最遊記

□TURNING POINT
2ページ/4ページ

宿はペットの連れ込み禁止だった。
ジープは外で車体の姿になり、おとなしく駐車していた。
部屋で三蔵と二人きりになった八戒は、いつもの如く世話係的に話しかけた。

「今日は疲れたでしょうし、今からお風呂にして早めに寝ますか。…て、どうしました?」

三蔵は返事をせず、神妙な顔で自分を見ている。

「あんたは、誰と同室がいいんだ?」
「僕は特に。どうしてです?」
「さっきは俺の意見を優先してもらったけど、俺以外と同室が良かったら、今後は無理に同室にならなくてもって、思ったから…」

八戒が不思議そうに質問を返せば、三蔵は視線を外してそう呟いた。
ほのかに頬を染める三蔵に、八戒はクスリと笑みを漏らした。

「優しいですね。『特に』と言いましたが、三蔵との同室は静かで安眠できるので、僕的には嬉しいですよ?あ、この事は悟空には内緒で。拗ねちゃいそうですから」

人差し指を口元に当ててイタズラっぽく言う八戒に、三蔵は経験した事のない気持ちを抱いた。
もっと話していたい。
その笑顔をずっと見ていたい…

「…早く記憶を取り戻したいからさ。眠たくなるまで、俺とあんたの話を聞かせてよ」
「疲れてないんですか?あまり一気に色々と話を聞かされるのも、負担かと思ったんですが」

三蔵が躊躇いがちに言えば、八戒は意外そうに尋ねる。
八戒の本心だろう気遣いに、三蔵は少し拗ね気味に言葉を返した。

「あんたの話は分かりやすいから、聞いてて疲れねーよ。それに、体は疲れきってても、色々気になって眠れそうにないし」
「じゃあ、お風呂から上がったら、コーヒーを飲みながら話しましょうか?旅の前も、貴方は寺院にはコーヒーが無いからって、ウチに寄ると良く飲んでましたから」
「…へぇ」

過去の思い出を懐かしむような柔らかな笑みを向ける八戒に、三蔵は心が温かくなるのを感じた。

深夜、三蔵は悪夢にうなされてベッドから飛び起きた。

「お師匠様‼…っ⁈…夢…か…」

毎度の事だが、激しい動悸と大量の冷や汗を流して飛び起きる自分に舌打ちが出る。
眠れば必ず、同じ悪夢を繰り返し見るのだ。

敵を前に立ちはだかる、師の背中。
咄嗟に広げられた両腕、大きく揺れる白い袖。
そして…派手に飛び散る、生暖かい鮮血…。

暗闇の中、三蔵は目の前の毛布を押し上げている己の片膝を震える手で抱え込むと、項垂れた頭を乗せて深い溜め息を吐いた。
とその時、優しく背中をさする手の存在に気づいた。
ハッとして振り向けば、八戒が心配そうに自分を見つめている。

「大丈夫ですか?酷くうなされてましたけど…」
「あ…起こして…すまない…」

いつからこうしていてくれたのか?
ベッドの脇に腰を下ろした八戒は、背中をさする手の反対の手にタオルを握っている。
いつも滝の様に流れ落ちる額の冷汗がほとんどない事に気付いた三蔵は、そのタオルで八戒が自分の不快な汗を拭ってくれていたのだと容易に想像がついた。
情けない姿を見られた上に迷惑をかけた八戒に、三蔵は疲労感の滲む声でそれだけ言うのがやっとだった。

「気にしないで下さい。お水、持ってきますね」

八戒は弱く微笑むと、手にしていたタオルを三蔵に差し出した。
気になる汗を拭えるように手渡されたそれは、やはり湿っていて、三蔵の中で何とも言えない感情が押し寄せる。

「っ⁈…待って‼」

八戒が立ち上がろうとした時、三蔵がその手を反射的に掴んだ。
グイッと引き寄せられ、元の場所に尻もちをつく八戒。その肩に、三蔵の腕が回される。

「少し…このままでいさせて」

三蔵は八戒の肩に顔を埋めて、震える声で言った。
八戒は何も言わず、金糸の美しい髪を梳かすような手つきで三蔵の頭を優しく撫でた。

「貴方が寝付くまで、側に居ますよ。僕も、悪夢を見る事があるので。辛い気持ち、分かりますから」
「…あんたが、どことなくお師匠様に似てるからかな。こうしてると、安心する」

八戒の温もりが心地よく、三蔵は抱きしめる腕を強めた。
昼間はあれだけ強がっていても、心はまだ幼い少年で、こんなにも繊細だ。
昼間、『誰かに似てるとか言われない?』と言ってた誰かとは、先代の事だったのだろう。
だが今まで似てると三蔵に言われた事がなかった八戒は、半信半疑な気持ちと新たな事実の興味を持った。

(一度も似てると言われなかったのは、出会い早々、僕の闇を散々目の当たりにしたからかも知れないけど…。)

最高僧に選ばれし人物と人外に堕ちた自分では、本質は似ても似つかないに違いない。
だが、うわべだけでも大切な人と似ていると思われた事が、おこがましくも嬉しかった。

「似てるんですか?初耳だなぁ。酒と賭博が滅法強くて、天然か計算か判らない人だったとは聞いてましたが。酒と賭博は4人の中でも強い方だと思いますけど、天然の自覚は無いんですが」
「天然だから自覚がないんだろ?それ以外にも、話し方とか、雰囲気とか…見た目はあんま似てねーけど、笑い方とか…」
「そんなに似てるなら、会いたかったです。僕」

頭を伏せたまま呆れ気味に指摘する三蔵に、八戒は愛しむように言葉を返した。
優しい声が、三蔵の心に沁みる。

「俺も…そう思うよ」

二度と取り戻せない幸せな過去に、切なさを噛み締めるように三蔵は呟やいた。

「お師匠様とは、一緒の布団で寝た事あります?今日は、一緒に寝ましょうか?」
「…」

八戒の突然の提案に、三蔵は信じられない気持ちで顔を上げた。
腕を解いて身を離し、固まった様に凝視する三蔵。
流石に八戒も、変な事を口走ったと後悔した。
気付けば保父スイッチが全開になっていたのだ。
いくら親代わりの故人と似ていると言われても、今日初めて知り合ったような他人にそんな気持ち悪い事を言われれば、ドン引きされてもおかしくない。
しかも、日中は本人から子供扱いするなと散々嫌がられていたと言うのに。

「あ、子供扱いしてるとかじゃなくって…けど、変な事を言ってすみません」

焦った八戒は、自分でも何を言ってるんだと思いながら訂正を口にした。
だが三蔵の瞳は、驚きから縋るような視線に変わった。

「いや…一緒に寝て欲しい。あんたに触れていると、何故か落ち着くから。大人の俺は、悪夢で眠れないとかは無いのか?」
「えぇ。僕の知る限り、今は悪夢にうなされてはなさそうです。時間はかかったでしょうが、色んな人との出会いが、解決してくれたんだと思いますよ?生きていれば、変わるものもある…僕も今は、そう思ってますから」

『お前が生きて、変わるものもある』

突き放すような厳しさの中に慈愛を携えたあの眼差しを、今でも鮮明に覚えている。
だが、その言葉を与えてくれた三蔵は、ここにはいない。
八戒はふと押し寄せる寂しさを隠して、三蔵に微笑んだ。
今、一番辛いのは、目の前にいる三蔵なのだから。

「…安心した。早く、記憶を取り戻したい…」
「そうですね…。もう寝ましょうか。お水、持って来ますね?」
「…ありがと。八戒」

狭いベッドで、二人は身を寄せ合って眠りについた。

「起きて下さい、江流」

三蔵は信じられない思いで、その声に飛び起きた。
寝ぼけた視界で捉えた黒い人影は、窓から降り注ぐ朝の日差しを背にした八戒だった。

「今、江流って…八戒、あんたが呼んだ?」

師匠の幻聴でも聞いたのかと、三蔵はキツネにつままれたような思いで八戒に尋ねた。

「すみません、三蔵って呼んでも起きなかったので。記憶喪失が進行してるのかもと不安になって、試しでつい。けど、話し方が似てるんでしたよね。びっくりさせてすみません。今後からは…」
「いいよ。あんたに江流って呼ばれるの、嫌じゃないから」

酷く反省した八戒が言いかけた言葉を、三蔵が最後まで聞かずに否定した。
だが八戒は、その言葉が本心か気を遣ってかの判断に悩んで戸惑いの表情を浮かべた。
素直に受け止めて欲しい三蔵は、意を決して言葉を足す事にした。

「お…お前のおかげで、いい夢見れた気がするし…サンキュー、な。」

照れ臭そうに視線を外す三蔵の言葉に、八戒は昨日、自分が言った事を思い出して顔を綻ばせた。

「江流は努力家ですね」
「…ガキ扱いすんなって言っただろ?」
「貴方が健気なんで、つい。保父モード全開になってしまいました。すみません」

頬を染めながら迷惑そうに言う三蔵に、八戒はヘラっと笑って謝罪を口にした。

朝食後、宿の一室で八戒は今後の予定を皆に話した。

「記憶を奪った妖怪の情報を集めれば、術の解き方が判るかも知れません。あと数日は、ここに滞在しましょう。昼は僕が買い物ついでに町の人達に聞き込みをするので。夜は悟浄、翌朝まで賭博オッケーなんで、情報収集お願いしますね?悟空は三蔵と一緒にいて下さい。まだ残党がいるかも知れないので、皆さん気を付けて下さい」
「俺も八戒と一緒に聞き込みに行く。自分の事だし、買い物の荷物だって、1人じゃ重いだろ?それに、残党がいるかも知れないのに、1人で出歩くのは危険だから」

三蔵の申し出に、八戒は目をパチクリさせた。
真剣な眼差しで八戒を見つめる三蔵に、悟浄がわざとらしくドン引きの声を上げる。

「うわぁ。三蔵サマとは思えない天使の様な台詞。あいつなら、『俺は昨日の特訓で疲れてんだ。てめぇらだけで行ってこい』って言うぜ?絶対」

嫌味な悟浄を三蔵が睨めば、八戒は冷静な声で意見を述べる。

「基本、三蔵は街を歩けばその姿なんで話しかけられますし、そういうのが面倒で宿から出ないんです。昨日の特訓で疲れてるでしょうし、三人で休んでいて下さい。それに、僕1人の方が、残党も寄って来やすいでしょうし。そしたら捕まえて、情報を聞きだす事も出来るかと」
「別に疲れてねーし。それに、こんな煙草臭い部屋にずっといるより、外の空気吸いたいんだからいいだろ?」

三蔵は煙草を薫せる悟浄に嫌味を返すように、八戒に訴えた。

「三蔵が出かけるなら、俺もついてく‼」

(参ったなぁ。二人して、お留守番が出来ない大きな子供って感じですね…)

頑として譲る気のない三蔵と悟空に、八戒は折れるしかなかった。

「うーん。じゃあ、悟浄。僕達出かけるんで、夜に備えて寝てて下さい。残党が寝首をかきにきても、質問する前に殺しちゃダメですよ?けど、日中より夜中にお酒で酔ってる貴方1人の方を、残党も狙ってきやすいでしょうけど」
「…俺は危険に晒しても良いワケ?なーんか、妻子だけお出かけで、家でぼっちな旦那の気分なんだけど?」
「アハハ、面白い例えですねぇ。三蔵の時の『良い子はお留守番』以来の例えじゃないですか?」

半ば呆れて不満を口にする悟浄に、八戒は笑って言葉を返した。

「俺達を家族に例えたら、お前達が夫婦で、俺はガキのポジションなのかよ」

不服とばかりに三蔵は悟浄に突っかかった。
若さ故の素直な反応を見せる三蔵に、悟浄は人の悪い笑みを向けた。

「ナニ、不満なの?じゃあ、『悟空のお爺ちゃん』の方がしっくりくる?」
「誰が爺ィだ?てめぇが親父の立ち位置なのが気に入らねぇって言ってんだよ」
「へー。もしかして、その立ち位置は自分だとでも言いたいワケ?」

三蔵の機嫌が何故これほど悪くなってるのか八戒には分からなかった。戸惑いつつも、ヒートアップしていく口喧嘩を止めさせようとした矢先、悟空が三蔵に加勢した。

「そうだよ、バカッパ‼八戒だって、言ってたんだからな⁈お前がいなくなった時、俺達三人が親子みたいだって‼俺だって、父親はお前より三蔵の方がいい‼」

悟空には、悟浄が三蔵をガキ扱いしてるようにしか見えなかった。
普段から悟浄に散々ガキ扱いを受けてコンプレックスを感じていた悟空は、三蔵をバカにされて自分の時以上に憤慨していた。

「八戒が本当にそう言ったのか?」

三蔵の声に悟空が振り返れば、真剣な眼差しとぶつかった。
今や三蔵の瞳には怒気はなく、だが尋問的な威圧のある視線に悟空はたじろいだ。

「え?…うん。言ってたよな?八戒」
「えーと…いつの話でしたっけ?」

当の本人に助けを求めるように悟空が訊ねれば、八戒は困惑気味に苦笑いで返した。

「忘れたの⁈俺が体に書かれたマントラの墨を川で洗い落としたら、八戒が三蔵に、親子三人でピクニックみたいだって笑顔で話してたじゃんか‼」

悟空が焦りながら言うと、八戒は今思い出したようにポンと手を打った。

「あぁ。自称『カミサマ』な敵を追って勝手に姿を消した悟浄を探した、あの山中の事ですね?言った僕でも忘れてたのに、よく覚えてましたね」
「だって、凄くピッタリな言葉だと思ったから。三蔵だって、その例えに呆れてたけど嫌がってなくて。実はあの時、聞こえてないフリをして水浴びしてたんだ。悟浄がいなくなってからイライラしていた二人が久々に機嫌も良さげで…その雰囲気が好きで、なんか壊したく無かったからさ」

感心する八戒に、悟空は照れながら答えた。
そんな悟空が愛おしく、八戒は嬉しそうにのほほんと眉尻を下げた。

「そぉだったんですか?僕が無邪気に水浴びする悟空を微笑ましいなぁと思っていた時、悟空も僕達に同じような気持ちを持ってくれてたんですね」
「…判ったから、もう出かけようぜ」

二人の和やかな雰囲気を、三蔵は不機嫌な声で壊した。
部屋を出て行こうとする三蔵に、「あ、待ってください!」と八戒が焦って声をかけるも、無視して去っていく。
八戒と悟空は三蔵を追いかけて、慌ただしく部屋を出た。

「…ほんっと、分かりやすい奴。まぁ、それも以前と変わらねーか」

部屋に一人残された悟浄は、苦笑いで独り言を漏らした。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ