二度目の人生シリーズ

□第三部 ツェルプストー辺境伯領、服属
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 タンネンベルク皇国の建国によって権威を完全に失墜させられたゲルマニア皇室ではあるが、その戦力が完全に喪失されたわけではなかった。寧ろ、一介の諸侯が束になっても勝てないほどに隔絶した経済力を未だ有しており、そう言った意味では何の展望もなく蜂起した諸侯は愚かとしか言えなかった。

 だが、諸侯の中でも特に抜きん出た力を有する幾つかの家では、それ相応の対応が取られている。

 中央よりやや西部に位置する領地を持ったプロイセン侯爵は、その中でも急進派と言える立場にある。内乱発生直後に皇室への敵対姿勢を明確にし、同派閥に属していた貴族達の領地をも巻き込んで一大諸侯連合を成立させた政治的手腕は、先んじて独立を果たしていたタンネンベルク皇国の摂政皇太子にも感嘆の想いを抱かせたほどだ。

「プロイセン公国、か……」

 プロイセン侯爵を中心に纏まった連合だから、プロイセン公国。旧ゲルマニアと同様にプロイセン侯爵は数ある諸侯の代表に過ぎず、どうしても中央集権は弱い。また、単純な国力面でも皇室派には数段劣るため、何らかの後ろ盾を欲していた。この際に、アルビオンやガリアを頼らずにタンネンベルク皇国を頼ったのは、プロイセン公国にとって極めて正しい選択であったと言える。何故ならば、皇国が国内態勢を整えた後に出兵する可能性が最も高いのは、国土の東部に隣接しているプロイセン公国であったからだ。

「以降、侯爵はプロイセン大公を名乗られるが宜しかろう。タンネンベルク皇国は、貴国が現在の国土を保持し、ゲルマニア皇室に圧力を加え続ける事を望む」

「ならば、我がプロイセン公国は、タンネンベルク皇国に臣従する事を誓います」

 既に話し合いは内々で進められており、今回のプロイセン大公による摂政皇太子への謁見は対外的なアピールの意味合いが強かった。

 元より、タンネンベルク皇国は独立直後で国内態勢が整っていなかった事もあり、当面は国外勢力を一つでも味方か、或いは最低でも中立に留めて置きたかった。そのため、プロイセン公国が皇国に対し臣従し、ゲルマニア皇室派に対する矢面に立ってくれるならば、十分以上に有益であった。プロイセン公国はそうした事情を省みて、今ならば好条件での支援を得られると踏んで交渉に踏み切ったのだ。結果、タンネンベルク皇国によるプロイセン公国に対する政治経済に及ぶ支援体制は確立され、公国側は主に資金と物資の面で大きな援助を引き出す事に成功していた。

 だが、今回のプロイセン公国の正式な臣従は、予定されていたよりもかなり早まった。その理由は、トリステイン王国の軍事行動が発端となっている。

 タンネンベルク皇国の建国より三ヵ月後。ジークハルトが国内態勢の確立に凡その目途を立てた直後、トリステイン王国が帝政ゲルマニアに対し宣戦を布告し、ヴァリエール公爵領よりツェルプストー辺境伯領へと侵攻を開始した。国内で血みどろの内乱を繰り広げているゲルマニアの諸侯は、この事態にあっても停戦してツェルプストー辺境伯への支援を送る事は出来なかった。

 トリステイン王国は国力で旧ゲルマニアの十分の一以下、現在のタンネンベルク皇国と比較しても六分の一以下と言った程度だ。しかし、内乱中で支援が途絶している事から、ツェルプストー辺境伯は苦戦を強いられていた。元より辺境伯領はゲルマニアでも有数の商業地域であり、高い経済力を有していた地域である。とは言え、だ。所詮は一諸侯である辺境伯が仮にも一国の軍勢に侵攻され、単独で押し留めると言うのは至難の業であった。既に開戦から一ヶ月が経過し、それでも尚、戦線を維持しているだけで、辺境伯の軍事的才能が傑物の域にある事を証明していると言えるだろう。

 だが、結局の所、そう長く拮抗が続く事はない。トリステイン王国は財政的に破綻寸前でありながらも開戦に踏み切った以上、今回が国土を拡大する最期の機会であると理解している。故に、犠牲覚悟での全面攻勢を仕掛けており、ツェルプストー辺境伯の率いる諸侯軍に少なくない損害を強いている。恐らく、後二週間は保たないだろう。

 そうした予測の上に、今回のプロイセン公国のタンネンベルク皇国への臣従は決定した。

 タンネンベルク皇国は旧ゲルマニアの主力部隊五万を粉砕して独立した経緯を持つ軍事大国であり、故にトリステイン王国もあえて火中の栗を拾う真似はせずに内戦中のゲルマニア本国方面へと侵攻したのである。従って、トリステイン王国が国土を拡大するためには、ゲルマニアに属する領土の内、自国と接しているツェルプストー辺境伯領に軍を進めるしかなかったのだが、その後背とも言うべき地域がプロイセン公国なのである。皇帝派と対峙している背後からトリステイン王国軍に襲われる事を危惧したプロイセン公国は、自国の安全保障上の問題とも絡んでタンネンベルク皇国への臣従を決定したと言うわけだ。無論、単に臣従するだけならば、今まで通りゲルマニア皇室に仕えるのと然して変わらない。そのため、交渉の段階で臣従のための条件を出し、結果として資金や物資の援助に加え、一部の技術支援等の約定を引き出す事に成功している。

「ともあれ、これでトリステインがどう出るのか見物だな」

 ツェルプストー辺境伯が敗れ、その領地を自国の版図に組み込む事に成功したとしても、彼の地から兵力と資金を得られるようになるまでにどれだけの時間を要する事か。その間、各国が黙って待っている道理はない。また、一諸侯の領地を抜くのに此処まで時間をかけているようでは、更なる国土の拡大を目指す前に息切れするだろう。プロイセン公国のように皇帝派とタンネンベルク皇国と言う二つの大勢力に囲まれているなら別だが、そうでなければトリステインに対する脅威度は然して高くないと見て良いだろう。

 だが、事はジークハルトの予測を上回り、全く別の方向へと転がって行った。

「皇太子殿下、派兵の用意が完了しました」

「宜しい。アレクサンドル義兄上…否、アレクサンドル・フォン・ファーレンハイト将軍。陸軍一万五千名、並びに戦列艦十隻、航空機母艦三隻の指揮権を与える。これを持ってトリステイン王国の弱兵共を粉砕せしめよ」

「はっ!」

 アレクサンドル・フォン・ファーレンハイト侯爵。

 ササキ侯爵と共にタンネンベルク皇国軍の中枢を担う若き将官であり、国内屈指の重鎮たる青年である。同時に、摂政皇太子たるジークハルトにとって、腹違いの兄に当たる人物でもある。

 先のゲルマニアからの独立戦争において別働隊を指揮して大功を挙げたアレクサンドルは、建国と同時に侯爵に叙され、現在はジークハルトから与えられたファーレンハイトの家名を名乗っている。

 そんな彼が今回の軍事行動で部隊を率い目指す先は、ツェルプストー辺境伯領である。トリステイン王国の一大攻勢の前に劣勢に追い遣られた辺境伯は、何とタンネンベルク皇国への服属と引き換えに皇国からの援軍を招き入れる事を決断したのである。

 無論、皇国内部でも今回の派兵には慎重論を唱える意見は根強かった。

 そもそも、現在の皇国は過日に比べれば落ち着きを取り戻しているが、決して国内情勢が完全に沈静化したわけではないのだ。特に、内政面では北方開発などの現在進行形で進められている事業があり、際限なく仕事が増え続けている状況だ。辛うじて軍部は東部のプロイセン公国が臣従した事で態勢を整えられたが、それでも完全とは言い難い。

 そのため、今回のツェルプストー辺境伯からの支援要請については無視すべきと言う意見には、ジークハルトも一考せずにはいられなかった。それでも受け入れる事を決定したのは、それ相応の理由があったからだ。
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