しい、と……。



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