文〜2〜

□一歩踏み出す三千世界
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「世にも奇妙な、水成る女をお見せしましょう」

物見遊山。
僅かばかりの見物料を払い、異なる者達に好奇と恐怖の目を向ける肉の塊よ。






さすが、王国外への遠征だ。
移動するだけで数日を要し、所々列車や馬車を使っての移動もあったため、元々乗り物に弱いナツや、魔導士といっても肉体派とは程遠いルーシィなんかは、すでに疲れが顔に見え始めていた。
俺達がフィオーレ王国を出たのは、約一週間以上前のこと。
『東の地にある、“見世物小屋”を解放してほしい』と依頼を受けたのが始まりだった。
旅興行という性質上、一つ所に数日と居ないらしく、ようやく探し当て辿りついたのが、ここ、寂れた山奥の集落だった。
ただ鬱蒼とした林があるかと思えば、歩く先に突然現れたようにポツンと小屋があった。
ボロボロの掘立小屋に掛けられた『見世物小屋』の文字に、一同足を止めた。

「皆手筈は分かっているな」
「おう」
「任せろ」

各々自分に振り分けられた役割と、小屋への進入ルートを確認すると、俺達は四方へ散って行った。

小屋の中枢へ行くエルザとは途中で別れ、俺は一人更に奥へと足を踏み入れていた。
薄暗い廊下を抜けると、灯りの漏れている一角があり、俺は充分に警戒しながら、その部屋の扉に手を掛けた。
僅かに開いた隙間から覗きこんだそこは、脱ぎ散らしたように飾り帯や振り袖が引っかけられた屏風や衝立が、赤い行燈の光で妖艶に照らされ、異様な雰囲気を醸し出していた。
何に使われるのか分からない舞台道具や箪笥が15畳程の空間に乱雑に置かれたここは、まるで物置き部屋だ。
一応人気を確認しようと、もう数センチ扉を開けた時、ギイ、と蝶番が軋む音が鳴った。


「誰…?」

“ここへ入る事を許さない”という冷たい響きを持つ声が、部屋の奥から聞こえた。
声のする方に目を向けようとすると、コンクリート剥き出しの床にどこからか水が溢れ出し、俺の周囲は水浸しになった。
構わず先へ進もうと足を前に動かすと、クン、と何かに足を引かれ、動けなくなった。
下を見れば、床を濡らす水が形を成して俺の足に纏わりつき、俺の身動きを制していた。

「怪しいもんじゃねえ。あんた達を解放しに来ただけだ」

俺がそう告げると、声の主は一言「嘘」と切り捨てた。
声は、この部屋の奥に置かれた衣紋掛けとコートハンガーの、更に奥から聞こえた。
掛けられた衣服が邪魔で、俺が立つ部屋の入り口からは、人物までは良く見えなかった。

「皆を傷付けるつもりなんでしょう?皆を笑って、恐ろしがって…。皆を傷付ける者を、ジュビアは許さない」

声に怒りが含まれている。
敵意を向けられている事を理解するのは、そう遅くはなかったが、頭で理解するより先に、俺の肌が感じ取った。
部屋の空気が重苦しい。
それは、相手が臨戦態勢に入った証拠だった。
パシパシと顔の表面を過ぎて行く空気の流れが、湿り気を帯びている。
そこから明らかな魔力を感じた。
瞬間、頬に浅い痛みを感じ、俺は思わずのけぞった。

「…っ…!」

薄く切れ味の良い何かで切り裂かれた様に、頬に傷が付けられ、そこから一滴二滴、血が落ちた。
本当ならここで、自己防衛の為に魔法を発動する所だが、俺の周囲を取り巻く魔力の強さと、付けられた傷の大きさに違和感を感じ、俺は魔力を使うのを躊躇った。
もしかしたら、話せば分かってくれる相手かもしれない、と。

「俺はフィオーレ王国の魔導士だ。依頼を受けて、ここを調査しに来ただけだ」
「まどう、し…?」

声の主は魔導士の存在を知らないのか、語尾を柔らかく上げた。
力で強行突破しなかったおかげで、こちらの真意が伝わったのか、ヒシヒシと感じていた敵意が部屋から消え、足を引き留めていた水が意思を持っているかのように部屋の奥に引っ込んで行った。
一旦胸を撫で下ろし、俺はゆっくりと部屋の奥へ進んだ。
視界を阻む衣紋掛けをずらすと、そこにあったのは、頑丈な鋼鉄で出来た冷たい檻だった。
檻の隅から、薄桃の長襦袢を足元に引きずる様にして、水色の髪を持つ少女がゆっくりと姿を見せる。
腰には紅色の腰紐がずるりと尾を引くように、垂れさがっていた。

空も自由に見る事が出来ない身の上で、青空に憧れていたんだろうか。
ふと脇を見れば三畳程の檻の中に、ちり紙で出来たてるてる坊主がいくつも転がっていた。

ここは正真正銘、見世物小屋。
浮世とは違う、独特の世界を持った場所だ。
世間で生きられない異形の姿を持った者達が集められ、好奇の目に晒されながら、短い生涯を終える場所。
…と、依頼を請け負った時点では、そう聞いていた。
けれど目の前の水色の髪の少女は、初見では至って普通の、俺と同じ歳くらいの女に見えた。

「俺は、グレイ・フルバスター。お前は?」
「ジュビア・ロクサー…」
「ジュビアか。ちょっと待ってろ。こんなトコ、今出してやっから」

なんにせよ、か弱い女をこんな所に閉じ込めるなんて、鬼畜の所業だ。
話は檻を壊してからだと、俺とジュビアを隔てている鋼鉄の柵に手を伸ばすと、ジュビアが「無駄です」と止めた。

「やってみなきゃ分かんねーだろ?!」
「ダメ!やめて!」

頭に血が昇っていた俺は、ジュビアの忠告に耳を貸そうとしなかった。
ジュビアは先程の水を呼び戻すと、檻に掴みかかろうとする俺の手の間に入れ、離れた場所を自ら握ってみせた。

「…く…っ…ぅ!」
「おい!?やめろ!」

鉄格子に触れた瞬間、水が吸い込まれ、涼しげだったジュビアの顔立ちが苦痛に歪むのを見て、俺は柵に触れているジュビアの手を無理やり剥がした。

「どういうことだよ!?」
「触ると力を吸い取られます。これに触ってはダメです」

青ざめ、肩で息をするジュビアの額には汗が浮かんでいた。
檻に取り付けられた錠前を開ける以外で、無理やり壊そうとすれば、力を吸い取ってしまう特殊な物質で出来ているらしい。

こうなる事を知っていて、止めろと言ってくれたのか。
そして忠告を無視した俺を、自分の身を挺して庇ってくれた。
さっきも、俺がここに居るコイツの仲間を迫害しに来たと思って、皆を守るために俺の足止めをしていたんだろう。
こんなに人を思いやれる優しいヤツなのに…どうして…。

「お前、なんでこんなトコに居るんだよ…」

一層、俺には理由が分からなかった。
ただただ、こんな場所に閉じ込められてるコイツが可哀そうで、自分の事の様に胸が痛む。
ここに居なければならない理由があるのなら、力になりたい。
俺は今初めて会ったばかりの少女に、なぜかそう思った。

「ジュビアの体は水で出来てるから」

俺の言葉に静かに答えると、ジュビアは鉄格子の隙間から、か細く浮き立つような白い手をスッと伸ばし、ゆっくり俺の方へ近づけた。
誘われるように、その手の方へ腕を伸ばし、二つの掌が重なり合う直前、俺の手は水へ変わったジュビアの掌へするりと吸い込まれた。

「手がすり抜けた…?!」

“体が水で出来ている”という事を身を持って知り、驚いて思わず出た俺の言葉に、ジュビアは目を伏せた。

「やっぱり…気持ち悪――」
「すげえじゃねえか!高い魔力持ってる証拠だろ?!なんでそんなに恥ずかしがる事があんだよ!」

俺は目の前の透き通る水を湛えた手に、目を輝かせながら、ジュビアが口にしようとしたセリフを遮った。

「魔力…?」
「そっか。こっちの人間だから知らねえのか。俺達の国では、コレを魔法って呼んでんだ。お前だって、本当はここから逃げ出せる力を持ってて、それを敢えて隠してんじゃねえのか?さっきのアレ、すごかったぜ?!」

侵入してきた俺に向けた、周囲の空気さえ変えてしまえる程、影響力の強い魔力。
さっきは“頬を小さく切りつける”という軽い威嚇だけだったが、その気になれば、俺の体を水の刃で切り裂く位はやってのけるだろう。
この力を使えば、きっとここから逃げることだって出来た筈だ。
けど、それをしないのはきっと、コイツには本当は人を傷付ける意思なんてないから。
それに、自分だけ逃げた後に残される仲間達を思っての事だろう。

「怖くないんですか…?」
「怖ぇワケあるかよ。俺も魔法が使えんだから。ほら」

魔力を集め、握りしめた右手を左手に乗せ、ゆっくり開いてみせる。
そこに突如現れた氷の結晶を見て、生気が失われていたジュビアの瞳に輝きが宿った。

「キ…レ、イ…っ」
「だろ?」

俺は感激で言葉を詰まらせるジュビアの手に、もう一度自分の手を重ねた。

「すごく冷たい…」
「俺は氷の魔導士だから、普通の人間より体温が低いんだよ。気持ち悪ぃか?」
「いいえ…」

真冬の寒空の下に晒した様に冷たい掌に、ジュビアの暖かな体温が染みてくる。

「冷たいけど、とても暖かい…」

合わせた手をじっと見ていた青い瞳から、涙が一筋頬を伝って落ちた。
人形みたいだった表情が、初めて崩れた瞬間だった。

「ここを出たら、西へ行ってみろよ。動物や化け物に変身できる奴とか、火を食う竜の子供とか、お前みたいなのが五万といるぜ」

その前に。
俺はパシッ、と拳を合わせ、好戦的な笑みを浮かべた。

「ちょっくらここのオーナーさんに、挨拶してくるか」
「ジョゼ様の所に…?」
「つっても、もう俺の仲間が行ってるみたいだけどな」

耳をすませば遠くから聞こえてくる、爆発音と、瓦礫が崩れる音。
エルザかナツか知らないが、ジュビアと似たような、ここの現状を目の当たりにしてぶち切れたんだろう。
暴れまわってる様が、容易に想像できる。
先を越された様で内心悔しいが、こんな所は早く無くなっちまった方がいいんだ。

「あなたの仲間…?」
「ああ。ギルドのな」
「ギルド…?」
「ギルドっつーのは一つの家族みたいなもんで、俺が居るのは魔法を生業にするヤツ等が集まった、フェアリーテイルっつう魔導士ギルド」
「フェアリーテイル…」
「そうだ。大陸一の魔導士ギルドだぜ」

俺は剥き出しの胸に刻まれた濃紺の紋章を拳で叩いた。
鈍い衝撃が心臓に伝わってくる。

「必ず出してやっから、待ってろよ」



やがて、妖精の紋章を掲げたギルドに、水の魔導士が新たに加入するのは、もう少し先のお話。


〜終〜

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