二度目の人生シリーズ

□二度目の人生を好き勝手して生きてみる
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 これまでの人生を振り返り、それが客観的に見て不幸であるとは思っていた。なのに、最期の時を迎えた今、決して悪い一生ではなかったと思えるから不思議だ。

 彼が生まれたのは何の変哲もない中流の一般家庭だった。それが小学校低学年の頃に産みの母を事故で亡くし、五年後に父親が再婚して義理の母と妹が増え、中学に入った頃に今度は父親を亡くして、それからは血の繋がらない母と腹違いの妹と三人で暮らした。複雑な家庭環境ではあったが、二人目の母は自分と妹を分け隔てなく育ててくれたし、その事に恩義は感じても不満などなく、自分が不幸であるとの思いを抱く事はなかった。

 過去に馳せた思いを今へと戻し、自分自身の命の残り火がもう後僅かで消えてしまう事を実感しながらも、心中は穏やかだった。人工呼吸器の規則的な音を聞きつつ、穏やかな気持ちのまま目前に迫る死期を想い口元を苦笑の形に歪める。

 強いて言えば、視界がぼやけているせいで、すぐ傍にいる大切な者達の顔が良く見えない事が残念と言えば残念か。

 腹違いの妹と、血の繋がらない娘と、恋人のような妻のような関係だった女性。三人の顔は良く見えないまでも、涙を流しながら、或いは泣き叫びながら自分を呼んでくれている事を、不謹慎ながらも嬉しく感じてしまう。

 彼の歩んできた人生は、物質面では裕福ながらも、決して幸福とは呼べないものだった。

 幼少期に実母を亡くし、父の再婚相手やその親族には親切にして貰ったが、やはり疎外感を覚えた事は多い。勿論、父が亡くなった後も自分を育て上げてくれた義理の母や、腹違いの妹とは極めて良好な関係を築いていたし、特に二人目の母には感謝しても仕切れない恩義を感じている。また、金銭面では趣味が高じて株を始め、それが大当たりして相当な額の利益を得た。友人関係も、それほど広い交友を持ってはいなかったが、全く恵まれなかったわけではない。そうした一見して標準並かそれ以上の生活を底辺へと突き落とすほどに、彼の恋愛運は最悪を通り越して極悪だったのだ。

 高校時代に初めて付き合った相手は、付き合い出して二週間もしない内に浮気をした。無論、恋愛に幻想を抱いていた時分であり、そんな相手を受け入れる度量はある筈もなく、即座に喧嘩別れと言う結末に終わった。それから数ヵ月後、前回の反省を活かしつつ付き合い出した相手は、今度は最初から二股を掛けていた。大学進学後も状況は似たり寄ったりで、そうしたトラブルには事欠かず、場合によっては美人局のような犯罪にまで巻き込まれたのである。更に、彼が株式売買で結構な儲けを出している事を知った途端に擦り寄り、自宅に保管していた預金通帳に手を出されると言うケースすらあった。状況は大学を卒業して就職した後も同様であり、女性に対する幻想を木っ端微塵に粉砕するには十分過ぎたのだ。

 そんな折、小学校以来の幼馴染だった女性と再会し、縁あって付き合うようになった。彼女とは大学進学を期に連絡を取らなくなったのだが、短大を卒業後に就職先で出会った男性と結婚し一子を儲けるも、相手の男の浮気や暴力を理由に離婚して出戻ってきたらしい。これまでの経験からすぐには信用できなかった彼は、興信所に依頼して彼女の周囲を探ってみた。その結果、離婚理由に嘘はなく、特に暴力に関しては未だ幼児の娘にまで及ぶようになったために別れたと言う報告を得た。そのため、後に結婚にまで踏み切ったのだが……結婚から一年後、血の繋がらない娘との養子縁組をした翌日、妻となったはずの女性は蒸発した。

 以降、彼の心は壊れてしまったのだろう。

 割り切った体だけの関係を持つ事はあっても、それ以上に深い仲になる事はなくなった。複雑な感情を持たざるを得ない娘の事もあって、無気力に無感情に生きる毎日が長く続いた。そんな環境の中で出会った女性と関係を持ち、少しだけ信じてみようと思えたが、やはり再婚に踏み切る事は出来ずに今日と言う日を迎えてしまった。

 だが、どう考えても幸福には至らない終焉のはずなのに、しかしながら彼の脳裏に浮かんだのは悪くない一生だったと言う想いなのだ。

 それは、最後の最後まで自分を裏切らずにいてくれた相手を得られたからなのだろう。

 腹違いの妹、血の繋がらない娘、そして恋人のような妻のような女性と。

 この三人と、既に亡くなっている二人目の母くらいだろうか。だが、たったそれだけでも、自分を裏切らずにいてくれた女性達が存在するだけで、彼は幸福だったと思える。

 だから……

「ありがと。お前達のお陰で、悪くない……一生だった」

 心臓が停止するその時まで、笑っていられたのだ。
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