【短編】
□輝く女というものは
1ページ/1ページ
「げほっごほっ、ごほごほ」
8月。夏真っ盛り。私は風邪を引いてしまった。原因は冷房で部屋をギンギンに冷やし過ぎたことによる。
幸い熱にまでは発展していないがいつダウンするか分かったものではない。
買い出しからの帰り道、午後の照りつける太陽の暑さにマスクを取りたい衝動に駆られるが、そこをぐっと我慢する。
「あれ〜そこのお嬢さん。もしかして凶暴ですか?」
聞き覚えのある声に振り返ってみれば、そこにはこの前お世話になった坂田さんが立っていた。
「あ、こんにちは、ごほっ」
「はいこんにちは〜、って、ちょっと、何。風邪引いてんの?」
おいおい大丈夫かよ、と言って私が持っていたバッグを軽々と持ち上げた。何だか申し訳ない。
「何だよ、買い物行くんだったら俺に連絡してくれればついて行ったのによ。凶暴ですの荷物係だったら文句なしに引き受けるぜ、銀さん」
いつものように冗談交じりな言い方に思わず笑みがこぼれた。
「あはは、そういう訳にもいかないですよ。でも、ありがとうございます。荷物、持っていただいて」
そう言うと銀さんはこれくらいどうってことねーよと私に向かって微笑む。
職業柄なのかな、この人は困ってる人を見たら放っておけないタイプなのだと思った。とても優しい人なんだと。
「熱とかは今んとこ大丈夫だよな。薬はあんのか?ってお前、一箱も買ってねーじゃねーか」
バッグを開けて中身を見ていることに少々驚きつつ、苦笑いする。ああ、生理用品買ってなくてよかった。
「げほげほっ…大丈夫です。薬ならまだ家にたくさんありますから」
「そうか。じゃあアレは。えーとアレだ、アレ。ピヨシート」
「ごはっ!熱さまシート、ですよね。大丈夫です、それもあります」
会話がもう私に熱がある前提で進められてる気がするが、そこは気にしないことにする。坂田さんも心配して声をかけてくれている
のだから。他愛もない話をしていたら、いつの間にもう私の家の前まで来ていた。スーパーから家までは結構遠いはずなのに、あっという間
に感じられた。きっと一人じゃなくて彼が一緒にいてくれたからだろう。私は振り向いて大きく一礼をした。
「こんな所までわざわざ本当にありがとうございました。私の家はもうそこですからここまででで大丈夫です」
「……」
しかし私の家をじっと見つめたまま、坂田さんは荷物を持ち直しながら口を開いた。
「お前ん家ってボロボロだな。今にも倒れそうじゃねーか。しかも小せーし。家賃いくらよ?俺んトコより安いんじゃね?」
「あはは、…確かにそうですねえ。相当古いらしいし、改修工事も何年もやってないみたいなんです。ごほっごほ、家賃はそこまで安くはないです。住み始めた当時の物件の中では高い方でしたので…」
そういえば、友達や知り合いを自分の住んでいる場所まで連れてきたのは初めてだった。自分的にはこの汚いアパートはいつも目にして慣れているから違和感を感じないが、他人にとってはきっとびっくりするくらいボロに見えるのだろう。彼をここまで付き添わせてしまったことに少し後悔した。女友達ならばともかく、異性の知り合いとなると話は別だ。
若干うつむき加減になっていると、わしゃわしゃと優しく頭をなでられた。ゆっくり見上げると、微笑んだ坂田さんの顔があった。
「結構苦労してんだな。えらいことだ。とりあえず中まで案内してくれよ。荷物持ちは家に運ぶまでが荷物持ちだかんな」
そう言うと、坂田さんは私の手を握って歩き出した。その行為に一瞬驚き手を引いてしまいそうになったが、坂田さんはギュッとつないで離さなかった。
「さ、坂田さん…!」
「はいはい、俺と手なんかつなぎたくねぇと思うけどしばらくの間だけ我慢しよーな、凶暴ですちゃん」
荷物を運んでもらい、片付けまで手伝ってもらってしまったので、お礼に冷やしておいたようかんを茶菓子に、丸いテーブルを挟んで向かい合ってお茶をすする。といっても坂田さんは、先ほど私が買ってきたカルピスを牛乳割りにして飲んでいる。
「意外とシンプルな部屋なんだな。もっとキラキラごてごてしてると思ったぜ」
「…女の子っぽくないですよね」
キラキラ…確かに周りの子たちは身なりがとてもきれいで、輝いている。きっと部屋もそれなりに気を使って可愛くしたり、ゴージャスにしたりしているはずだ。
それに比べ私は…身なりも地味。部屋もパッとしない。女の子らしくない…。
「女が女らしくする必要なんてあるのか?そんなもんとんだ茶番だな」
「…え」
顔を上げると、穏やかな表情の坂田さんがゆっくりとコップを傾ける。ゴクリと一口飲むと、今度は真剣な瞳で私をまっすぐ見つめた。
「周りに合わせて自分を殺すより、周りに流されずに自分を生かす方が、俺にとってはキラキラ眩しい良い女に見えるぜ」
まぶしい…それって私のことを言ってくれているのか。そう思うと、さっきまでの胸のもやもやしたものがすっと消えて、自然と笑みがこぼれた。
この人は…私に同情するでもなく、慰めるのでもなく、彼自身の本当の気持ちを私にぶつけてくれたのだと私はそう解釈した。
「ありがとうございます。げほごほ、そんな風に言ってくれたの、坂田さんが初めてですよ」
「たりめぇだ。他の奴なんかに先に言われててたまるか」
うふふ、と笑いながらお茶をすする。坂田さんのコップを見れば、もう空になっていた。私が立ち上がってコップを持って行こうとするのを坂田さんがとめた。
「あー、もういいわ。ありがとな。さて、そろそろ帰るとすっか」
もう帰ると言って立ち上がった坂田さんに少しさびしさを感じたのは気のせいなんかではない。もうちょっとここにいてほしいと思った。もう少しお話が出来たら…。
立ち去ろうとする彼の着流しをつかもうとしたとき、坂田さんは振り返って私に手を伸ばした。しかし先ほどのように頭に手を乗せることはなく、中途半端に空中をさまよった手を引っ込めて照れくさそうに鼻をこすった。
「…ここに飽きたら、ウチに来い。女一人住める広さの一部屋くれーなら空いてっから。じゃあな。風邪早く治せよ」
それだけ言うと、すぐに後ろを向いて玄関へと消えていった。家に?家って、私が?私が坂田さんの家に…。ぼーっとして今の言葉の意味をようやく理解すると、慌てて彼を追う。ブーツをはいている後ろ姿を見て呼び止め、
「あ、ありがとうございます。風邪、頑張って治します!」
と声を張ると、坂田さんは片手を軽く上げてオレンジ色に染まった外へと出て行った。
おわれ
牛乳カルピスを試飲したらこれが想像以上に美味しい!ということで飲ませちまったよ!
2012.9.22(修正)