二度目の人生シリーズ

□第四部 対トリステイン戦争
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 タンネンベルク皇国がツェルプストー辺境伯からの救援要請に応じ、軍の派兵を決定した直後、皇国からの特使を迎え入れたトリスタニアの王宮は混乱の坩堝と化していた。

 元々、トリステイン王国の斜陽は先王フィリップ四世の時代には決定的となっていた。彼の王とその父王が帝政ゲルマニアとの戦で幾らかの領土を獲得した代償に国内産業は軒並み疲弊し、アルビオンから婿入りした今代の王は財政の建て直しに日夜奔走する羽目となったのだ。だが、結果として彼は国家の建て直しを途上にして、長年の心労から体調を崩し病床に臥せってしまった。そうして王が回復せず崩御してしまったのが、約二年前の出来事である。現在は亡き王からの信任の厚かったマザリーニ枢機卿が実質的な宰相としてこの国の内政を取り仕切ってはいるが、ロマリア出身の神官の身である事を理由に諸侯からの信望を得られず、思うように改革が進められずにいた。

 そんな折に降って湧いたようなゲルマニア内戦の勃発。この機会にゲルマニアから領土を獲得すれば、かつて強国であった頃のトリステイン王国に戻る事が可能なのではないかと言う主戦派貴族達の主張は、ゲルマニアを蔑視する風潮に染まった多くの貴族から賛同を得た。無論、ヴァリエール公爵家など国政に大きな影響力を持つ大身の貴族の幾人かが慎重論を唱えて主戦派を諌めようと動いたが、大多数の貴族達がこれほどの好機を前に止まれるはずもなかった。

 結果、トリステイン王国は帝政ゲルマニアに対し宣戦を布告し、国境を接するツェルプストー辺境伯領へと全軍を持って侵攻を開始したのである。

 当初の予測に反してツェルプストー辺境伯の抵抗は激しく、侵攻速度は遅かった。しかし、ゲルマニア本国が大規模な内戦中とあって辺境伯への支援は完全に途絶しており、最終的なトリステイン王国側の勝利は疑いようもなかった。幸い、タンネンベルク皇国は建国直後で国内体制確立に躍起になっている段階であり、当面は軍を動かす様子もない。南のガリア王国に関しても、都合の良い事に宮廷闘争が激化しており、防衛戦力を貼り付けずとも問題はない。このまま一気に辺境伯領を抜け、ゲルマニア本国すらも制圧下に置く事で、トリステイン王国は強国たる地位を取り戻す事が出来る。

 そんな主戦派貴族達の見る甘い夢は、タンネンベルク皇国の派遣した特使と言う現実によって容易く打ち砕かれた。

 ツェルプストー辺境伯領のタンネンベルク皇国への服属と、それに伴うトリステイン王国軍の即時撤退要請。到底受け入れる事は出来ない、しかしながら受け入れねばタンネンベルク皇国との全面戦争に突入してしまう事を示す内容である。
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